01 冠の創り手③ 在るべき場所に
玻璃の杯が静かに合わされた。
「前夜祭と言うところね」
女は上等の葡萄酒が入ったそれをくゆらせながら笑みを見せた。
「なかなか質のいい酒だな。正直、こんな場末の店でいちばんいいウィストを頼んでもろくなものが出てこないだろうと覚悟してたんだが」
「運があるんだわ」
男の言葉に女は答えた。
「最後の風具までだって、すぐよ」
「だといいがな」
タジャスという名のその町は、大都市から離れた場所によくあるような、余所者に狭量な町ではなさそうだった。
旅人は歓迎され、もてなしを受ける。くつろいだところで話をすれば、美しい装身具をどこの金持ちが持っているか、それともどこかの家宝として細々と伝わっているか、そんな話はすぐに聞けるだろう。
もっとも、〈風謡いの首飾り〉がここにあることは判っている。男は作った冠で、その在処を知ることができるからだ。
この精霊師は風司でもなければその継承者でもなかったが、作り手であればその能力を使うことはできた。
だから、もし話が聞けなかったとしても、もう少し詳細にその気配を探り、どこの建物のどの棚のなかに眠っているか、それとも祭壇にでも飾られているか、そうしたことまで判る。ただ、いきなり押しかけてお宅の家宝を貸してくださいというのは巧くない。紹介者がいた方が、話は円滑に進むというものだ。
「ところで、また訊いてもいい?」
「駄目だと言っても訊くんだろう」
「そうよ」
女は肩をすくめた。
「冠はどうやって継承者を決めるの?」
「そこか」
男は赤い色の酒を一口飲んで続けた。
「非常に簡単に言えば、無作為だ」
「……ちょっと」
「怒るな。半分は冗談だが半分は本当だ」
「冗談は抜いてちょうだい」
「判った」
男は謝罪の仕草をした。
「四つの風具が血筋を失ったとき、次の継承者をどう選ぶか。それは判ってるな?」
「血筋、または風具と何らかの関わりを持つ者を探す。現実に風具と近しかったもの、象徴的に近しいものなどが選ばれる。風具を手にしたときにそれと認めるか、しばらく所有させて様子を見るかは、風具の――と言うか、作り手の意志による」
「当たりだ」
「それで、冠は? あなたの意志はどうなの?」
「言ったように、血筋は関係ない。それまでの実際の関わりも。但し象徴は大いに関係がある。言葉の力、名前の力、精霊師はあまり重きを置かないが、魔術師はそれを重要と見る」
「知ってるわ。魔術師に囲まれて生きてきたんだもの」
「我らが麗しのシルヴァラッセン、だな」
「そうね、我らが魔法の都。精霊師を精霊師として扱う、この大陸で唯一の、いえ、もしかしたら世界で唯一の。あなたは、そのなかでも特殊だけれど」
「特殊すぎて扱いかねるんだろうさ。精霊師か魔術師がどっちかはっきりしろ、という訳だ」
「はっきりしないから、そんなおかしなものを作るんでしょうよ」
女は少し唇を歪めた。
「余所の魔術師協会なら、何をやっているのかいちいち報告を義務づけられるところよね」
「幸いにして我らがご主人様は鷹揚だ。何かに興味を持ってふらふらしていても、咎められない」
「おかげで二年よ。そろそろ少し、懐かしいわね」
「そうだな」
男は同意した。
「もうすぐ、帰れる。そうしたら」
言いかけて男は口をつぐんだ。
「何よ」
「何でもない」
「気になるわね」
「気にするほどのことじゃない」
男は唸った。
「この冠を受け取るとき、コランバールにもうひとつ依頼してきた件がある。それももういい加減、仕上がってることだろう」
「あら、次は何を作る気?」
「いや、それは職人に作ってもらえれば完成だ。何も力を込めるつもりはない」
「どういうこと?」
女は眉をひそめた。
「ただの宝飾品を持っていようという訳? らしくないじゃない」
「俺がほしい訳じゃない。ただ、そういうもんが要るかと思ってるだけだ」
「そういうって、どういうものよ」
「〈風見の指輪〉のように面白いもんじゃないが」
男は天を仰いだ。
「そいつを贈って、求婚したい女がいる」
「……ちょっと」
女は複雑そうな顔をした。
「それが私だったら怒るわよ」
「嫌なのか?」
男は複雑な顔をした。
「求婚する前に断られるのか、俺は?」
「馬鹿ね」
女は嘆息した。
「そういうのは最後までひた隠しにして、劇的に渡すものだからよ。あっさりと口を割らないでちょうだい」
「……それは」
男は酒をすすって、間を取った。
「了承ということか?」
「そうとは限らないんじゃない」
「何?」
「最終的な判断は、その指輪の出来を見て決めるから」
女が肩をすくめてそう言うと、今度は男が嘆息した。
「冠について考えている方が、ずっと楽だな」
「そうよ、話が途中だわ」
求婚の予約を受けた女は、嬉しそうに頬を染めるよりも話題を戻した。
「冠は何を象徴するの? 王のしるし、権力の象徴なんて言い方はよしてよ。あなたの冠について聞きたいんだから」
「見て判ることばかりだ」
男はそんな言い方をした。
「模様が表すのは、表に沈静、裏に勇猛、これはまあ、『王様』への敬意だな。戦時なら勇猛を表にすることも大事だが、平時であれば上に立つ存在にはそう在ってほしい。そんな願いでもある。紫水晶は高貴、蓮華は再生だ」
「曖昧ね」
「象徴だからな」
平然と男は返す。
「全体をひっくるめて言えば、力だ。権力でもなければ腕力でもないぞ。穏やかにして猛りを忘れず、誇りを持ちて、倒れても蘇る。もう少し具体的に言えば、困難にあっても希望を持ち、敵を見誤らず、屈服を拒み、失敗を成功に変える」
「もっと判りやすく」
「もっとか? それじゃ」
男はにやりとした。
「冠が認めるのは、艱難辛苦にあってもへこたれない心の持ち主」
「……シンプルね」
「言葉にすればな。実際にそう在るのは難しい。やろうと思ってできることでもない。生まれ持った気質と、育った環境による。あとは運命だ」
「また曖昧なものを持ち出して」
「仕方ない。本当のことだ。冠の継承者は、常に存在しなくてもいいんだ。ほかの風具が均衡の崩れを感じたときにだけ、必要とされる。強いトップがいた方が生活は安定するが、規模が小さければ個々でも生きられるってとこか」
「どういう状況だと均衡が崩れたと判断されるの?」
「いろいろあるだろうな。それこそ作り手の意志だ。血筋が絶えるときかもしれんし、風司の力が個人の欲望に使われそうになったときかもしれん。或いは逆に、風神の力が要るときかもしれんな。例えばだが、とんでもない嵐がビナレス中を襲うようなときに風を操る力がまとまれば、多くの命を救えるだろう」
「風具の力をまとめ、『司を司る者』が必要となるとき、か」
女は息をついた。
「あんまり、いいときであるように思えないわ」
「そうだな。俺もそう思う。冠が眠っていられる方が、本当はいい」
「それなのに、作った」
「ああ。必要でなければいいが、必要であるときに作りはじめても間に合わん」
男はひらひらと手を振った。
「それに、予想外に大地の祝福もついた。悪いことにはならないさ」
「だといいわ」
女は少し笑んでから、ふと疑問の表情を浮かべた。
「完成したらどうするの?」
「何?」
「そうよ、それを訊いてなかったわ。持ち帰ったって仕方がないでしょう。閉ざされた街の倉庫に寝かせておいたって何にもならないわ」
「寝かせてみたところで、必要になれば出て行くさ。そういう道具だ。でもまあ、持ち帰るつもりもない」
男はにやりとした。
「売ろう」
「はっ?」
女は目を見開いた。
「最終試験だ。俺の目論見通りに行けば、人から人へ渡って、在るべき場所にたどり着く。おそらくは、風具を失った風司の血筋を見つけてその近くまで。上手くいかなければ、大失敗。俺が冠にかけた時間と、足して俺とお前の二年は全くの無駄」
「呆れた」
「すまん」
「謝らなくてもいいけれど、呆れたわ」
女は首を振った。
「こんな男と家庭を持ったら生涯、苦労しそう」
「決めつけるなよ、やってみなきゃ判らんだろう」
「それで死の床について、やっぱりたいへんだったわ、と思うのは嫌ね」
女は片をすくめた。男は落ち着かない表情で女を見る。
「でもまあ、私はもしかしたら、冠の継承者になれるかもしれないわ」
「何だって?」
「ちょっとやそっとの艱難辛苦にはへこたれないの。相性のいい女を見つけたんじゃないの、片翼竜の飼い主さん」
女は、男の左腕の半袖をめくると、そこに彫られた片翼の竜の絵柄に微笑んだ。
「よせよ、目立つだろう。不気味な絵柄と思われてそれで済めばいいが、判る奴には意味が判るんだ」
「なかなか素敵なのに、もったいないわね。まあ、おかしな興味を持たれるよりは怖がって避けられた方がいい街だけど」
「うまく利用できるときもあるが、目的を果たすまでは〈魔術都市〉の魔術師だなんてことは知られたかない」
「そうよね」
女は賛成した。
「明日から、動きましょ。完成したらその素晴らしき品を手放して、手ぶらで凱旋という訳ね」
「皮肉か?」
「事実よ」
女は片目をつむった。
「訊くことはみんな聞いたかしら」
「どうかな」
「いいわ。思いついたらまた訊くから」
女は杯を持ち上げた。
「今宵はささやかな宴を楽しみましょう? 次の宴は、指輪と一緒に期待しておくわ」
微笑まれた男は、曖昧に笑って同じように杯を掲げた。




