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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第8話 対決 第2章

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02 司祭を名乗る男

 サーヌイが無防備に背を向け、部屋の扉を開けてティルドをその外に案内すれば、少年としてはぽかんとせざるを得ない。

 ティルドが襲いかかって殴りつけ、昏倒させて逃亡を図るとか、そういうことを考えないのだろうか。

 こいつは余程の大馬鹿か、それとも──神官が垣間見せたあの怖ろしいほどに穏やかな笑みはやはり自信の顕れで、ティルドが彼の不意をつくことなどできないとでも思っているのか。

 一方で彼らは、まだティルドを殺すことができないはずだ。

 〈風謡いの首飾り〉が偽物であるという事実を信じないとしても、〈風読みの冠〉の継承者であるらしい彼の能力を「譲ってくれ」と言ったのはサーヌイだが、どういう事情にしてもその力はまだ要るようだ。

「どこ行こうってんだ」

「お判りのはずです」

「判るかっ」

 反射的に少年が返せば、神官は困った顔をする。

 その様子だけを切り取れば、それは彼らが初めて会ったとき――サーヌイがセイと名乗り、フィディアル神官のふりをしてティルド少年を苛つかせ、戸惑わせたときと変わらぬかのようだった。

 だが彼らはどちらも知っている。

 内心に去来するもの、立ち向かうものはあのときとあまりにも違う。

 あのときに仮面を被っていた訳ではなく、ティルドが腹を立て、サーヌイが困惑するのは彼らなりの真実だった。

 いまでもそれは同じだけれど、神官の見せる困惑の表情の裏には自信と慈愛が、少年の(テュラス)が唸るような反発の裏には警戒と闘志が――あのときになかったものが、彼らのうちにいつしか芽吹いていた。

「ご案内しようとしているんです」

 サーヌイは物わかりの悪い学生に学問を教える寛容な教師であるかのように、ゆっくりと言った。

「あなたの玉座(・・)に」

「へえ」

 ティルドは唇をなめた。

 「継承者」が「王子」であるならば、彼が継ぐべき「玉座」は〈風読みの冠〉のこと、この場合はそれが置かれている場所を指すと考えられた。

「エディスンに冠を返してくれようって訳か。いきなり殊勝な心がけだな」

 もちろん、サーヌイがそんなことを考えているのではないと知っている。もちろん、サーヌイは首を振った。

「王子が王となり、そして死ぬということは冠にはっきりと示されなければなりませんから」

「はっ、そうかよ」

 どうでもいいとばかりにティルドは唇を歪めた。

 継がせて、そして殺す?

 それが彼らの目的に適うことなのか。

 冠の目の前(・・・)で継承者の命を奪う。それが、風具に次の継承者を探させることにつながるとでも?

 風具は不思議な道具であるかもしれないが、あくまで道具だ。継承者の死を見せつける(・・・・・)なんて、何だか馬鹿げている。

 だがおそらく、そのつもりなのだろう。

 ティルドはおとなしく殺されてやる気など当然ないが、冠のもとに案内してくれるというのに拒絶することもない。だいたい、嫌だと言ったところで無理につれていかれるか、もっと簡単に冠の方を持ってこられでもすれば同じことだ。

 それよりは部屋を出て、ここがどういう場所なのか、ほかにはどれくらい人間がいるのか、みな業火の手の者なのか、逃げることは可能そうか、どうにかして武器、或いは武器代わりになるものを手にできないか、探った方がましだろうと考えた。

 サーヌイは、命を奪うだけならいつでもできるというようなことを言った。やれるもんならやってもらおうじゃねえか、という思いも浮かぶものの、ではそうさせていただきますと殺されてもたまらない。

 いや、そうはならないだろう、という思いはあった。

 殺す前に準備が必要、というような話もあれば、首飾りの真偽問題もある。

 連中にとっては、〈風謡いの首飾り〉が本物であればよし、もしそうでなければまた手がかりを探して、誰か、おそらくはティルドをもう一度その捜索に放り出さなければならない。

 ざまあみろ、である。

 奴らの企みがエディスンを焦土とする怖ろしいものであろうと、それ以外にも何かあろうと、彼らは〈風読みの冠〉の力を欲しがっている。そのためにはティルドの死が必要だが、その前にほかの風具探しをさせたいはずだ。

 兄が傍らにいれば、それはちょっと楽観的すぎるだろう、とでも弟をたしなめたろうか?

「では、ティルド殿。こちらへ」

 さっと若い神官が手を伸ばす。角の向こうへ進めという訳だ。促された少年はじろりと神官を見てから、隙をついて逃げ出してやったらこのサーヌイはどんな顔をするだろうと考えた。

 仮に首尾よく駆け出せたとしても、どこが入り口だか出口だか判らないような状態である。体力勝負ならば神官のふたりや三人に負けやしないし、ちょっとした術ならば魔除けも働く。振り切れる可能性は高いだろう、と考えるそれが観察の上の計算結果であるのか、やはり相も変わらぬ直観と楽観であるのかはティルド自身でも判断のつけ難いことだった。隣に兄がいれば、どう考えただろうか。

 しかし現実的なことを――何とも驚くべきことに、このティルド・ムールが――考えてみれば、ここで逃亡を試みてみたところで得るものは少ない。

 〈風読みの冠〉の在処を知らせてくれるというのなら言葉に甘えればいい。逃亡を図るなら、そのあと。

 そう、得るべきものを得てから。

 サーヌイの位置を何となく意識しながら廊下の角を曲がった少年は、そこで心臓を大きく跳ね上げさせることになる。

「ここで何をしている」

 避けようと思ったときにはもう、少年は右肘を掴まれ、それを高々と持ち上げられていた。

「これは何の真似だ、サーヌイ」

「リグリス様」

 神官の恭順に、ティルドははっとなって彼を捕らえる腕の持ち主に目を向けた。

 そこにいるのは、四十代のはじめから半ばくらいの男だった。

 墨色をした髪は耳の下あたりで切り揃えられている。額の飾り輪は冠を思わせ、首にかけられた邪なる聖印は由緒ある家紋章を思わせた。

 光沢のある生地で作られた濃紫のマントはそれほどきらびやかではなかったが、〈司祭〉――八大神殿で言うところの神官長か、神殿長クラスが身につけるものを思わせた。

 つまり、業火の神オブローンの司祭を名乗る男は、「王」と「神殿長」という二大権力者の模倣を思わせる格好をしており、その事実はティルドをぞっとさせた。

 ティルドは、リグリスとサーヌイを同類と考えていた。ラタンあたりは「神官の皮をかぶっている」という感じがするのに対して、サーヌイは怖いくらいに聖職者(・・・)だ。

 不気味な狂信者の親玉。それがリグリス。彼の敵は、信仰のために街を焼き払い、その廃墟の上に君臨しようなどという狂人なのだと、ティルドはそう思っていた。

 だが、そうではない。

 この男は口清くも神のためと言い、心からそれを信じるサーヌイとは全く違う。

 司祭リグリスは、「王」「神殿長」――「権力」を望む、野心家だ。


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