10 致し方ありません
そんな「お願い」に「はい」と即答できる人間がサーヌイ・モンド以外にいるようなことがあれば、ティルドはヴェルフレストに剣を捧げてもいいと思った。
「阿呆かっ」
彼の即答はそれである。当然だ。こればっかりはたいていの人間がティルドに同意するだろう。
「そのように拒絶されると、困ります。無闇に魂を神々のもとへ送るのは好みではないんです。必要に駆られれば仕方ありませんが」
「大した神官様だ。そうだったな、フィディアル神官を殺してるんだったな。カリ=スのことも燃やそうとしたし、俺なんか敵じゃないって訳だ」
「敵だなんて思ってませんよ」
サーヌイは困惑したように言った。
「本当は、ご納得いくまでお話し合いたいのですが」
「ご免だね」
またも少年は即答した。
「お前らの教義なんざ知るかと言ったことに変わりはない」
「残念です」
やはり実に残念そうに、神官は言う。
「では致し方ありませんが、あなたの意志に反してということで」
サーヌイは胸に下げている聖印に衣装の上から触れた。
すわ何か術が飛んでくるか――と少年は、武器も防具もない状態でできる最良の戦闘体勢を取った。しかし、火だろうが風だろうが、彼を襲うものは訪れない。
ティルドの警戒に気づいたサーヌイは首を振った。
「単に命を奪うだけならいつでもできるんです。説得が功を奏さなかったのは残念ですが、だからと言っていますぐオブローンの御許へとは申しません」
物事には順番があります、などと神官は言った。ティルドは乾いた笑いを見せる。
順番。
初めはメギル。次にアロダ。セイ。ラタン。そしてサーヌイ? それから?
「次は、そんじゃリグリスにでも引き合わせてくれんのか?」
鼻を鳴らして言えば、サーヌイは考えるようにした。
「リグリス様があなたにお会いになる理由が何かありますか?」
「てめえらの理屈なんか知るかよ」
「ではお教えします」
サーヌイは教え諭すように言った。
「あなたは風読みの継承者です。王位で言えば王子殿下の位置ということに」
「嫌な位置だな」
ついヴェルフレストを連想したティルドは実に嫌そうに言った。
「王位継承者に万一のことがあればどうですか? 現実には第二、第三、と王位継承者が列を為しますが、それはさておきましょう。王がいないというのもおかしなたとえではありますが、王家の血を引く人間が全て死したと思ってください」
神官は物騒なことを言った。
「そうなれば王家などなくなります。けれど、そこに支配者のない町は残りますね。そのままであれば町は混沌状態となりますでしょうが、自然と次の王は出てくるものです。民に選ばれて。或いは、力でのし上がって」
「それをやろうって訳か」
ティルドは唇を歪めた。
「俺を殺して、無理矢理、次の継承者になってやろうと」
「乱暴な言い方をすればそうなります」
サーヌイは少し肩をすくめた。丁重な言い方をしたところで同じだろうが、とティルドは思った。
「それを狙ってるのはリグリスじゃないのか。お前は、司祭様の裏をかいてやろうとでも? 意外な野心家なんだな」
「とんでもない」
サーヌイは――ティルドの暴言の――許しを神に乞うた。
「私は、実験台なんですよ」
「何?」
思いがけない言葉にティルドは目をしばたたいた。
「リグリス様と私は同質の力を持ちます。光栄なことです。ですから、まず私で試すのです。それから、リグリス様」
もしラタンがこの場にいれば、銀髪の神官はぞっとしただろう。ラタンがほのめかしたことをサーヌイは判らなかったのではない。判った上で、受け入れているのだ。
この若き神官には、迷いがない。
迷うのは、起きたこと、やろうとすることが本当にオブローンとリグリスのためになるのかどうか、それがはっきりしないときだけだ。
「実験台」の意味は掴みきれなかったものの、ティルドにはそれが判った。
サーヌイはティルドを殺すことを躊躇わないだろう。
彼だけではない。ほかの継承者たち。ヴェルフレスト。リエス。ユファス。
ティルドは冷たいものが流れ落ちるのを感じた。
「何のためだ」
少年は声を出した。
「どうして、風の力なんかがほしい。火を強くするからとか、そんなこと訊きたいんじゃねえぞ。ああそうだ、訊くとこ間違った」
ティルドはいまひとつ迫力のない台詞を吐くと、きっとサーヌイを睨んだ。
「強くして、それでどうするんだ? 何がしたいんだ? ビナレス全土の支配とか、馬鹿みたいなこと言うんじゃないだろうな?」
「支配」
サーヌイはきょとんとした。
「そんなことをしてどうするんです?」
「……俺が訊いてるんだが」
ティルドは力が抜けそうになったが、どうにか堪えた。まさかこの天真爛漫ぶりが演技だとは思わないが――そうであったら、一流の芝居師だ――純真だということは安全だということでは、ない。




