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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第8話 対決 第1章

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07 答えを

「ほう」

 グルスはわずかに目を細める。

「なかなか、巧い。お前に魔術の理を教えたのはよい師にと見えるな」

「伝えておこう」

 ヴェルフレストは返しながら、気づいた。グルスは言葉の鎖を彼に投げようとしたのだ。受け取ってしまえば、縛られる。

 だが彼は、それを読み取った訳でもないのに、避けた。

 それは、ローデンが教えた魔術学の基礎、言葉の強さを無意識の内に警戒していたためもあろうか。或いは、砂漠の町で奇妙な魔術師が寄越した忠告――言霊に捕らえられぬ方法を忘れるな――が功を奏したのだろうか。

 どちらであろうと、彼は逃れた。上手に。運よく。

 しかしそのような僥倖は、続くものでもない。

「巧いが、それは誤りだ、王子。確かに指輪は我がものであったことはない。だがこの女はずっと、私のもの」

 グルスはそう言うと、片腕でアドレアを抱き、片手で女の口を塞いだまま、その白い髪に口づけた。アドレアは抗うが、逃れ得ない。それはまるで、無力な小娘のよう。

「やめろ! 放せ、すぐに!」

 盾のようにアドレアを抱えられていれば、剣を振るうこともできなかった。ヴェルフレストは指先から血の気が失せるほどに強く、細い剣を握りしめることしかできなかった。

「指輪はどこへやった? 王子よ」

 グルスは笑う。

「アドレアが欲しければ、エディスンの家宝と引き替えだ。魔女を愛人に持ちたいと言うのなら、お前の心がけ次第で叶えてやろう」

 もしこのとき、ヴェルフレストがいまだに〈風見の指輪〉を隠しに入れていれば、彼はそれをグルスに投げつけたかもしれない。彼はあの指輪に価値など見出していなかった。あれを求めるためであった旅路も、進んだのはエディスンのためではなくアドレアのため。

 不思議で不吉な美しい魔女の言葉に従えば、彼女にもう一度会えると思ったため。

 だが幸か不幸か、彼は指輪をその正統なる持ち主――父親に手渡していた。エディスンの家宝はエディスンに戻り、もはや第三王子が恋する女のためにどうこうできる品ではなくなっている。

「それを手に入れて、どうする気だ」

「どうもしない」

 グルスは簡単に答えた。

「かつては、〈風司(イルサラ)〉の力が魅力だった。イルサラの周囲に集まる畏怖と尊敬。神官や魔術師たちの疑念。それらを食ってみたかった」

「食う、だと」

そうだ(アレイス)。敬意は美味。崇拝はその上を行く。そして恐怖や憤りも。ましてや、自分にできぬことなどないと思っている愚かな若者が、無力感に苛まれて心に燃やす怒りなどは」

 グルスはアドレアの口から手を離し、その手を無理矢理、女のまとう掛け布のなかに入れた。アドレアは懸命にグルスの手を押しのけようとするが、魔術を紡ぐ彼女の手はそれよりも強い支配力と腕力を持つ男の望みを退けることはできない。

「やめろ!」

「――この上なく、美味だ」

「ヴェルフレスト! 見るな、聞くな。お前の怒りはトバイに力を与える。疾く、去れ! そしてこのことは忘れろ。エディスンの宝は戻ったのだ、二度と手放すな!」

 今度はグルスは、アドレアの弁舌をとめなかった。

「幾らでも歌え、我が魔女。お前が何か言えば言うほど、王子はお前に惹かれ、お前を救いたくてたまらなくなる。ああ、孤高の魔女の無力感もまた、美味いぞ。愛しい魔女よ」

 魔女の主の手は女の胸を離れ、頬に移った。優しい愛撫は女の肌に粟を立て、王子の心をグルスの望みのものに燃やさせる。

「アドレアに触れるな!」

「ならば答えを聞こう、ヴェルフレスト王子」

 トバイ・グルス=リグリスはにいっと笑った。

「〈風見の指輪〉を私に寄越すか?」

「俺は」

「駄目だ」

 指輪など要らぬ、アドレアを渡せと言おうとした彼を魔女が遮る。

「駄目だ、ヴェルフレスト」

 アドレアは繰り返した。腕のなかの女をグルスは奇妙な表情で眺める。

「これまで私は全て思い通りにしてきた。いや、ひとつだけそうならなかったものがある」

 男はすうっと目を細めた。

「アドレア。この女だけが私に逆らった」

 女を抱く腕に力が込められた。アドレアの口から苦しげな息が洩れる。

「しかしその屈辱も終わらせよう。可愛い我が魔女よ。私が怖ろしいか。この若者ならばお前を助けられるかもしれんぞ? 我が隙をつくことができたのは、盲目的な愛というやつだからな。さあ、助けてくれと懇願してみてはどうだ? お前のために指輪を渡せと」

「断る」

 アドレアは短く答えた。だがたったそれだけの言葉でさえ、グルスに対する彼女の声は震えた。ヴェルフレストはそれに気づいた。

「指輪はお前のものにはならない、トバイ」

「相も変わらず愚かな女よ。契約はいまだお前の右腕に残るというに」

「契約。あの――傷跡か」

 ヴェルフレストの脳裏に、寒い月の夜が蘇った。あのとき、彼の向かいに座ったアドレアが隠そうとした傷。ではあれが、邪な魔術のしるし。

そうだ(アレイス)。その強い契約の隙をついて逃れたはよいが、逃れきったと思っていたのは浅はかであったな。可愛いアディ」

 くっとグルスは笑う。

「エディスンの王宮内ならば、あの宮廷魔術師の結界がお前を隠すと思ったか? ああそうだな。私が魔術師であれば、見落としたかもしれん。だがアドレアよ、美しきお前の恐怖は妙なる調べだ。近くに現れれば、聞き逃しはせぬ」

 耳元で囁かれた言葉に、アドレアは身を固くした。

「もう一度問おう、王子。お前はこの美しき魔女より、あのような指輪の方が大切か?」

 グルスの唇がアドレアの頬に触れんばかりの位置でとどめられる。彼女が恐怖を見せればヴェルフレストがトバイの望みのものを――若き怒りと、〈風見の指輪〉を提供する危険性を知るアドレアはそれから顔を背けたいという思いと戦った。

「さあ、ヴェルフレスト・ラエル・エディスン。答えを」

 グルスはアドレアの心と身体を嬲りながら言った。

「俺は」

「ヴェルフレスト!」

「指輪など、要らぬ!」

 女の制止は、今度は届かなかった。

「お前が真にアドレアを解放するならば。いま、そうして得意げに(いだ)いているだけではない、契約とやらからも解放すると約束するならば、〈風読みの冠〉でも何でもお前にくれてやる!」

 アドレアの赤い瞳が絶望に閉ざされた。トバイ・グルスの目には満足そうな光が宿る。

「冠か」

 男は笑った。

「あれはドレンタルにやろうと思っていた。だが」

 考えるようにしたその顔には、次第に邪な笑みが拡がっていく。

「わざわざ手に入れてくれると言うのならば、断る法もないというものだな」

 ヴェルフレストはぞくりとした。

 自分は、怒りにまかせて、言ってはならないことを口走ったのではないだろうか。

 グルスは、ヴェルフレストの限界までねちねちと追い詰めた。若き恋を覚えたばかりの彼はこれまでよく耐えていたと言えるだろう。

 だが、いくら耐えていたところで同じこと。一度出してしまった言葉はもう取り戻せない。

 言霊はがっちりとそれを掴んで、離さない。


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