02 どちらなのかと思っているの
――その町の入り口と言える場所は一箇所しかなく、そうなれば、ここにやってくる者は必ず道の脇にある小屋の前を通りかかることになった。
もともとそれは門番、見張りのための小屋であった。
なかの窓からは町の入り口と反対側の街道を同時に眺められるように鏡で仕掛けがしてあり、不審者や侵入者を見落とさないようになっている。
だが、平和な昨今はそのようなものを小さな町に常駐させておく必要がなく、いまでは町には小規模の自警団があるだけだ。専属の門番などはいない。
それに、この町には守りがあるのだ。
聖なる邪な、守りが。
いまや放置されているだけの小屋の戸を叩く音に、その仮の住人はわずかに息をつくと、静かに立ち上がってのぞき窓から訪問者を確認した。もう一度息をつくと、それをぎっと開ける。
「丁寧なんだね」
現れた姿に、彼はそう言った。
「あなたは、魔術でこのなかに姿を見せることができるのに」
「前にも言ったけれど、お化けじゃないの」
それが返答だった。
「驚かせて惑わせる、そうしたいとは思っていないわ。――いまは」
「そうかな」
戸を閉めながら彼は応じた。
「充分驚かせてくれて、惑わせてくれていると思うけれど」
「死にたくはなかったでしょう?」
「そりゃあもちろん」
「なら、いいじゃないの」
女はするりと黒いローブを脱いで、自身の腕に抱えた。
「よくないよ。あなたの目的が判らない。メギル」
「目的」
メギルは繰り返した。
「殺すべき風食みの司を逃がし、こうして匿っていることの目的を問うの」
「へえ、自覚はあるんだ」
どうにもこのところ、皮肉が出る。ユファス・ムールの気質になかったそれも、さすがに最近は目覚めがちだった。
「逃がした訳ではない、匿っている訳ではない、司祭様のためだ……とでもくるのかと思ったけれど」
「誰かのためというのは、不思議なものだと思わない?」
金の髪をした女は言った。
「私はね、ユファス。ずっと自分のために生きてきた。私を……私の身体を欲しがる男がいれば、それに見合うだけの価値を返せる男かを見極めた。たとえばそれは、隣を歩かせるのに見場のいい男というだけのこともあれば、戦士や魔術師として力のある男でもあった。金や権力を持つ場合も」
「それが『目的』と何か関係が?」
ユファスが問うと、メギルはじっと男を見て、そして続けた。
「利害なんて関係なく愛した男もいるわ。けれど、彼らはみな、愛を返してくれた。愛したのも、愛してもらうためだったのかしら?」
ユファスはそれには答えなかった。答えを求められているのではないと思ったこともあるが、求められても答えられなかっただろう。彼も女性を愛しいと感じ、恋人を持ったこともあるけれど、愛というものについてあまり考えたことはない。
「リグリス様は違った。あの方は私を利用しようとする。彼には火の術が大切なものだから。私はあの方を愛するけれど、あの方はそうじゃない。でも、それでもかまわないと思った」
そんなことは初めてだった、と魔女は言った。
「そうなると、これまでの愛は偽物だったのかしら? ガルを愛しく思ったのは、彼の方でもそう思ってくれたから? 愛されなくても、私は彼を――彼らを愛したかしら?」
「女性の心は、僕には判らないよ」
問われているのではないにしても、形の上は問いかけだ。仕方なくユファスが返すとメギルは笑った。どこか寂しそうな笑いではあったが、冷えてはいなかった。
「そうね。判るふりをする男もいるけれど、知ったかぶりか見当外れの思い込み。男と女の問題ではないかもしれないわね。誰も他人の心なんて判らない。もしかしたら」
メギルは視線を遠く向けた。
「自分のものも」
「それで、あなたが本物の愛を抱く司祭に逆らう理由は」
ユファスは話を戻したくて問うた。
「何度も言うけれど、僕を気に入ったというような悪い冗談は抜きで」
ユファスはメギルの弁舌――そこには告解の雰囲気さえ、漂ったろうか――を遮るように続けた。
「あなたは、僕を邪魔者とする司祭殿を愛してる。それはご自由に。僕がどうこう言うことじゃない。もちろん、彼のために殺されるのは断るけれど」
「誰かの、ため」
メギルはまた言った。
「彼の望みは私の望み。何故かしら」
「理由なんて要らないんじゃないかな」
青年は何となくそんなことを言った。
「誰かを好きになって、一緒にいたいとか、好かれたいとか思うことに理由なんて要らないんじゃないか。時間が経つと、理由がほしくなるのかもしれないけれど」
言ってから青年は首を振る。彼の敵の恋人に匿われて恋愛論を交わすというのは、どうにも奇妙だ。
「あなたの話はそれなのか。それじゃ目的というのは、司祭様の心を試そうとでもしているということ? 僕を逃がしても罰せられずに済むか、とか」
「知られれば、殺されるわね」
火の魔女は淡々と言った。
「あの方は私を利用する。利用価値があるということ。けれど、何かでうっかり失敗をやらかしたというのではない、意図的に都合の悪いこと……言葉を濁すのはやめましょうか。裏切れば、殺される」
「裏切っただって?」
ユファスは眉をひそめた。
「これは、彼のためになる何かでもなく、裏切りだと? いったいどうして」
業火の司祭を火の魔女が裏切る。それは彼らにとっては有難いことのようだ。敵の腕が一本減るのだから。
だが、理由も判らなければ手放しで歓迎などできなかった。
ユファス・ムールがこの一件に関わったのは、弟のためだ。
恋仲になりそうだった給仕娘ライナのためもある。彼女を殺したのはメギルという魔女だ。
メギルはティルドの恋人をも殺し、ユファスを誘惑の術にかけて翻弄し――そして、囚われた彼を逃がした。
有難うと涙を流して感謝するはずもないけれど、単純に憎いの悪いのと言い立てることもできない、現状はそんなところだ。
「試すのかと言ったわね」
メギルは不意に、床に座り込んだ。ユファスは何か敷き布を探しかけてやめた。
「試しているのかもしれないわ。リグリス様ではない、私自身を。リグリス様のためになることって何かしら。何故私は彼に惹かれるのかしら。力を認められ、褒められることが嬉しいからだわ。子供みたいに」
「褒められれば嬉しいのは普通だろう。認められれば」
何となくフォローするようなことを言ってしまうのは、どうにも彼の性癖としか言い様がなかった。
「そうね。子供が親に『いい子だ』と言われたがるのと同じ。褒められなければ、子供は親の愛を得ようと必死になるものかしら。いい子であろうとする? それとも悪い子になって親の注意を引き付けようとするかしら?」
「後者を試みたと、そういう意味なのかい?」
「どうかしら。よく判らないわ、自分のことなのに」
メギルはユファスを見上げた。
「あなたを殺したくないのは本当。けれど、助けたために殺されたいとも思わない」
「でも、助けた」
「そうね」
メギルはうなずいた。
「判らないから。私が彼に呼ばれ、惹かれるのは得られない愛のためなのか。それとも火の精霊師に影響を受けているだけなのか」
メギルは静かに言った。
ケルエト。
その言葉を発したために、ユファスはリグリスの怒りを買った。
理由は判らない。
だが、その言葉が司祭に「風司」だからではなく、青年ユファス・ムールの死を願わせ、魔女メギルの裏切り――本当にそうなのか?――を呼んだ。
「火と火の相性がいいのは当然。私が彼に見たのはその力に過ぎないのかしら。そしてユファス、あなた」
男はそのまま女を見続ける。
「風と火も相性がよいわね」
「そういう話のようだけれど、風食みは火を消す。君たちには敵だろう」
「だから、どちらなのかと思っているの」
「どちらとは、どういう意味なんだ」
「あなたの反応は思いがけないものばかり。私を罵るでもなければ、私に欲望を覚えるでもない。新しい何かをくれる人。そんなふうに感じているの」
メギルはユファスを見上げた。
「あなたが与えてくれるそれは、破滅なのかしらね」
ユファスは答えなかった。答えられるはずもなかった。
多くの罪なき命を奪った魔女が彼に何かを求めている。
彼女を破滅させるもの?
それとも――救済するもの?




