11 取る道は決まった
「なのに何だか気になった。ティルドに会いに行ったのは神官たちに言われたせいもあるけど、言われなかったときも会いに行った。何だかティルドのこと知ってる気がして」
カリ=スは黙っていた。
「記憶が曖昧なせいで、以前に会ったことを覚えてないのかなとも思った。でもティルドの方はちゃんと記憶を持ってるみたいだから違うって思い直した。アーリって娘に似てるって言ってたけど、それはあたしじゃない。その子は死んだんですって」
やはり、カリ=スは黙っていた。
「アロダさん、言ってたわよね。あたしがアーリと……おんなじようなのだって。あれって顔が似てるってこと? それともほかに何か、あったのかなあ。実は知らないだけで親戚とかだったり」
「リエス」
砂漠の男は少女の名を呼んだ。
「お前は、お前だ」
「ん?」
自らがアーリに似せて作られたものだとは知らぬ少女は眉をひそめた。
「まあ、そうよね。あたしはあたしだわ。どうしてかティルドが気になるけど、それはそういう意味じゃなくて……ううん、カリ=スには嘘つくの、やめよ」
少女は呟くように言った。
「たぶん、好き。すごく。でもどうしてか判んない。〈恋はきっかけ知らず〉とかじゃなくて、最初からティルドを恋人みたいに感じてる。一目惚れだとしたってそんなの、おかしいでしょ」
「おかしいことはない。そう感じ、そう思うのがお前なのだ。ならばそれでよいだろう」
「うーん」
リエスは天を見上げた。
「そうなのかなあ。うん、そうかもね。神様がそう言うんだから、そう言うことにしようかな」
少女はまた悪戯めいた顔をしてカリ=スを神様扱いした。
「ティルドに魔女かって叫ばれたときはさ、けっこうつらかったのよ。でも向こうはこっちの気持ちなんか知らないし」
少年は少年で複雑なものを抱えていたが、それは少女には伝わっていない。
「ヴェルと行くって言ったときだって、行くならとっとと行きやがれ、でしょ? あたし、がっかりしちゃって」
「引き止めてほしかったのか?」
「まあ、そんなとこかな。あ、でもヴェルの方がティルドよりずっと格好いいと思うのはほんとよ。顔も態度も言うことなすことね。どうせ惹かれるならどうしてヴェルにしなかったのかしら、あたし」
「『げに不可思議なのは人の心よ』」
「……何、それ」
「兵士仲間に連れられて、小屋にかかった芝居を見に行ったことがある。その中の一節だ。よくできた恋物語であったな」
「男同士で恋愛芝居見に行ったの」
「いや」
その問いかけにカリ=スは肩をすくめた。
「同僚が気になる女性を誘う口実であったようだ。その後、上手くいって結婚もした」
「あ、それじゃその女性のお友だちも一緒だったでしょ。カリ=スの方はどうだったの? ちょっとは仲良くなった?」
年頃の少女らしくその手の話に顔を輝かせれば、男は首を振った。
「私はいまでも亡き妻を愛している」
「……あ」
その言葉はてらいなくまっすぐで、まるでリエスは自分が愛を告げられたかのように頬が赤くなるのを感じ──哀悼の印を切った。
「ごめんなさい」
「何を謝る」
「だって、無神経なこと言った」
「そのようなことはない。健康な男であれば、妻を亡くしても喪が明ければ次の妻を捜すべきだ。砂漠は厳しい。子供は簡単に死ぬ。だからわれわれに取って子を為すことは、『西』の地で後継のために言われるのとは違う意味で、重要な務めだ。だが私は次の妻を愛することができないと判っていたから、砂漠を出た」
「……カリ=ス」
リエスの脳裏にはまたも「ロマンだわ」という台詞が浮かんでいたが、さすがに気軽くそう言うのは躊躇われた。
「いいなあ」
代わりに彼女はわざと陽気に言った。
「あたしもそんなふうに一途に思われてみたい」
「ティルド少年なら、やってくれるのではないか」
「無理よ。彼も……たぶんカリ=スと一緒。死んだ恋人が忘れられないの」
それによく似てるらしいもの、と少女は続けた。
「思い出すのが嫌で避けるか、避けないとしても彼女の影をあたしに見るかでしょ。やあよ、一途じゃないわ」
「彼は乗り越える」
砂漠の男は死者の身体を持つ少女を見つめた。
「きっと、お前も」
「あたし? あたしは関係ないわよ」
リエスは鼻を鳴らした。
「でもさあ」
少女は話題を変えるように手を振った。
「いったいどうして、あたしにつき合ってくれる訳。ヴェルはエディスンに帰ったんなら、カリ=スはそっち行きたいんじゃないの?」
「彼は私の手の届かぬ場所にいる。北方という意味ではなく」
それがカリ=スの回答のようだった。リエスは鼻の頭をかくようにしてから少し笑う。
「その感覚はやっぱよく判んないけどさ、無理させてるんじゃなければいいわ。つき合ってくれるって言うなら」
第二案でも充分よ、とリエスは片目をつむった。
「さ、薬飲んだら出かけよ。あたしの用事が早く終われば、カリ=スだってエディスンに帰れるもんね」
ヒサラはリエスに薬を用意した。
それはごく普通の人間が用いる、協会でも売られているという類――頭痛や疲労を軽くするものや、魔術の余波による影響を取り去る――もあれば、この「リエス」と名付けられた生き物のためだけの薬もあるようだった。
魔術師は少女に何も少女自身のことを話さなかった。
彼が確かめたのは〈風聞きの耳飾り〉に何かを感じ取っていたかというようなことと、それが失せたかどうかということだった。
リエスに何か隠す意図はなかったから、彼女は正直に、しばらく頭が痛かったこと、耳鳴りのようなものを覚えていたこと、ティルドの叫びを聞いたように思うこと、などを語り、ヒサラの術の影響で気を失い、次に目を覚ましたときはそれらの感覚はなくなっていて楽に感じたことを話した。
魔術師はしばらく考えていたが答えが出なかったものか、はたまた彼らには判らぬ魔術の理による何かに気づいたか、少なくともふたりに説明めいた言葉はよこさなかった。
ただ、リエスに気づかれないように魔術師がこっそり砂漠の男に耳打ちしたのは、少女の身体はやはり魔術には耐えない、通常の暮らしならば適切な薬を飲んでいれば問題がないがとても旅には向かない、様子には気を使うように、というような、まるで病人に対する医師の忠告のようなことだった。
「実際、似たようなものです」
そのように言ったカリ=スに対し、ヒサラはそう答えた。
「適切な治療と薬がなければ、弱って死ぬ病。彼女はそれにかかっているようなもの」
「治療と薬」
「薬の方はどうにか調達します。本来は事情を知る私がやるのがいちばんですが、いかんせん時間がない」
ヒサラは謝罪の仕草をした。
「ですが、適切な者がいますから、任せられます。治療の方は、リエス嬢に何も知らせぬまま、診療所に閉じ込める訳にもいきますまい」
「知らせる気はないのか」
「知らないままでいられるのなら、その方が」
「ヒサラ」
カリ=スは静かに、しかし鋭く言った。
「知らないままで、いられるのか」
「……どうでしょう」
魔術師は嘆息した。
「正直に申し上げて、いったいどれだけ長く生きられるものかも」
カリ=スはじっと少女を見た。
「ヴェルは慣れぬ恋に手一杯で、彼が置き去りにした護衛と娘のことにまで頭が回らぬだろう。誰かが彼女についてやらねばならぬとしたら」
「あなた、ですか」
ヒサラは少し困った顔をした。
「こういうことを言えば冷酷と思われるやもしれませんが、カリ=ス殿。彼女は……作り物です。人間によく似ていても、真の意味では人間ではないのですよ」
「真の意味での人間とは何だ、ヒサラ」
カリ=スは返した。
「母の腹から生まれれば人間で、彼女はそうではないということか。彼女のような存在を作り出し、他者の命を奪うことを気にもかけない業火の神官が人間で、彼女は違うと言うのだな」
「意地悪を言いますね」
ヒサラは肩をすくめた。
「あなたは既に答えを持っている。ならば、その回答が私と異なっていても、言うべきことはありません。ただくれぐれも、ひとつだけ」
ヒサラは指を一本立てた。
「人間であろうとそうでなかろうと。巻き込まれた少女を守ろうという心がけはご立派だ。揶揄ではありません。本当にそう思います。ただお願いですから」
魔術師は苦笑めいたものを浮かべた。
「騎士精神は発揮されませんように。あなたはヴェルフレスト殿下に必要な方だ」
「無論、私はヴェルを守る」
カリ=スの返答に迷いはない。ヴェルフレストが戻ったというエディスンではなく、リエスとともにコルストへ向かっているというのに、男の答えには迷いも嘘もない。
リエスとともに行くことを決めたのはカリ=スだが、ヒサラは――リエスも――不思議に思っていた。カリ=スの選択は彼が第三王子を主として以来、常にヴェルフレストを支えるものであったのに。
しかしそれは彼にとって、〈ヒュラクスの紐〉――溺れそうな相手がふたりいて、救うための紐は一本、どちらを救うか迷って決められず、結局ふたりを死なせてしまう男の物語――のような選択ではなかった。
「主のために走れば少女を見捨てること」になり、「少女のためにとどまれば主を守れぬことに」なる、それは二律背反のようであったが、カリ=スは答えを見つけていた。
いま、彼の主は彼の剣を必要としない。
そしてリエスは、もしかしたら彼女が会いたいと望むティルドは、それを必要とする。
なれば取る道は決まった。
迷い、悩むことがないというよりは、答えの出し方を知っている、というのがラスルの男カリ=スの特性であったやもしれない。




