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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第1話 使命 第2章

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07 探してなかった訳じゃ、ない

 レギスの街に、夜が降りようとしている。

 ティルドは見慣れぬ道をほとんど走るようにして進みながら、波乱に満ちたこの二日を思った。

 この街にたどり着いたときは、楽勝に思えた任務にすっかり安心していた。

 それが、目指す商人宅の焼失、ひいては〈風読みの冠〉の紛失と思えた事実に愕然とし、盗賊に声をかけられて冠だの耳飾りだのと聞かされては協力を求められ、ローデンに泣き言――とは、当人は思っていないが――を言えば、冠を取り戻せときた。加えて黒鳩だの梟だの、である。

 ティルドはこれまで、かなり健全な生活をしていた。裏の世界の存在こそ知っていたが、足を突っ込もうとしたことすらない。彼が人に言えない話はせいぜい春女を買ったことくらいだ。もっとも、上官に連れられて認可された娼館を訪れたというようなことだから、たとえばリーケルには決して言えないが、罪ではない。

 もちろん、彼は法を犯すようなことはここにきてもやっていない。情報屋に金を払うのは別に違法行為ではないし、盗賊と話をするくらいなら、一緒に盗みにでも入らない限り、捕まるようなことはない。

 だが、このまま進めば暗い道に足を踏み入れることになるのではないか、という密かな不安はあった。

(冗談じゃない、けどな)

 もし、冠を取り戻すために法を犯さなければならなかったらどうすべきだろう、とふと思った。それは彼の任務である。余程のこと――ぞっとする話だが、人殺しとか――をやらかしても、エディスンでは咎められないだろう。公爵にして宮廷魔術師のローデンが彼に命じたことである。

 だがここはレギスだ。ストラス王はエディスン王を怒らせたくないかもしれないが、レギスの町憲兵が彼を捕らえる前に王陛下に伺いを立てるはずもなく、罪を犯して捕まれば、彼は断罪されることになる。

(恨みますよ、ローデン様)

 この日だけで言い飽きるくらいに魔術師に対して呪いの言葉を吐いた彼は、ぴたりと足をとめた。

(――拙い)

 ぐるりと周囲を見回す。

(これは……)

(迷った)

 今度は自身に呪いの言葉を吐く。

 見慣れぬ街、しかも夜となれば当然のことであろう。だが当然のことだと納得することもできず、彼は自分を罵り続ける。いささか苛立ってもいただろう。

 空を見上げれば北の空に(ヴィリア・ルー)が照っている。しかし、ろくに道を知らぬ街で方角が判っても大して役には立たなかった。少年は嘆息するときた道を引き返そうとし──そこがほとんど街灯のない、薄暗い道であったことに気づいた。

(よくないな)

 レギスの治安についてはよく知らないが、かなり安全な街であっても明かりのない夜道をひとりで歩けば、襲ってくださいと言っているようなものだ。彼は剣を帯びてはいるが、正面きって堂々と挑みかかられればともかく、背後からそれこそ盗賊(ガーラ)に短剣でもつきつけられれば、有り金を差し出すしかない。

(やばい)

(手元の袋に金を移すのを忘れてた)

 差し出された金が少なければ、盗賊は考えを変えて身ぐるみ剥ごうとするやもしれない。ティルドはそう考えて舌打ちをする。

 何にしても、状況はよろしくなかった。こうして、いかにも道に迷ったように──実際、迷ったのだが──足を止めてきょろきょろしているというのも、狙われる要因になりかねない。少年は何事もないように歩きはじめた。慣れたふうに歩いていれば、いずれ大通りにたどり着くかもしれない。

 だが、そうして演技をはじめたときは遅かった。突如、彼の右肩に手がかけられ、少年の心臓は跳ね上がる。

「どこへ行くつもりだ?」

 野太い声に血の気が引くのを感じた。

「黙って、おとなしく」

 金の心配と命の心配と、安全な場所でなら笑ってしまうような貞操の心配が、一(リア)本気で少年の心を駆け抜けた。小柄な彼をクジナの男が好みそうだとからかわれたことが幾度となくあるのだ。

 だが声にそう言った類のおかしな色は混じらず、その代わりにため息が混じった。

「〈朱い山頂〉で待ってりゃいいものを」

 少年は目をしばたたいた。声に聞き覚えがあることに、ようやく気づいたのだ。

「──ハレサ?」

そうだ(アレイス)

 月明かりの下にあるその顔は、確かに昨夜に出会った盗賊である。冗談にも清潔とは言えない格好と、ぼさぼさの頭。

「どこに行くんだ? 俺を捜してたんじゃないのか」

「……何で知ってるんだよ」

 ティルドは肩に乗せられたままの手を振り払って言った。

「あんた、俺を」

 少年ははっとなった。

「見張ってたのか!?」

「できればそうしたかったが、お前に張り付いていられるほど俺は暇じゃなくてな」

 ハレサは肩をすくめると、どこへ行くんだとまた問うた。

「……あんたには関係ないと言いたいとこだけど」

 道に迷ったのだなどとは断じて言いたくない。ティルドは適当な理由を思い浮かべようとしたが、うまくいかなかった。

「……まあ、あんたを探してなかった訳じゃ、ない」

 仏頂面でそんなことを言えば、盗賊は面白そうに片眉を上げる。ばれただろうか、と思うと少し悔しかった。

「何でもいいさ」

 だがハレサはティルドの失敗に気づいたとしても、それを指摘して少年の反感を買うことは避けた。

「向こうに行けばもう少し明るい。この先なら、そうだな、いい酒場があるぞ」

 そう言うと盗賊は、少年の手を引いた。

「触んなよ」

 何となくそんなふうに言ってティルドはその手を振り払った。子供のように手を引かれて歩くなど楽しくはない。先ほどの恐れを見て取られたようで、嫌だったのだ。

「いいだろう。ならしっかりついてこいよ、きょろきょろふらふら、するんじゃないぞ」

「馬鹿にすんな」

「馬鹿同然だろうが。こんな場所をひとりでうろついて」

 そう言われれば返す言葉もない。ティルドは小さく呪いの言葉を吐いたが、それが魔術師宛てか自分宛てか、はたまた目前の盗賊宛てかは、自分でも判断がつかなかった。

「どうして俺の居場所が判ったんだよ」

「通りかかったんだ」

「嘘つけ」

 たどり着いた〈清らかな雨〉亭は、品のいい店だった。きれいな内装に、きちんとした服を着る給仕たち。彼らは、高級店のように制服というようなことはなかったが、お揃いの青い前掛けを身に付けている。成程、〈朱い山頂〉亭のような猥雑な場所と違って、ここならば若い娘でも安心して入れそうだなとティルドは思い、盗賊がひとりであることに気づく。

「あれ、アーリは?」

「仕事だ」

「仕事、ね」

 ティルドは唇を歪めて繰り返した。

「会いたかったか?」

「別に。おっさんの顔見てるよりは女の子の方がいいかなと思っただけ」

「誰がおっさんだ」

 ハレサは、前日にアーリに言ったような文句を言った。

「俺の倍は生きてんだろ。立派におっさんだ」

 ティルドもまた、少女盗賊の言葉を思い出して同じように返す。ハレサは唸った。

「可愛くないガキどもだ」

「その可愛くないガキに協力を頼みたいんじゃなかったっけ?」

 少年が澄まして言うと、盗賊はにやりとした。

「一晩よく考えて、ようやく協力する気になったって訳か」

「こっちにも事情があってね」

 宮仕えの身に選択肢はないんだよ、などと言ってティルドは顔をしかめた。ハレサは笑う。

「冠を取り戻すまでが任務だと悟ったか?」

「まあ、そのようなもんさ」

 悟った訳ではないが、そう命じられた。

「お前さんは、冠が溶けていないことへの根拠をほしがってたが、それはいいのか」

「俺が知るかよ」

 少し自棄になってティルドは言った。

()が、冠は無事だと言うんだ。何で判るのか知らないけど、魔術師には判るんだろうさ」

「ほう、魔術師。成程、魔術師と連絡を取ったのか。上官が宮廷魔術師とはね」

 計るような口調でハレサは言った。

「昨日も言ったように、俺の直属の上官は軍団長だよ」

 嘘をついたと思われてもたまらないと、ティルドは返す。

「ただ、この件に確かに、クソ魔法使いが関わってる」

 ティルドはまたもローデンを罵った。


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