09 よい機会だとは思いませんか
「いまからでもフィディアル神殿に鞍換えた方がお前のためじゃないかね。もっとも、創造神の使徒をふたりも焼き殺してる精霊師兼業火の使徒なんざ、いくら救済と許しが仕事の連中だって、腹に据えかねるだろうが」
「あれはオブローンの御為とリグリス様は言われましたし、彼らの望む神の御許へ行ったのだから彼らにも喜ばしいことだとメギル様が」
「成程ね。ものは言いようって訳だ。お前は人の言葉を鵜呑みにしすぎだよ。まあ、リグリス様はお前に言うことを聞かせようとそう育てたのかもしれんが、やっぱりいまでは後悔されてると思うね」
「後悔」
またサーヌイは肩を落とした。期待されていると思っていたのに、ラタンの言葉は厳しいものばかりだ、と。それが「鵜呑みにしすぎだ」ということだとは、青年は理解できない。
「サーヌイ」
ラタンはふと、声の調子を上げた。
「何でしょう」
話題が変わるようだ、とサーヌイは首を傾げる。
「お前は、メギルとリグリス様ならどちらを選ぶ?」
「……は」
気の毒に、純真すぎる青年はぽかんと口を開けるのが精一杯というところだ。
「これも難しかったかな」
ラタンは乾いた笑いを見せた。
「お前の両親のことは、どうだ」
「は」
やはり判らぬ話題にサーヌイはぽかんとしたままだ。
「どこかで幸せに生きてると思ってるらしいな。とんでもない。とっくに冥界だか獄界だかに行ってるぜ、お前をリグリス様が『拾った』すぐあとに、火によってな」
「まさか」
若者は眉をひそめた。まるでラタンが下品な言葉でも口にしたかのような反応だった。
「『まさか』で終わらせる気か?」
何らかの激烈な答えを期待していた青年は呆れた顔をした。
「リグリス様が手にかけたと、言ってるんだぞ」
理解されていなくてはもとも子もないと、ラタンは噛み砕いたが、それがサーヌイの表情を変えさせることはなかった。
「何を言っているのか判りません、ラタン殿」
ラタンは天を仰いだ。
「どこが判らないってんだ? お前の両親も泣いてるぜ、不孝息子にな」
「ふ、不孝でしょうか」
サーヌイは顔を曇らせた。
「私が送るべきだったのでしょうか?」
「――何?」
「ラタン殿が言われるのはそういうことでは?」
先輩神官の不審な声にサーヌイは首を傾げた。
「リグリス様の火に送られたなら間違いなく冥界ではなく獄界の、オブローンの御許にいるでしょう。ならばそれは感謝すべきことですよね」
「……サーヌイ」
「ですが、僕も聖なる火を使えるのだから、僕がやった方が孝行になったろう、そういうお話ではないのですか?」
その問いにラタンは沈黙した。
彼は別に、この純粋なる青年神官と主たるリグリスの間に亀裂を産もうなどと考えている訳ではなかった。ただちょっとした意地悪を言ってやろうと思っただけだ。
だがそれは怒りでも否定でも、戸惑いですらなく、まっすぐに――本当はとても捻れているのに、そうは思えないほどまっすぐに、返された。
ラタンはほんの一瞬、戦慄のようなものを覚える。
「……その話はよそう」
自分がはじめた話と、それが呼んだ自身の感覚を忘れようとするかのように、ラタンは手を振った。
「とにかく〈風読み〉だ。継承の支度を続けろ」
「私は」
サーヌイは迷うような様子を見せた。
「あなたは、利益のために動くだという言い方をしましたね」
ゆっくりと言う若者にラタンは舌打ちした。自己犠牲を尊しとする――八大神殿の――神官には望ましくない考えだろう。
「オブローンのために。リグリス様のために。あなたの、そして私のためになると」
しかし若者の反応はラタンの予想したそれ――激しい反発、または嫌悪――とどこか異なるようだった。
「ラタン殿」
「何だ」
「私は確かにメギル様に好意を抱いています。それは認めますが、決して邪な意味ではありません」
ラタンは、サーヌイがどこまで「邪な意味」を理解しているのか訝ったが、それについては口を閉ざした。
「彼女と冠のことは私が見ています。かまいませんね?」
「何?」
突然の言葉にラタンは少し戸惑った。
「それから」
いつも気弱な神官は、しかしこのとき、まっすぐに年上の後輩神官を眼で見た。
「あなたにもう一度だけ、機会を」
「……何だと」
ラタンは、気圧されそうになっている自分に少し驚きながら返した。
「あなたはカリ=ス殿に正体を見抜かれ、王子の信頼を得ることができなかった。あなたはティルド殿とカリ=ス殿相手に劣勢となり、私の助けを求めた。思わぬ事故につきましては、わたくしの失態もございましょうが」
若者は続けた。
「敵前逃亡せざるを得なかったことを私の火のせいにしなかったことは上出来ですが、簡単に例の道具のせいにしてしまうというのは少々……どうでしょうね」
「サーヌイ、お前」
「そして決定打。あなたは風聞きも娘も取り戻せないまま、こともあろうにカリ=ス殿がそれを破壊するのをとめられもしなかった」
「――何故、知る」
「やはりそうなのですか。想像してみただけですけれど」
「かまをかけたのか」
ラタンの顔は軽い驚きから驚愕へ、そして苦いものへと変わっていった。
「失礼ですが、はっきり言わせていただければ、ラタン殿。少しばかり神力があると言っても、それを頼みにして人と関わることを怠ってきた。私など、与し易しと思われていますね。何も知らぬ、純粋培養の愚か者だと」
「……サーヌイ」
ラタンはじっと年下の神官を見た。そこには、これまで彼が見たことのない色があった。
「判りますか、ラタン殿。僕が本当に、オブローンを信仰していること。獄界神は、七大神のような崇拝など必要としてはいないと言いましたね。ですが信仰とそれを示す形は様々です。判りますか」
サーヌイは、彼らにとっての聖なる印を切った。
「あなたが私を哀れむのではない。私があなたを」
若者は笑みを浮かべた。それがどれだけ冷酷な微笑みだったとしても、ラタンの顔をひきつらせることはなかったろう。
「許します」
サーヌイ・モンドの顔には、慈愛に満ちたとしか言えぬような、曇りなく暖かい笑顔が映っていたのである。
ティルド少年がサーヌイに対して考えた言葉が、このときラタンの内にも浮かんだ。
狂信者。
リグリスの教育は、思わぬものを生み出している。
「ラタン殿。汚名を返上する機会を用意しましょう。オブローンのために」
「ほう」
年上の男は笑うようにした。何とかできたようだった。
「お前が用意するというのか?」
「ええ」
込められた皮肉は受け止められぬまま、ただまっすぐにサーヌイからの返答があった。
「リグリス様はお忙しい。あなたが、あの方の叱責を避けるために、私を盾に使おうとしてもお気づきにならぬほど」
「お前は、気づいたか」
「それほど白痴ではないのですよ」
サーヌイは穏やかな表情のままで言った。
「とんだ食わせ者という訳か? 俺はまんまと、その純真なツラに騙されたと」
「騙すなんてとんでもない。私の言葉、私の思いは全て真実です。私がオブローンを信仰し、リグリス様を尊敬する、それが即ち与し易いということではないと、言うだけ」
「俺はこのところ、外れ籤ばかり引いているようだな」
ラタンは首を振った。
「王子だけならまだしも、あの砂漠の男が厄介だった。ガキを相手にしたときも同じ。風聞きの件も……ああ、俺の籤は全部、あの男が駄目にしてくれているか」
「それです」
サーヌイはうなずいた。
「あなたは、彼を放っておきたくはないと、お思いでしょう?」
「――サーヌイ」
若い神官はあくまでも穏やか、かつ誠実に見え、ラタンはリグリスにはっきりと命令を――その男を殺せと言われるよりも、薄ら寒いものを覚えた。
「また何か道具を……万一にも風読みを壊されでもしてご覧なさい。リグリス様のお望みが果たせなくなります」
「何だと?」
ラタンは片眉を上げた。
「お判りになりましたか?」
サーヌイは嬉しそうに笑んだ。
「あなたは少し先走りましたけれど、決して愚かではありませんものね。そうです」
うなずいて、サーヌイは続ける。
「例の風聞きの――蓮華の少女が望んだのでしょう。カリ=ス殿は、ここコルストへ向かっておいでですよ」
「カリ=ス」
ラタンは呟いた。
「あれを殺れと言うんだな」
「オブローンの御為です。彼が信じるのは砂神ですか? 灼熱の地の神ですね。人々を苦しませる力も持つ。オブローンとはもしかしたら、相性がよいかもしれません」
思いついたようにサーヌイは言うと、少し拡大解釈だったろうかとでも言うように、はにかんだ笑みを見せた。
「どうです、ラタン殿? よい機会だとは思いませんか?」
「思うようだな」
ラタンはかすかに笑った。
「汚名の返上などと言われずとも、俺はあの男に散々邪魔をされた。今度こそ、決着をつけてやろう」
「オブローンの祝福を」
サーヌイは流れる仕草で印を切った。戦神の神官が戦いに赴くものに祈りを捧げるように。
ラタンはほとんど無意識でそれを返しながら、予想だにしていなかったサーヌイ青年の言葉よりも、忌々しい砂漠の男への恨みを晴らせる好機に、暗い笑みで悦んだ。




