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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第7話 契約 第4章

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05 微かな希望

「サーヌイの話を聞いたわ。夜明けに叩き起こされたんですってね。疲れたでしょう、休んでおくといいわ」

「大きな世話だ」

「そう言わないで。体力が要ることだって、あるわ」

「――はっ」

 少年は唇を歪めた。

「スーランはいま、いないの」

 突然メギルはそんなことを言った。

「どこ、行ったんだよ」

 話題がどう繋がるのか判らないままでティルドは返した。

「さあ。エディスンではないかしら。報告をしに」

「ローデン様に?」

 ティルドは乾いた笑い声を立てた。わざわざ宮廷魔術師にご報告に伺うのがいまだに奴の義務――制約とか言ったか――なのだとしたら、ものすごい皮肉である。

 魔術師同士はどうとか言い訳のようなことを言っていたが、のこのこと報告などに現れた裏切り者(ラゲンド)をローデンがにこやかに迎えるはずもない。

「ローデンのところとは思わないわ。報告は上げるでしょう、縛られたままだから。けれど、だからこそエディスンに行って、そこから術を使うのではないかしら。こちらの場所を特定させないためか」

 魔女は肩をすくめた。

「違う理由かもしれないわね。あの男は必ずしもリグリス様の下僕じゃない」

「〈裏切り者の忠心〉てやつか」

 少年は、決して信じられないことを表現する言い方を使った。メギルは首を振る。

「裏切った、というのとは少し違うでしょうね。あの男は最初から同じ相手に仕えているのだから」

 騙した、(たばか)ったという辺りね、と魔女は言った。

「とにかく、スーランはいない。そんなものを大事に持っていても無駄」

「何?」

 どんなものを持っていると言われたのか、少年は判らなかった。

「以前に持っていたものとまた違うのね。魔除けの石よ」

「……ああ」

 砂漠の若者になかば押し付けられた円盤状の石のことなど、忘れていた。

「それはあなたに害を為そうとする魔術を忌む。もしスーランがあなたを傷つけようとしていたら、彼の魔術は弱まったでしょうね」

「何が言いたいんだ」

 ティルドは鋭く口を挟んだ。

「アロダがいなければ、何だってんだ。アロダ以外にも魔術師はいるじゃねえか」

「そうね、私がいるわ。でもあなたに手をかけるのは私じゃない。リグリス様ご自身か、サーヌイかしら」

「魔術師じゃない相手には役に立たないって?」

「オブローンに仕える神官が身につけた神術は魔術とよく似ている。だから、効くわ」

「……何が言いたいんだ」

 彼は繰り返した。

「リグリス様とサーヌイは、魔術師とも神官とも違う力を持つ。――どうして気づかなかったのかしら」

「どんな力だろうと知るかよ! 相手が誰だろうが、俺には関係ねえ」

「魔除けを頼りにしている訳ではないのね」

「持ってるのなんか忘れてたくらいだ」

 少年が正直に言うと、魔女は笑った。

「不思議。外見はよく似ているのに、言うことはユファスと全然違う」

「兄貴のことを口にするな」

「ごめんなさい」

 素直な謝罪にティルドは口ごもった。

 何か、おかしい。ちぐはぐだ。

 奇妙なのはメギルか、自分か?

 アーリを殺した女。

 ユファスを――殺した。

 本当に?

 本当にそうなのなら、何故彼は、この女と呑気に言葉を交わしているのだろう。

 剣がなくても、相手が魔女でも、何か手酷い魔術を食らう結果となっても、これまでの彼ならば前後の見境なく飛びかかっているはずだ。

 火の魔女メギル。

 年若い彼の、ほとんど全力に近い拳を腹に受けた――。

「……腹、平気か」

 思わずティルドが言うと、メギルは少し笑った。

「おかしいわね、お兄さんの仇と殴りつけておいて、その具合を気にするの」

「俺は」

 ティルドは唇を歪めた。

「……兄貴が、怒るさ。魔女だろうと何だろうと、女を殴るなんて」

「そうね。彼は私を斬るといって、結局、斬れないまま。優しい人ね。それは心弱いということにも、なるけれど」

「何だよ」

 少年はむっとした。

「んな言い方あんのかよっ」

「人を傷つけたくないと言うのは優しいようで、やっぱり弱いのよ。自分が傷つきたくないと言うのと同じだから」

「それが悪いのかよ」

 ティルドはメギルを睨んだ。

「誰も傷つかずに済むなら、それに越したことないだろ」

「そうね。でもそうはいかないものでしょう」

「……待てよ。いったい何の話、してんだ」

 はたと気づいて少年は言った。そんな哲学めいたことを語り合いたいとは思っていない。メギルは少し笑うようにした。

「誰も傷つけたくなくてもやっぱり自分がいちばん可愛いものだ、という話よ」

「訳が判らねえぞ」

 ティルドは唸った。

「そう? それじゃ判りやすくしましょうか。リグリス様はオブローンに仕えるために風読みの力を欲していらっしゃる。私はあの方のために、何でもするわ。それが私のよりどころだから」

「よりどころだって?」

「判らない? 心の支えとでも言い換えましょうか?」

「んな……そんなもんのために、殺したのか?」

 理解できないとばかりにティルドは言った。

 そんな曖昧なもののために多くの命を奪ったのか。

 たくさんの人の命。彼が知るだけでもポージル一家、アーリ、それに、ユファスの。

 いや――どうなのだ?(・・・・・・)

「それがないと崩れてしまうというような思いは、あなたに浮かんだことはないのね、きっと」

 そう言ったメギルは答えを求めておらず、ティルドも答える気はなかった。

 理解できない。

 それは少年の若さ故か、それとも年を重ねても彼には思い至らぬ事柄か。

「何で……黙って殴らせたんだよ」

 彼はそれを問うた。気になっていたことだった。

「不満なの?」

 メギルは少し笑うようにした。

「殴りたかったんでしょう。だから殴りかかって、そして殴れた。よかったじゃないの」

 まるで他人事のようにメギルは言った。

「避けられただろうって言ってんだよ! 俺に魔術をかけることだって」

「スーランがいたから」

 魔女は言った。それが答えのようだったが、少年にはよく判らなかった。

「何で、あいつがいると殴られんだ?」

「彼はね。私がユファスに惹かれたのだと思っている」

「おい、つまんねえ冗談言うとまた殴るぞっ」

「スーランが思っているのよ、私ではないわ」

 ティルドはメギルの言葉に何だかごまかされているような、いや、メギルは事実を言っているだけだと思うような、矛盾した思いを覚えた。

「ラタンだけの前ならば。あなたを嘲笑い、ユファスを貶めるようなことを言う方が、魔女らしかったでしょうね。でもスーランはそんなことをすれば演技だと……思う」

「ちょっと待てよ。それって、お前、やっぱ、まさか」

 そんな予感がある。だが、まさか。それは予感よりも儚い、抱いた結果が絶望に変わることも有り得る、あまりにも微かな希望にすぎないのではないか?

 この女は、彼の兄を殺したふり(・・)をしているとでも。

 まさか!

「あなたの命は、長くてあと数日ね」

 不意にメギルは言った。まるで、ティルドに脳裏に浮かんだものを追い払うかのように、冷たく。

「祈りたい神様がいるなら、聖印を持ってきてあげてもいいわよ」

「親切なこった。要らねえよ、神サマなんか知るか」

 ティルドは吐き捨てるように言った。

「そう、それじゃ」

 メギルは踵を返した。

「また、あとで」

 ――あと。

「メギル」

 去ろうとする魔女の姿に、彼は呼びかけた。

「俺は……てめえを許したり、しねえからな」

「でしょうね」

 短く答えるとメギルは扉を閉めた。閉ざされた扉をじっと見つめながら、ティルドは考える。

 メギルは、何と言った?

 いや、言わなかった。何も。

 そして彼にも、言わせまいとした。

 浮かんだ疑念も、その答えも。

 あの魔女は本当に彼の兄を――風食みの司を炎で殺したのだろうか?


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