04 無茶はやめることよ
広い部屋は、閉じこめられたという感じがする場所ではなかったが、ティルドは自分の境遇について何か考える余裕などなかった。
首飾りの入った荷袋はラタンに取り上げられたが、それももう、どうでもいい。
ユファスが死んだ。
信じられない。身内が死ねば知らせると言われているラファランは、弟に触れていかなかった。
それとも、気づかなかっただけだろうか。導きの精霊が、兄の死を弟に告げていたのに。
「ユファス」
嘘だ、と心は繰り返した。
信じない。騙すつもりだ。
だが――そんな嘘に何の意味が?
結果的に少年は抗う気力をなくしたが、それはあくまでも結果であって、激高して手がつけられなくなると予測する方が自然だろう。むしろ、ユファスの死など隠しそうなものだ。
まさかこの連中が誠実に、「兄の死は弟に伝えるべきだ」と考えたとも思えなかったが、しかし、もしかしたらそうなのだろうか。
かつてティルドはアロダに怒鳴った。カトライ王の危篤――と言えるような状況だった――をヴェルフレストに隠すなと。アロダはそのことを覚えていたのだろうか。
「嘘だ」と言い張る気持ちと、「まさか」と怖れる気持ちが少年のなかで拮抗していた。
少なくとも、嘘を告げることに彼らの利が見つからなかった。
(お前の行動が)
(彼らに利することになってもいいのかい)
(だって兄貴)
(どうすればいいんだよ。俺、ユファスを救うために首飾りを持ってきて)
(ティルド)
(考えるんだ)
「何を考えればいいんだよっ」
座り込んでいた少年は、どん、と床を叩いた。
「ユファス! そんなん……ねえよ! 何でお前が」
両親の死に、アーリの死に、泣きじゃくるティルドを抱いた手はない。今度はその手が、失われた。
「信じねえ! 絶対」
声は虚しく室内に響く。
〈風読みの冠〉。
見たこともないそんなものを追いかけて、たまたま手にした腕輪のために、彼とともにいた少女は死んだ。
仇を討つと魔女を追い、その果てに、彼とともにいた兄は死んだのか。
風司。
継承者。
そんな、訳の判らないもののために。
「――リグリス!」
少年は叫ぶとばっと起きあがり、扉に向かった。当然と言おうか、施錠がされている。
「開けろ! 出しやがれ! リグリス、てめえ、業火の司祭! てめえが元凶だ、てめえがおかしな手ぇ出さなきゃ俺はとっくにエディスンに戻ってるし、アーリはレギスから出てないし、兄貴はアーレイドで――そのまま」
ティルドは開く気配のない扉に身体をもたせ、ずるずると下まで落ちるようにしゃがみ込んだ。
アーリをレギスから連れ出したのも、ユファスをアーレイドから連れ出したのも、ティルド自身だ。
もちろん、彼は反対をした。くるなと言った。帰れとも。
彼らは聞かず、命を落とした。
「どうして……」
どうして、こんなことに。
がっくりと戸に体重を預けた少年は、それが外側に開いたとき、結果として前につんのめることになった。
「ティルド」
「――メギル」
彼の恋人と兄を殺した女。
リグリスに怒りを向けていた少年は、瞬時、魔女への憎しみが戻ってこない自分を奇妙に思った。
「私を殺したい?」
「殺されに、きたのかよ」
「生憎と」
魔女は首を振った。
「次にあなたが何かすれば、次は、魔術を使うわ」
「はっ」
少年は体勢を立て直そうと立ち上がり、少し距離を取ってメギルを睨みつけた。
「俺も燃やすか。できるもんならやってみな。俺には――」
彼は、そこではっとなった。
「ティルド」
メギルは彼の名を呼んだ。彼の言葉を制するように。
「悪いと思っているのよ。あなたには、こんな言葉は何の意味もないでしょうけれど」
「……どうして」
「聞いて。あなたは怒るでしょうけれど、私は本当に……あなたのお兄さんのことが好きになりそうだった。リグリス様を愛しているのに、そんなふうに思う自分が許せなかった」
「待てよ。そんな話聞きたいんじゃ」
「聞いて」
メギルは強く言うと、すっと少年の方に歩を進めた。
「――スーランは、気づいていると思う」
ほとんど耳元で囁くように、メギルは言った。ティルドは目をしばたたく。
「何だって?」
「彼は……魔術師だから。私の力を知ってる。限界も」
メギルは炎の使い手だ。
ティルドは二度に渡ってそれを目撃している。
一度目は、アーリ。
二度目は、ピラータの酒場を燃やし――その火を、彼と兄とで、消した。
その兄がメギルに燃やされたのだとしたら。
――〈風食みの腕輪〉の力は、何処へ行った?
「俺は」
喉の渇きを覚えながら少年は言った。
「俺は、お前の火を避けた。二度。ユファスには同じ力が」
「同じではないわ」
メギルは彼から身を離して遮った。
「似ていても違うの。あなたは冠、頭上に戴くものを継承する。王様と同じよ、ほかの風具に、臣下にするような命令ができる」
「ほかのなんかいい。兄貴が持ってるのは」
「持っていなかったの」
メギルはまた、遮った。
「あなたは遠くにいる臣下を使えても、それぞれの司は……道具から離れていれば力を持たない」
持っていなければ力は発動しない。
本当だろうか?
有り得る話だ。ティルドだけ違う。もっともだ、という気もする。
と言うよりも「もっともらしい」。
そうかもしれない。だが、誰がそれを知る?
「メギル、お前」
「黙って。聞いて、と言っているでしょう」
魔女はまた、遮った。
「あなたを逃がす訳にはいかない。風読みの継承者。風神の祝福を受けた道具は、もはや全て顕れた。それらを探すためにあなたを生かしておく理由はもうなくなったの、ティルド」
「それじゃ」
何を言われているのだろうと考えたティルドは唇を歪めた。
「俺を殺しにきたって訳か」
「まだよ」
「まだ」
「そう。もうすぐ」
「もうすぐ」
ティルドは馬鹿みたいに繰り返した。だが、何を言っていいのか判らなかった。頭がぼうっとしている。
別に魔術をかけられた訳ではない。
何が起きたのか、起きているのか判別がつかなくて、考えごとや複雑な推測などしなれない頭が、必死の回転に抗議するようにちかちか瞬いているだけだ。
これは――もしかすると。
しかし、まさか。
だが、そうであれば――。
「殺されるまでおとなしく待ってろって言うのか」
まとまらぬ考えのままでティルドは声を出した。
「そうよ」
メギルはまた言った。
「決して逃げ出そうなんて考えないこと。お兄さんは、そうしようとして死んだわ。いい? 無茶はやめることよ。ここにはあなたの味方なんて誰ひとりとしていないのだから」
「んなもん、期待してねえよ」
「そうよね」
魔女は同意した。
「何かほしいものはある?」
「はあっ?」
「殺されると判っていながら不自由をさせるのは可哀相だと思って」
「剣を返せ」
「それはちょっとね」
「なら聞くなよ!」
「スーランに呪いくらいなら届けてあげるわ」
「そりゃ、いい。とびっきりのやつをやっといてくれ」
鼻を鳴らして少年が言えば、メギルは笑った。




