03 俺は、信じねえ
目の前が――真っ白になった。
アロダはいま、何と言った?
(お兄さんは亡くなられました)
蘇ってほしくない言葉はこれ以上ないくらいはっきりと、ティルドの内に蘇る。
(ティルド)
続いて蘇るのは、兄の声だ。
(ティルド、無事か)
(お前が決めるんだ)
(大丈夫だ)
(僕は)
(ここにいるからな)
言葉はぐるぐると頭を巡った。
(お兄さんは)
(亡くなられました)
「嘘だっ」
「おや」
「ふざけた嘘、つくんじゃねえ! 兄貴が死ぬもんか!」
叫ぶ声は、震えていただろうか。
「参りましたね。ご遺体の確認をと申し上げたくても、あの焼け具合ではちょっと」
「ふ――ふざけんなっ!」
「こんなことでふざけませんよ、私だって残念なんですがねえ。よい若者でしたから」
「てめえ」
ティルドは、重くてどうしようもない剣を持ち上げるのを諦めると、それを捨てて一気に魔術師の前まで距離を詰めた。驚いたアロダが反応しきる前にその両手をひっ掴み、背後で腕を捻り上げる。
「痛い、痛いですよ、ティルド殿」
「てめえ、契約はどうしたんだよ! 俺が戻るまで」
「あのですね、聞いてくれますか。魔術師の口先なんか信じるもんじゃないんですよ。こちらは玄人であなたは素人。いくらでも捻れた契約を交わせるん」
「ざけんな! 信じねえぞ俺は! ユファスに何かあれば判る、絶対に判る!」
「そう思ってるなら手を離してくださいよ。ティルド、あなた、言うこととやることが矛盾してます」
「魔術なんか使わせねえためだ」
「あのですね。両手が使えなくたって術の行使はでき……あいたた、やめてくださいってば」
嘘だ。
嘘に決まっている。
彼はカッとなったままでそう考えた。
この魔術師はずっと彼ら兄弟を騙してきた。
いまだって――同じだ。
決まっている。
「ラタン殿、サーヌイ殿、何黙って鑑賞してんです。どうにかしてくださいよ」
「お前の問題だ、お前で片づけろ」
「乱暴はやめてください、ティルド殿」
あっさりとラタンは切り捨て、サーヌイはおろおろした。
「ふざけんなっ!」
ティルドはただ、声を限りに叫んだ。耳元で叫ばれたアロダが顔をしかめるのは、背後にいる彼には見えない。
「ユファスを殺したと言われて、そうですかと納得するはずがないだろ!」
「私が殺したとは言ってませんよ」
「誰だって同じだっ。嘘だって言え、いますぐ!」
「言ったからってお兄さんが生き返る訳じゃ、あいたたっ、それ以上は本当にやめてください、折れたらどうすんですかっ」
「いくらでも折ってやる、てめえのそのふざけた態度と嘘つきが改まるんならな!」
「改まらないし事実ですよ」
「嘘だ!」
「困りましたねって痛い痛い痛い」
「おやめ、ティルド」
細い声に少年は――アロダの手を簡単に放すことはしないままで――ばっと振り返った。
「てめえ」
魔術師か、魔女か。
この二択は、難しかった。
「スーランをいたぶっても何にもならないわよ。私は、面白いけれど」
面白く思っているとは感じられない声音で、メギルは淡々と言った。
「まさか」
ティルドは歯を食いしばった。
「焼けたとか……言ったよな」
魔女はどこか哀れむような視線を少年に向けた。ティルドの怒りが――これ以上燃えることなどないと思っていたそれが、爆発しそうになる。
「てめえか。てめえが、やったのか!」
「本当のことを言うわ、ティルド」
メギルはやはり淡々と続けた。
「彼はリグリス様のお怒りを買った。そして、私は……このままユファスを見ていたら、本当に彼のことを好いてしまいそうで、嫌だったの」
それは、肯定としか、取れなかった。
我を忘れた少年は魔術師の腕を放したかと思うと、先にアロダにしたように猛然とメギルに駆けつけた。魔術で防がれるとしても、これまで何度もされたように避けられるとしても、そうしなければ気が済まなかった。いや、それよりも、何かを考えて行動などは、できなかった。
「メギル!」
だから少年は、彼が魔女の胸ぐらを掴み、そのまま拳で女の腹を殴りつけることが――できてしまったことに、驚いた。
男の腕力に女はくずおれ、苦しそうに倒れ込んだ。
「メギル様っ」
飛んできたサーヌイがメギルのもとに慌ててひざまずくのをも、呆然と見守ってしまう。
「何で」
「ぶち切れてるかと思ったら意外に冷静ですね。女の顔は殴れないという訳だ。まさかエディスンではそんな訓練を兵士にしてるんじゃないでしょうね」
そんな暇があったら魔術に対抗する訓練の方が絶対にいいと思います、などとやはりふざけたことを言うアロダの声にも、振り返って何か言う気にはなれなかった。
「何で。避けられたろ。魔術で」
怒りに燃えて拳を振るったとは思えぬ、そこのあるのは驚愕し、ぽかんと口を開けた少年の姿だった。
「ティルド殿、言うに事欠いて、何を! 何と言うことをするんです!」
「サーヌイ」
弱々しく上げられたメギルの手に、青年神官は視線を少年から女に戻した。
「いいの。私は、それだけのことを……した」
「じゃ」
ティルドは一気に血の気が引くのを覚えた。
「本当、なのか」
演技だろうか。
ティルドを騙すために、男の全力の拳を受け入れるだろうか。
ここで、彼を騙す意味があるだろうか?
騙すならば、むしろ逆だ。彼から首飾りを受け取り、ほかにも彼らに都合のいいようにするためには、ユファスは生きているとしてティルドへの人質の役割を継続させた方がいい。
ならば。
嘘ではないのならば。
本当、なのか。
「ユファスが……死ん、だ?」
全身の力が抜けそうになった。
両親の死を理解したときを思い出す。
アーリの死に呆然としたことも、その傍らで兄が――彼を慰めたことも。
「嘘だ」
繰り返す言葉は、しかし今度は弱かった。
「嘘だ……俺は、信じねえ」
仇だと、アーリの、そしてユファスの仇だとメギルを憎み、殺したいという気持ちよりも、ただ呆然とした。
足が震える。
立っているのが、精一杯だった。
「戦意がなくなったなら、ちょうどいい」
ぐいっと両手を――先に、彼がアロダにしたように――背後にねじられ、少年ははっとなった。
「おとなしくなったところでリグリス様にご献上だ。荷袋ごとな」
冗談じゃないとラタンに抵抗する気力すら、このときのティルドには湧かなかった。




