10 否定はしない
〈赤猫〉亭は、なかなか美味い飯屋だった。
奢ると言われてのこのこついていくのもどうかとは思ったが、探していた相手に行き合ったのだから、何も逃げ出すことはない。
実際問題、財布の中身は乏しいのだ。一回の食事代でも浮けば幸運である。加えて豚の香腸詰めも鶏の米汁麺も美味かったのだから、文句のあるはずもない。
「それで」
黒い肌の若者は瓏草を取り出したが、思い直したようにとどまった。
「まさか俺を追いかけてきた訳じゃないだろうな、少年」
「ティルド、だ」
「坊ず」の代わりに「少年」と言われていることは明らかだったので、ティルドはむっつりと名乗った。
「何であんたを追いかけてきたと思う訳」
「俺はね、あんまり偶然ってやつを信じないんだ」
若者は唇を歪めた。
「人が進む道には、それなりの意味ってもんがある。ピラータの町で目当ての商人を見つけ、追いかけたところに出会ったお前さんと、こうしてレギスで再会する。おお、これはすごい偶然だ、では一緒に飲もう、と思った訳じゃない」
「まあそうだろうな」
ティルドは言った。若者は少年を疑ったり、冷たい目で見たりすることこそなかったが、少なくとも思いがけぬ偶然に喜び、何かの縁だと食卓を囲みたがるほど人が好さそうにも見えなかった。
「実際のところは」
若者はにやりとした。
「お前さんがあの若様と一緒にいたのを覚えているからさ」
「はあ?」
「ほら、町憲兵を一声でとどめた金髪の兄さんだよ。ティルド、お前は彼の兵だと言われていただろう」
「……ああ」
少年は嫌な記憶を思い出した。
「言っとくけど、あいつの部下って訳じゃないからな。……広い意味ではそうかもしれないけど、俺は別に、あれに忠誠誓ってなんか、ないからな!」
エディスン兵はエディスン王に剣を捧げているのだから、広義に取ればその対象は王家、即ちヴェルフレストも入ると取ることもできる。ただ個人的にはとても認めたくなかった。
「お前と若殿の確執については知らんが」
男は面白そうな顔をした。
「俺は、彼が探し物をしていたことを知ってる」
「探し物」
「そして俺は、その在処について知っていることをほのめかした」
「……それが、何だよ」
「だからお前さんが遣わされたんじゃないかと思うのは、至極当然の成り行きじゃないか?」
ティルドは言われた意味をしばし考えた。確かにあのときのヴェルフレストを思い出せば、第三王子はこの男を見知っているようだった。そしてアロダの――忌々しい――話をも思い出してみれば、ヴェルフレストも首飾りを追っていたということだった気がする。
となると、つまりティルドは、ヴェルフレストの命令で首飾りを追っていると思われたのだ。
後半はその通りだが、前半については気に入らなかった。アロダとの契約だという事実とどちらが気に入らないかというと、同じくらいである。
「俺はあいつの命令なんか聞かねえぞっ」
ほとんど反射的に言ってから、話の焦点をそんなところに持っていっても仕方がないことに気づいた。
「何つーか、まあ、全部を否定はしない。ってか実際、そうなる。俺はあんたを追ってきた。でもヴェルの命令じゃねえ」
どうしてもそこははっきりさせておかなくては気が済まなくて、ティルドはつけ加えた。
「雇い主が誰でもいいが」
ティルドはその言い方もやはり気に入らなかったが、抗議をして事情を説明をすれば話は長くなる。ここは黙った。
「俺は首飾りを持っちゃいないぞ」
若者はまず、そう言った。
「首飾りなんて、一言も口にしてないぜ」
少年は──珍しくも──慎重に言った。男は肩をすくめる。
「違うんなら、それでいいさ。なら俺を追った理由は?」
ティルドは舌打ちした。そのことは先に認めてしまっている。
「当たり、そうだよ、大当たり、俺があんたを追ったのは、首飾りについて聞き出し、それを手にするため」
半ば投げやりになってティルドは言った。男はにやりとする。
「ならば、そうだな。俺としては、隠す話はない」
そんなには、と若者は言った。
「若様にも申し上げたんだがね、砂漠にないなどと言い出した男が知っている、とお思いか。親切面してご忠告し申し上げるんじゃなかったな」
「あいつのことは関係ないって言ってるだろ」
「へえ」
ティルドの主張に若者は面白くもなさそうに肩をすくめた。
「じゃ、若様が知りたがる何かを知っていそうな俺を追いかけたのは、偶然」
「偶然とは言えないけど」
少年は正直に言った。
「ヴェルと直接の関わりがないことはほんとだ」
「それじゃお前自身が知りたいのか? ヴェル若様から何かを聞いて」
「それ、よせ」
「何?」
「『若様』。あんなの、ただのヴェルで充分だ」
男は今度は面白そうな顔をした。
「ずいぶん仲がいいと見える」
「そう見えるならあんたの目は腐ってるよ」
ティルドは苦い顔で言った。
「確かに、俺はあんたから聞かなきゃならない話がある。そのことを正直に話す」
少年はすっと顔を上げて言った。本題に入ったと相手も気づいたか、視線を真剣にする。
「俺はさ、あんたに恨みはないし、騙す気もなければ、利用しようとかも思ってない。ただ、黙ってれば結果としてそうなる訳で、それは好みじゃないから」
そう前置くと、ティルドは続けた。
「俺の状況を説明すると。首飾りを手にしたがる悪い奴らがいて、俺は本来、奴らからそれを守らなきゃならないんだけど、やむにやまれぬ事情があって、そいつらの命令で首飾りを探してる」
ティルドは全く正直なところを言ったが、若者はわずかに眉をひそめた。説明が足りないと思うのだろう。もしティルドの方でこんな説明を受ければ、意味が判らん、で終らせそうである。
男は少年よりは忍耐強いようだが、ほのめかしばかりで得心するのは魔術師か、そうでなければ頭がよいふりをする見栄っ張りだ。青年はティルドの説明を待つように椅子の背によりかかった。
「そこで、あんたが話を知っているようだから追えと言われた。聞き出せと」
「正直な語りっぷりだな」
皮肉を言われたのかとティルドはむっとしかけたが、どうやらそれは若者の素直な感想らしい。
「成程」
男はティルドの話をおそらく彼なりに予測で補完しながら、彼なりの結論にたどり着いたようだった。
「聞き出したあとは用済みってとこか。お前に素直に語れば、俺はそのあとで『悪い奴ら』に殺されるかな」
「それは、ありそうな気がする」
またも正直にティルドが言えば、若者は苦笑した。
「親切だな。俺が怖れをなして逃げ出したらどうするんだ」
若者は少し面白そうに言った。
「そんなタマなら、俺の腕をひっ掴んだりしないで、あの時点で逃げ出してると思う」
「成程、一理ある」
男は他人の話をしているようにうなずいた。
「それなら、俺は逃げ出さない代わりにどうする? 知ってることを全部話すのはうまくない、殺されるかもしれないんだからな」
「仕方ないだろ」
今度は皮肉を込められたようで、ティルドは口を歪めた。
「その、あんたには仕方ないとは思えないだろうし、それどころか迷惑千万だろうけど、俺には……仕方ないんだ」
ティルドが呟くように言えば、男はじっと少年を見てから声を発した。
「俺はな、ティルド。首飾りの話に行き合ったのは」
「ちょ、ちょっと待てっ」
思わず、ティルドは手を上げた。
「……話す気か?」
「知りたいんだろう」
「そりゃあ、まあ」
「安心しろ。俺も殺されたくはない」
若者はにやりとした。
「『悪い奴ら』が知りたい、肝心のことは話さないつもりだ」
それが歓迎すべきことなのかそうでないのかティルドには判断がつかなかった。その葛藤を見て取ったか、男は苦笑めいたものを浮かべる。
「本当は『肝心のこと』こそ知りたいんだろ。まさか俺の命を心配している訳じゃあるまい?」
「あんたの心配をする義理は、確かに俺にはないよ。でもさ」
ティルドは苦々しく言った。
「俺は、その、自分のために誰かが死んでもいいとは思えないんだ。通りすがりだってさ」




