06 当面の問題
それは、魔術的な言葉のようだった。
砂漠の男にはそうとしか思えなかった。
「死んでいるとは、どういう意味だ」
「そのままです。その娘は、死骸だ」
「だが暖かい。それに」
カリ=スは素早く少女のもとにひざまずくと首筋に手を当てた。
「鼓動も、している」
「どんな術がそれを可能にするのか。しかしその身体は死んで久しいのです。本来の持ち主と異なる心を埋め込まれている」
「それが、リエスと?」
「それとも」
若い魔術師は思い出すように目を細めた。
「アーリ、と言いましたか」
死んだ盗賊少女の名はカリ=スの記憶に慕わしくはなかったが、彼はピラータでティルド少年の口からその名を聞いている。
「何と邪な術か。カリ=ス殿、あなたはお判りにならないかもしれません。けれどこの肉体は」
ヒサラはカリ=スの知らぬ印を切った。哀悼の仕草にもどこか似ていた。
「幾人もの娘の死体をつなぎ合わせて作られたものです。動いて、鼓動をしていること自体が信じ難い」
「死体を」
カリ=スは小さく繰り返した。
「そのようなことが――できるのか」
「できたのでしょうね。だから、彼女がここにいる」
「彼女」
カリ=スはまた繰り返した。
「この娘は、何者だ」
「言うなれば、魔法生物。偽の命を吹き込まれた作りものです。そういった研究をしている魔術師がいるとは聞きますが、獄界神官が先にそれを成功させたということですね」
「そのようなことを尋ねているのではない。ヒサラ」
砂漠の男は魔術師を見、少女を見た。
「この娘は、何者だ」
「アーリという少女が真実に耳飾りの継承者であったのだとしたら、彼らはその模造品を作った。そういうことになります。理屈で言えば、心を作るのは身体を作るよりも難しい。どうやってか死んだ少女の魂をラファランに導かせず、現世にとどめた。彼女が心を残した品でも使ったのでしょうか」
それらはまだ、砂漠の男が求める回答ではなかった。カリ=スは何も言わずに待ち、ヒサラは少しの沈黙のあとで続けた。
「彼女自身はおそらく、何も知らないでしょう。彼らは本当に、継承者として仕立てるつもりであったのだと思いますよ。つまりあなた、いえ、王子殿下に害を為す存在ではない」
「ならば――よい」
カリ=スが言うとヒサラは少し奇妙な表情を見せた。右半分の傷跡は青年の表情を読み取りづらくさせていたけれど、それはカリ=スの対応に笑みを見せそうになり、しかし笑ってなどはいられない状況だと理性が無理にとめたという様子だった。
「少し、困りましたね」
「何がだ」
「私は、あなた方をエディスンへお連れしようかと思っていたのですが」
「魔術でか」
「そうです。お好みではないでしょうが」
「私の好みなどはどうでもかまわない」
カリ=スの言葉にヒサラは感謝の仕草をした。
「しかし、彼女は無理です。魔術の移動には耐えないでしょう」
身体がなのか心がなのか、それとも両方なのか、砂漠の男には予測もつかなかった。そして問うて答えをもらったところで意味はない。
「エディスンへは行っているのか。王陛下はご無事か」
その代わりに、彼はそれを尋ねた。
「ご無事です。捕らわれていた心を取り戻されました。回復にはいくらかの時間がかかるでしょうが、激務をこなされていただけあって体力はおありになる。問題ないでしょう」
そう聞いた砂漠の男は深く呼吸をすると、砂の神に向けて感謝の祈りをした。
「ひとつ、心配事が減りましたか」
今度は面白がる表情を隠しきれず、ヒサラは言った。
「そうだな。ひとつだ」
「山積みですからね」
魔術師はわずかに嘆息して同意した。
「ヴェルの居所についてはどうだ。アロダは探ると言ったが、あやつに探れるものなのか」
その台詞はもちろん、以前であれば「そのような能力があるのか」「本当にできるのか」という意図であったろうが、いまではそれは探らせる訳にはいかないという意味になった。
「彼の魔力がどれほどのことを可能にするかは判りませんが、ビナレス全土を当てもなく捜索するのは大魔術師と呼ばれる術師でも難しいですね」
「お前は」
「私も、当てがなければ」
「大砂漠だ」
素早くカリ=スが言えば、ヒサラは目を見開いた。
「何ですって?」
「ヴェルはずっと東の地を気にしていた。私は、彼の道はそこに続かないと言った。だがそうではない。彼の道は続いていた。東に続いていなかったのは、私の道だ」
「……あなたには魔力と言われるものはないのに、不思議な力をお持ちのようで」
「私のことなどはどうでもよい」
「そうでしたね」
ヒサラはうなずいた。魔術師としての興味を言えば、それをどうでもよいとは思えなかったろうが、これまたいま追及していることではない。
「砂漠に殿下がいらっしゃると、本気でお思いに?」
「判らぬ。私はロールーの加護あるあの土地から離れて久しい」
「それでも、そうお考えになった」
「風司の道。ヴェルが求めたそれが、彼の目を東に向けたのだ。危険だと言って私がとどめたのは意味がないどころか、彼の道の妨げであったのかもしれぬ。いまでは、そう思うようだ」
「私だって、殿下に危険な地へ行っていただきたいとは思いません。あなたならなおさらでしょう」
カリ=スの言葉に悔恨を聞き取ったヒサラは取りなすように言った。
「一度、あなたの話も詳しく聞いてみたいものですが」
ヒサラは肩をすくめた。
「けりがついたあとで、ということになりますね。まだ先のこと。まずは当面の問題です」
「行き先と、リエスだな」
「ええ。カリ=ス殿だけをエディスンにお送りすることはできますが」
「だがそれに意味はなかろう。イルセンデルに必要なのは風具だと言うのなら」
「あなたが粉々にして下さいましたものね」
「罰するために私をエディスンへと言うのならば、享受するが」
「馬鹿なことを言わないで下さい。私にそんなことを決める権限はありませんよ」
あくまでも淡々と言う砂漠の男に、決して表情豊かではない魔術師も息をついた。
「カリ=ス殿をエディスンへと言うのは、ヴェルフレスト殿下をお見つけし次第、故郷にお戻りいただくつもりだからです。陛下はご無事、祭りはまだ少し先、お探しすることはともかく、ご帰還を殊更に急いていただく理由はありませんが、おひとりで放っておく訳にもまいりませんからね」
カリ=スがいるからこそ、ヴェルフレストは旅路にあれたのだ。多少は世慣れてみたところで、やはりひとり旅などは無理であるというのが――当人の主張はともかく――宮廷魔術師や、この魔術師の意見と言うことになる。
それについてはカリ=スは口をつぐんだが、答えならば決まっていた。
「ヴェルが戻るならば、私もそこへ」
「殿下は大砂漠と言われましたね」
ヒサラは考えながら言った。
「それを信じるとしましても、ビナレス全土と変わらぬ広さですが」
探るには時間がかかることは同じだ、と魔術師は言った。
「聖なる大河から東に五十、行っても百ゴウズで充分だろう。それより奥地は、いかな魔女でも足を踏み入れぬ。人の世界ではない」
その意味に気づいてカリ=スは素早く告げる。
「判りました」
さっと出てきた数字に感心しながら、ヒサラはうなずいた。
「私にも仕事がありますが、それよりもこちらが優先と言うことになりそうですね」
「ヴェルとティルドを守ることが変わらず任務だと、言わなかったか」
「ええ。ローデン閣下の制約は一度死んだ際に消え去りましたが、協会長から与えられた任も同じだということです。ただ、それだけではない」
「忙しい、ということか」
「そうですね」
魔術師は考えるようにして言った。
「療養中に比べればたいへんな忙しさです。けれどアロダ術師は、殿下のもととムール兄弟それぞれの三ヶ所、それにエディスン、加えて業火の司祭のもとと五カ所を巡ってみせたのでしたね。手が回らずに神官に任せることもあったようですが」
これはどうやらヒサラの皮肉であるようだった。そう気づいたカリ=スは意外そうに片眉を上げる。
「では、私が負ける訳には参りません」
決意の言葉と取れる台詞が出てきたのは、どこか楽しげに引っ張られた唇からだった。




