01 変わらないんだね
初めは状況がよく判らなかった。
酷い悪夢を見たような気がするけれど、夢だろうと思った。いや、そう思いたかったのかもしれない。
アロダ術師が、彼を魔法で襲うなど、悪夢以外の何だというのか?
実際、見知らぬ部屋で目覚めてみれば傷も痛みもないし、ユファス・ムールにはどこまでが悪夢でどこからが現実だか、さっぱりだった。
ただそれは、当のアロダ・スーランが姿を見せてにこにこしながら、傷はどうですか、巧くやりましたからもうどこも痛まないでしょう、などと言い出すまでだ。
「いやね、私としてはユファス殿を苛めるつもりはなかったんですよ。でも放っておくとメギルが何を言い出すか判りませんでしたからね。困った魔女です」
「……術師」
「おや、ユファス殿こそ困った顔をされてますね。もしかして、覚えておいででない」
「覚えてるよ。痛かった」
彼は顔をしかめた。
「すみませんねえ」
魔術師は肩をすくめた。
「私としては苛めるつもりでは、とこれは言いましたね」
「どうして、あんなことを?」
まず、ユファスは問うた。魔術師は微かに笑う。
「言った通りですよ。あなたは風司を継いだ。そうなったら殺せと司祭様は命じているのに、あの魔女はちょっとばかり躊躇いを見せたでしょう」
「あなたは」
青年はゆっくりと言った。
「誰」
「アロダですよ」
お忘れですか、などと魔術師は言った。
「それを尋ねているんじゃないよ」
相手がそのようなことはちゃんと理解していることなど百も承知で、ユファスは言った。
「私の名はアロダ・スーラン。ご存知の通り、魔術師です。出身は中心部にあるヴォートという小さな町でして。魔力の発現は十歳かそこらでしたかね。両親は慌てて息子を魔術師協会に託し……ってそんな話も尋ねられてないですね」
アロダはうんうんとうなずいた。
「まあ、何と申しますか、ちょっとした知り合いがドレンタル・リグリス司祭様と関わり合ってましてね、私はそのお手伝いを」
「僕を殺して腕輪を奪うこととか?」
「そのようなものです。ですがまだ殺しませんから、ご安心を」
「いい報せだ」
青年は顔をしかめた。
「こんなふうにあなたを閉じこめるつもりはなかったんですが、結果としてはいい方向に働きました。あなたを人質に、弟くんを好きに操れます」
「ティルドを――どうしたって?」
声に警戒の響きが込められた。それはですね、とアロダが言う。
「彼としては、お兄さんの命を盾に取られれば首を縦に振らざるを得ないでしょう? ちょっとばかり、お使いを頼んだんですよ」
「お使い」
「あなたがとめていたことですね。西に、東の男と首飾りを追うこと」
「成程」
ユファスは嘆息した。弟の役に立つどころか、足手まといもいいところである。
「僕とティルドのこと、ずいぶん判っているみたいだ」
「あなた方は判りやすいですから」
アロダは平然と言うと、それが不思議ですか、と加えた。
「不思議というか、驚きだよ。あなたが見事に僕らを騙してくれたこと。いや、『判りやすい』ならば簡単だったかな?」
「騙した訳じゃありませんよ。言わなかっただけです」
魔術師は悪びれなかった。
「あのですね。お教えして差し上げましょう。魔術師からもらった薬なんてほいほい飲むもんじゃありませんよ」
言われたユファスは苦笑さえ浮かべてしまった。
「参ったね、その〈魔術師の助言〉には」
「あなたは本来、ティルド殿よりも私を警戒してしかるべきでした。覚えていますか、最初に薬を渡したとき、あなたは躊躇った。あれは正しい感覚だったんですよ。けれど、弟くんの猛反発を見て、逆に警戒を緩めた。弟くんの私への疑惑は、『魔術師』というものに恨みを抱いているせいだと解釈した。それで」
中年術師は肩をすくめる。
「こともあろうに、私に悪いと思った訳です。ちゃんと警告はしましたよ、私は。優しすぎると酷い目に遭いますよってね」
「おかげさまで、遭ったようだよ」
ユファスは深く息を吐いた。魔術師は笑う。
「私を罵ったり呪ったりしないんですね。思った以上に面白い方だ、あなたは」
「何の解決にもならないだろ。それどころか、呪いを返されでもしたら怖い」
「そんなことしませんよ。だいたい魔力のない人間が魔術師を呪って何かが起きたりするもんですか。つまり、私の方はあなたに呪われても怖くないので好きにしてくれていいと言うことですが」
「あなたも、変わらないんだね」
ユファスはじっとアロダを見た。
「神官たちの間ではにこにこ喋っても誰も相手にしてくれないもので、もう少し無口で皮肉っぽくなりますけれど、あなたはいまでも相手をしてくださるから、わざわざ調子を変えたりしません。まあ、どちらも私ですけれどね」
「演じていた訳ではない、と。残念だ。あなたのことが好きだったのに」
「おや、いまはもう嫌われてしまいましたか。仕方ないですがね、私も残念です」
「残念だって? どうして」
彼は唇を歪めた。
「どうしてって、私だってユファス殿のことが好きだからです。ちゃんと殺さないようにしましたし、傷も治して差し上げました」
「どうかな。それは僕を生かしているのは利用価値があるからじゃないの。ティルドに言うことを聞かせる、という」
第一、とユファスは続けた。
「傷を負わせてくれたあなたに、助けてくれて有難うと礼を言えと?」
さすがの青年もこの言葉には皮肉を込めて言った。




