12 神の御許に
「さて、ティルド殿。私はメギルのように甘くはありませんからね。先の言葉を半端な口約束と思っていただいては困りますよ。あなたは兄上の命を救う代償に、〈風謡い〉を取ってくる。それまでユファス殿の命は無事だと保証しましょう」
アロダはじっとティルドを見た。
「よいですか、これは契約です」
違えることはできませんよ、とアロダは薄く笑った。
それには、魔術的な意味があったろうか。
ティルドには判らない。彼には魔力などない。
あの場で魔術師にも魔女にも斬りつけることができなかったのは、何か制約のようなものが彼に与えられたからか、それとも単純に、血を流す兄の姿にすっかり動じてしまったためなのか。
だが、魔術の契約であるならば、それでいい。魔術の契約は破ることができない。それならば、ユファスは殺されない。
少なくとも、ティルドが〈風謡いの首飾り〉を手に入れるまで。
では、手に入れたあとは?
(それは、そのときに考えればいい)
何か絶妙な案が思い浮かぶとは考えられなかったが、それでも、いまはまだ考えられなかった。
「行き先は、レギスです」
不意に声をかけられた少年は、その内容よりも見せた顔に驚いて――と言うよりもかっとなって、ほとんど反射的に相手に掴みかかった。
「この野郎、よくもぬけぬけと」
「暴力はやめてくださいっ」
兵士の強靭な腕に本気で捕えられる前に、とサーヌイ・モンドはティルド・ムールから逃れた。
「騙すような形になりましことはお詫びいたします。しかし」
「ような形、だあ!? 神官のふりをして人に変な護符を渡したり、フラスから追い出したり、だいたい、フィディアル神官だなんて大嘘こきやがって。天罰が下るぞっ」
「何てことを仰るんです」
それでも穏やかな顔をした青年は、許しを乞う仕草をした、と言ってもこの場合、サーヌイの罪についてではなく、ティルドの暴言に対する許しを乞うた訳だが。
「畏れ多くも神の名を違えたりするものですか。私は」
彼は少しはうしろめたいとでも言うように目を伏せた。
「申し上げなかっただけです」
「てめえ、セイ!」
「ああ、こればかりは言い訳のしようがございません。セイというのはあなたに向けてエディスンから派遣された方の名でして、私はサーヌイと申しま」
「んじゃ、本物はどうしたんだよっ」
丁寧な自己紹介に名乗り返してやる気になど無論ならず、少年は叫ぶ。サーヌイは――ティルドに見慣れぬ印を切った。
「彼の信じる、神の御許に」
当然、その意味は鋭いとは言い難い少年にも通じる。
「神官を殺したのか」
「彼は、彼の信じる――」
「神官殺しか。てめえ、どんな購いをしたってラファランの導きは得られねえぞ。ああ、んなもん要らねえのか、邪で、自分の信者しか可愛がらない歪んだ神様のもとに行くんだもんな」
「邪で、歪んだ」
サーヌイはまた、許しを神に――オブローンに、であろうか――求めた。
「あなたは誤解しておいでです、ティルド殿」
「はっ、獄界神の教義なんか知るかよ」
少年は容赦なく言った。
「それで、てめえはまた俺を見張りにきた訳か」
「見張りというのは、いささか不穏ですね」
サーヌイは諭すように言った。
「私がこうしてやってきたのは、あなたを導くために」
「獄界神官の導きなんざ、お断りだ」
当然のごとく、ティルドは却下した。
「何故ですか」
どうにもサーヌイは不思議そうに言い、ティルドはかちんときた。
「何故もクソもあるか、てめえの胸に訊け!」
少年が叫べば、青年は戸惑った。
「ティルド殿」
「軽々しく人の名前呼ぶんじゃねえ、クソ神官が。魔術師よりはましだと思ったのに、どっちもどっち、蝗と蟻、化け狐と惑わし鼬じゃねえか、ちくしょう、アロダの野郎!」
目前のサーヌイよりもアロダを思い出せば腹が立った。
もしかしたら、メギルよりも。
「スーラン術師ですか、変わった方ではありますね」
「てめえらの仲間だろうがっ」
「仲間……と申しましても、彼は神官ではありませんし」
「知るか! あくどい仲間ってことさ。人の兄貴をとっ捕まえて」
「ああ、あの男性ですか。彼はいま安全に」
「そうじゃなかったら殺す! お前ら、全員なっ」
「どうして、われわれが彼に害を為したりすることがありますか」
ティルドはきつくサーヌイを睨む。アロダ並みの二枚舌だと思うのであるが、サーヌイとしては本気である。
「我らは、神に仕える者たちなのですよ」
「何、言ってやがる」
ティルドは唸るように言った。
「ポージル商人を焼いたのは、そりゃメギルの火かもしれないけど、リグリスの命令だろうが。アーレイドの火事だって――アーリのことだって! それにそうだ、カリ=スを焼き殺そうとしたのがお前じゃないってのかよ!」
「あれは」
サーヌイは目をしばたたいた。
「聖い火で焼かれれば不浄は払われるのですから、害を為すことにはなりませんけれど」
そこに、言い訳や詭弁の色は、ない。青年神官はごく普通に、そんなことを口にしている。
ティルドはぞくりとした。
狂信者。
少年の内にそんな言葉が蘇った。
まだこのサーヌイをフィディアル神官セイだと思っていたとき、彼はふと目前の青年にその様相を感じたことがあった。
ラタンのような似非神官ならば、まだ判る。ローブをかぶり、慈悲のあるような顔をして――ラタンはティルドにはそんな顔を見せていないが――それは演技にすぎないと言うのならば、心楽しくはないが判る。
だが、サーヌイがもし本気で「ティルドの方が間違っている」と思うのであれば、それはいささか、怖ろしい。いや、そうではない。気味が悪い、と言うのだろうか。
「では、ティルド殿。レギスへどうぞ」
ティルドの沈黙をどう取ったのか――納得してくれた、とでも思ったのか――サーヌイは少し笑んで言った。その笑みにはメギルやラタン、アロダのような含み、敵意、皮肉の影は感じられず、ティルドは却って薄ら寒いものを覚える。
(こいつは、本当に信じてるんだ)
もしここでティルド少年が「まるで神官のように」サーヌイ青年に他者を燃やし殺すなどよくないことだとか、業火の神、獄界の神というのはそれは怖ろしいのだとか説いたところで、何にもならないだろう。
もちろんティルドにはサーヌイを教え諭すつもりなどなく、むしろサーヌイの方ができ得ることならそうしようと思っているくらいだった。
「レギス、か」
何かを言い返す代わりに、ティルドは繰り返した。サーヌイはうなずく。
「〈風謡い〉について何かを掴んでいるらしい男性は、そちらに向かっているようなのです。今度はどんな嘘もなく、あなたに助力いたしますよ、ティルド殿」
晴れやかにさえ、サーヌイは言った。嘘をつく必要がないことは、彼にとっては安心材料だったからだ。
ティルドの脳裏には様々な台詞が渦巻いたが――「ふざけるな」にはじまり、「てめえらの目的のためじゃないか」「助けなんか要るか」「うざいからそばに寄るな」等々――彼はそれを口にしなかった。
ほとんど反射的な反論よりも、事実はひとつ。
ティルドは兄のために、首飾りを探さなくてはならない。
(それが彼らに利することになってもいいのか)
(よく考えるんだ)
(ティルド)
蘇った兄の言葉を打ち消す。
どうにかなる。
少年はそう考えた。
旅をはじめたばかりの頃、〈風読みの冠〉を探せと言われた頃に何となく思っていた、楽観的な思考とは違う。
どうにかする。
気合いさえあればいいってもんじゃないわ、と蓮華の名を持つ少女に言われたときとも違う。
絶対に、負けない。
魔女への復讐に燃えた昏い思いとも、違う。
それは、少年の内に生まれて初めて浮かんだ、闘志と言われるようなものだったろうか。




