10 どのような策でも
問題は増えるばかりで、一向に減らなかった。
カトライの状態だけは良好に向かっていて、それはローデンが唯一安心できる事実であったけれど、洩れる息は全て嘆息ばかり。安堵のそれとはほど遠かった。
ヴェルフレストの失踪。
これにはアドレアが関わっていることが判っている。コレンズ導師に頼んで、王子の捜索と救出を任せた。
一方で、ティルドが報せてきたアロダ・スーランの裏切り。
ローデンは一瞬だけ協会を疑ったが、その思いは封じて協会長フェルデラに連絡を取った。フェルデラはその話に驚愕し、詫びだと言って報せてきたこともまた、ローデンを驚愕させた。
魔術師ヒサラの生存である。
ローデンははじめ呆然とし、それからいままで隠していたことについてフェルデラを罵倒したが、協会長は罵詈雑言を甘んじて受けた。
「フェルデラ協会長もですね、ああ見えて老獪と申しますか、負けず嫌いと言うのですかね」
導師コレンズは肩をすくめた。
「閣下を驚かせたかったんですよ」
そう言って導師は謝罪の仕草をし――つまりは、コレンズも知っていて、黙っていたことになる――ローデンを唸らせた。
「ローデン術師、あなたがわれわれにかけた〈制約〉は、『協会の利よりも王家の利を優先する』『この件に関して掴んだことは余さずあなたに報告をする』『あなたが命令をすればそれを最優先にする』そうしたことでしたね」
「あまり強いものを要求すれば、拒絶されると考えたのでな」
「確かに。私は拒否したか、交渉をしたかもしれません。ヒサラはどうでしょう。アロダは、それでもその隙を抜けようとしたのでしょうが」
導師は嘆息して首を振った。
「ともかく協会長は、ヒサラ生存の件を協会と王家の利害に当てはめなかったんです。報せないのは含むところがあるのではなく、エイファム・ローデン個人への、ちょっとした嫌がらせだとね」
「忌々しい小鬼め」
彼は、魔術師以外の人間が見れば何とも怖ろしく思うもの――魔術師による呪いの言葉と呪いの仕草――を繰り広げた。コレンズは苦笑する。
「アロダは、まめに報告をしてきた。嘘ではないことは、無論だが」
魔術を通した声のやりとりで嘘をつくことはできない。余程の高位である術師ならば少しくらいのごまかしも可能であっただろうが、アロダはそこまでではない。
「我が編み目はいささか大きすぎたか。協会以外に利したい相手がいれば、私の〈制約〉はその大半が意味を為さなくなる」
「すり抜けようと思ったならば、正確に物事を把握したのでない場合――たとえば、推測などであれば、あなたに語る必要はなくなります。彼は私から多くを聞き出しました。私が問うてものらりくらりとかわしましたが、我らの持たぬ情報を知っていれば」
「我らの知らぬことを知る」
ローデンは先取り、コレンズはうなずいた。
「ヒサラは、動けるのか」
「はい。実は、首飾りを持っているという術師に接触したのは彼です」
「何と」
ローデンは唇を歪めた。
「例の部下か。騙されたな」
「申し訳ない」
「かまわぬ。フェルデラには、あとで呪いの書状でも届けておく」
それが冗談であるのかどうか、コレンズは判断しかねた。
「では、ヒサラをティルドのもとにやれるか」
「ヒサラには」
コレンズは困った顔をした。
「ギディラスが、任務を」
「……そうか」
ローデンは息を吐いた。
「いたし方あるまいな。私の制約は解け、彼に義務はない」
「申し上げておきますが、ヒサラ自身は改めて閣下の指示を受けることに躊躇いはありません。文字通り死ぬような目に遭ったからと言って、怖れて引き下がる若者ではない」
「フェルデラがさせぬということだな」
「どうか、閣下。申し上げました通り、協会は閣下に協力を」
「言ったように、疑いはしない。フェルデラが私に嫌がらせをしたいと思うのならば、奴にはそれだけの余裕があるということだ」
羨ましいことだな、とローデンは言った。
「あの戯けを信頼しているなどとは言いたくないが、協会の判断は尊重する」
コレンズは、彼の協会長とかつての導師にして公爵閣下の間にある何やら複雑なものを少し面白そうに見たが、いまはそのような場合ではないと思ったか、顔を引き締めた。
「ティルドと言葉を交わせなかったのは、痛い。私は陛下のことで手一杯であり、彼はアロダの裏切りと兄の件で精一杯だ。ほかにも聞いておかねばならぬこともあったと言うに」
宮廷魔術師はピラータから離れたティルド少年の居場所を探り、だいたいのところを探り当てていたが、彼の呼びかけに少年は答えを返さない。ティルドがローデンを無視するということは考えづらかったので――少年にそのような真似をする必要もなければ、能力もないはずである――魔術師アロダが少年に何か術を残していたと見るべきであろう。
「アロダか」
ローデンは息を吐いた。
「厄介なことだ」
裏切られた、騙されたと言っても、しかしローデンにはアロダを憎んだり恨んだりする心はない。魔術師というのはよくも悪くも自身の欲望をしっかりと把握していることが多く、相手のそれが自分の利害と一致しなかったと言って責めはしないものだった。
つまり、ローデンが追及すべきは、アロダの裏を読み切れなかった自分であって、アロダではない。
「彼は、エディスンの術師ではありませんでした」
コレンズは言った。
「しかし、小さな町から大都市に移ってくる人間は珍しくない。彼のようになかなかの魔力を持つ術師ならば、田舎で導師と呼ばれることは簡単です。だが彼はそれを選ばなかった。エディスンへやってきて、導師を目指す代わりに」
「ほかの方法を採った」
ローデンの言葉にコレンズは苦々しい顔でうなずく。
「獄界神に関わるなど……いえ、彼は業火の神に仕えている訳ではない。その司祭と関わっているだけ。協会を追われるほどの行為ではない。困ったことですが、賢いやり方です」
「フェルデラはアロダを罰せない。私も、また」
ローデンはそうとだけ言うと、手を振った。アロダが責められるならばただ一点。町なかで術を行使して人を傷つけたという点においてのみである。裏切りでは、ない。
「裏切りは、隠されているうちがいちばん厄介だ。いままでのことを悔やんでも仕方がない。表に出たからには、対処のしようがある」
「業火の神官に魔女、それにもうひとり魔術師がいたというだけのこと、と」
「逆に利用してやることもできるかもしれん」
「何ですと?」
「お忘れか。彼は私の言葉をすり抜けたかもしれんが、制約を完全に抜けてはいない」
「――と、申されますと」
「あなた自身、お判りのはずだ。この件に関しては、私の命令に従わなくてはならない」
「しかし」
コレンズは驚いて言った。
「アロダもそれは判っているはず。こうして裏切りが発覚したからには、策を弄しているでしょう」
「そうであろう。間違いないな。だが」
かつての導師は静かに言った。
「どのような策でも打ち破ってやる」
ふっとコレンズが笑った。ローデンは片眉を上げる。
「どうされた、導師」
「思い出しましたよ、若い頃のあなたを」
初老の術師は目を細めた。
「〈混沌の術師〉、外れもの導師、と言われていた頃のね」
続けられた言葉に宮廷魔術師は苦笑した。




