04 〈砂漠の民〉
次に目を覚ましたとき、ここは大陸を分ける大河の岸ならぬ、冥界を流れるラ・ムールの岸辺ではないかと思った。
殴りつけるような太陽の攻撃は感じないが、もわりとした暑さは変わらずに彼を包んでいる。
冥界には暑さも寒さもないというが、どうやら暑いらしい――などと考えたヴェルフレストはぼんやりとした景色に目をしばたたいた。
身を起こすと、またも強烈な目眩に襲われることになる。
酒を酷く飲んだ翌朝とも異なれば、先だっての魔術の〈移動〉による頭痛とも異なって感じた。初めての体験をもし面白いと考えられるとすれば、目眩が治まったあとのことになったろう。だが、それよりも先にかけられた声があった。
「気づいたか。何が楽しくて、あのような場所で倒れていた」
「楽しかった訳では、ないが」
ヴェルフレストはようよう言うと、声の主を見た。
彼はどきりとする。
それは、カリ=スによく似た若者だった。
いや、顔や形が似ているというのではない。髪の色、肌の色、瞳の色、そして――身にまとう雰囲気とでもいうもの。
「まさか、〈砂漠の民〉か」
「そういうことになる」
若者は笑った。
「砂の神と砂漠の女神に感謝をするといい。彼らの使者がお前を見つけた」
「使者?」
「砂色の小鳥がわれらを呼んだ。不思議に思ってついていけば、お前が倒れていた。あのような鳥は見たことがない。きっと、神の使者だ」
「砂神に助けられるようなことをした覚えはないが」
それどころか、罵って呪いの文句くらい吐いたかもしれない。
「神々の考えることはわれわれには判らない。だが、お前を死なせてはならぬと砂の神が言ったのだ。だから、お前は生きた」
「それは……感謝をすべきだな」
ロールーの印など彼は知らなかったから、七大神に共通する聖印を切った。相手は少し首を傾げたが、大意は通じたようだ。
「旅の者。名は」
「――ヴェルフレスト」
何となく「ヴェル」という略称を使うのが気が引けて、彼はそう言った。
「ヴェルフレスト。よい名だ」
その名の響きを楽しむように繰り返すと、若者はうなずいた。
「私は、アタラ。お前は我らの客人だ、ヴェルフレスト。立って歩けるようなら、長に挨拶をしてくるといい」
〈砂漠の民〉に長と呼ばれる存在がいることは何となく耳にしていた。おそらく、カリ=スから聞いたのだろう。それ以外にそんな話をする相手はいないから、間違いない。
民たちからとても尊敬されていて、不思議な力を持っているとか、そんな話であったような気がする。
何かの革で作られたと思しき杯で水を飲ませてもらったヴェルフレストは、どうにか立ち上がることに成功する。そして少し休んませてもらったあと、アタラの案内に従って民の長の天幕を訪れた。
なかに座していた人物の年齢は、計り難かった。
これまでにヴェルフレストが目にしたどんな老人よりも年を取っているように見えた。かと言って「老いぼれた」感じはなく、その目は炯々と、彼の全てを見透かすように強い光を持っている。
「ヴェルフレスト」
名を呼ばれた王子は、無意識のうちに最高級の敬意を表す仕草をしていた。自らの父王のほかには、やはり他都市の「王」と呼ばれる人間に対するのと同じやり方であった。
「あなたは不思議な道をたどってここまでこられた。ここへたどり着いたのは誤りであるが、正しき道でもある」
矛盾した物言いに、しかし彼は疑問や異見を差し挟まなかった。長がそう言うのならばそうなのだ、という奇妙な感覚が彼を訪れていた。
もし西でこのような感覚に出会えば、すわ魔術師か、手妻を使ったか、と警戒でもするところだが、この砂神の世界ではそれは何とも自然なことのように思えた。
〈砂漠の民〉のことなど何も知らぬに等しいヴェルフレストだったが、カリ=スであればこのように言ったであろう。
長であれば当然だ──と。
「西へ戻りたいか」
「無論です」
自然と、彼の口からは丁重な言葉が出ていた。
「私はこの地にきてはならぬと忠告を受けておりました。やってきたのは自らの意志でしたが、同時に、意志ではありません」
「そうであろう」
王子もまた矛盾することを言ったのであったが、長は何を見るのか、ただうなずいた。
「われわれはあなたをとどめはしない。だが、われわれはあなたを西へは送らないだろう」
「そのような厚かましい願いごとを口にするつもりはございませんでしたが」
ヴェルフレストはかすかに笑んで言った。普段ならばそこに皮肉めいた調子が混ざるところだが、不思議とそれは出なかった。
「そうではない、ヴェルフレスト。それは我らの役割ではないと言うだけ」
長はそう言うと、じっと王子を見た。
「我らが西へ往けぬと言うのではない。行った者もいる」
ゆっくりと言いながら長は何かを思い出すように瞳を閉じ、また開いた。
「一度行って戻り、再び行って、戻らぬ者。彼は我らが大恩ある方によく仕えているだろうか、ヴェルフレスト」
「──何を」
彼は目をしばたたき、それから目を見開いた。
「まさか、カリ=スのことをご存知なのですか」
カリ=スは〈砂漠の民〉だ。少なくとも自称するところでは、と言うことになるが、あの男がそんな嘘なり冗談なりを言っていたのだとしたら、ヴェルフレストは砂漠を東に向かって旅してもよかった。
だが、大砂漠は広い。部族はいくつもあると言う。カリ=スを知る存在に行き合うことがあるなど、有り得ようか?
「道の交わりとは不可思議なもの」
長は、ヴェルフレストの驚きに答えるように静かに言った。
「あなたに守りが見える。西の人間にはないはずの、ロールーの守り。離れても、カリ=スはあなたを守ろうとしている。このような形で彼の消息を知るとは。礼を言わせていただきたい、ヴェルフレスト」
言われた彼は言葉を失った。
ではここは、カリ=スの故郷なのか。
大砂漠という意味では、もちろんない。
ここ──この部族が。カリ=スの属した、それともいまでも属している仲間たちなのか。父カトライが救ったと、言う。
「何故、お判りに」
少し呆然として彼は問うた。長はうなずく。
「申し上げた通り。あなたに彼の守りが見える」
西で聞けば「魔術的」と評するであろうその言葉は、この空間と長の醸し出す神秘性には嫌味なく合致した。
「彼は、とても信頼できる男です」
問い詰めるに意義を覚えず、ヴェルフレストはただ思うままを言った。
「ええ、とても。時に、私自身よりも」
その褒め言葉、或いは悔恨、懺悔、または自戒に長はじっと彼を見た。
「我らが同胞、砂漠の息子、そして我が孫をどうかよろしく頼む、ヴェルフレスト」
孫、との一語にヴェルフレストは目をしばたたいた。カリ=スは一度もそんなことを言わなかった。
「いま少しばかり、自分について語ってくればよいのですが」
彼は肩をすくめた。
「たとえば、この地について。あなた方について。奥方や、子のことも」
「どれだけ経っても痛い記憶はある」
長は言った。
「いつか、彼もまた癒されるように。ロールーは彼がどこにいてもお見守りくださるだろう」
どこにいても。
カリ=スはリエスとともに「西」にいる。
ヴェルフレストがどうしているのか、知らぬまま。
あのあと彼の護衛はどうしただろうか、と幾度も考えたことを考える。
おそらく、探しようもない彼のことは諦めてエディスンへ向かっただろう、と王子はほぼ正解を考え当てた。違うのは、砂漠の男は「諦めた」訳ではないというところだ。
彼にはカリ=スの守りがある。長の言葉はじんわりとヴェルフレストに染み込んだ。カリ=スはヴェルフレストが「攫われた」ことを自分の失態のようにでも思っているだろうか。まさか口に出してアドレアを罵ったりはしないだろうが、少しは焦る様子を見せただろうか。
リエスが冷淡と評した砂漠の男の対応をヴェルフレストが見れば、しかし彼にはカリ=スが大いに泡を食ったことが容易に判ったに違いない。もし隣にいれば――その仮定は矛盾しているが――にやりと笑ってやるところだが、こうして離れてみれば済まないと思う。
アドレアを行かせたくないあまり彼女をとどめようとすれば自分が遠くへ連れていかれ、不思議な町に閉じ込められて追い出されて、カリ=スがあれだけ禁じた砂漠の地に足を踏み入れ、半日どころか一刻も経たぬうちに太陽に負け、「神の導き」で拾われた先はカリ=スの部族ときた。




