01 聞かせてもらえるか
王は、絶対安静であった。
いまだに意識は取り戻さなかったが、火事の煙のためにそうなった人間によくあるように、次第に呼吸を薄くしていくということはなかった。
医師は首を捻ったが、魔術の治療が功を奏したのだという宮廷魔術師の言葉にうなずくしかなかった。第一、在任中に王に万一のことがあれば、宮廷医師は失職では済まない。彼に非がなくとも責任を取らされる地位だ。ご無事であるのならば、たとえそれが医師に理解できない技によるものであろうと歓迎すべきところである。地位のためだけではなく、一市民としても同様に。
魔女アドレアの姿を見た者はいなかった。
ローデンとともに術を行使したあと、彼女はすぐに王宮から消えていた。
「――ローデン公爵」
現れた姿に、宮廷魔術師は正式な礼をした。いま、彼の許可なくこの部屋に入ってこられる人物は少ない。デルカード第一王子はそのひとりである。
「そろそろ、聞かせてもらえるか。父上に何があったのか」
「……それは」
ローデンは言い淀んだ。
「陛下のご許可がないうちは、殿下であってもお話しできませぬ」
「馬鹿を言うな。業火だな。やつらの仕業なのだろう」
「そうであるかもしれず、そうではないやも」
「ごまかすな、ローデン」
「そのようなことは。私にも判らぬことはあります、殿下」
「俺には判るのに、か?」
「お判りとは思えませぬ」
ローデンは詫びる仕草をしながら言った。
「殿下がご存知の、朝の会議でお話ししたことだけが全てではないのです。いえ、企みあって隠していた訳ではございません」
王子が咎めようとするのに気づいて、魔術師は先取った。
「軽々しく口にできないこともございます。陛下はたいへん、熟慮されていらっしゃいまして」
「父上が、か」
デルカードは唇を歪めた。
「お前が、ではないのだな」
「殿下はよもや、エディスンの宮廷魔術師はその魔術で王をたぶらかしているとでも、お思いに?」
「そうは言わぬ」
デルカードは手を振った。
「父上が心からお前を信頼していることは判っているからな。そう思わぬ諸侯もいるが」
「私の悪評などはいまさら取り立てることでもありません」
「これまでのことではない。今回のことだ」
王子は言った。
「城下で城の馬車が燃えたことはみな知っている。そして父上が重体となれば、それを結びつけることなど子供でも簡単だ。もちろん、魔術が関わっていることも」
「関わっていればどうなのです」
ローデンは乾いた笑いを浮かべた。
「宮廷魔術師が魔術から王を守れなかったと裁きたいのなら好きにすればいい。ですがそれは、陛下のご容態が落ち着かれてからの話」
「俺にはお前を罰する気はない、公爵。お前が尽力したことは判っている」
魔術師はその言葉に礼をしたが、王子は苛々と手を振った。
「斯様な儀礼を寄越すな、ローデン。俺は王子としてではなく、父上の息子としてその友人と話をしたい」
「世間では」
ローデンは目を細くしてデルカードを見た。
「ヴェル様がカトライ様によく似ていると言われますが、外見ではなく、中身はデルカード様の方が似ているようにも思いますな」
「融通の利かない辺りがか」
「そのような問い返しもです」
王の友は、あのとき以来しばらく浮かべていなかった笑みを顔に上せた。
「では、友の息子にはお話しをしましょう。先日の火事はともかく、今回の件は業火の神官の仕業ではない。それ以外に彼に害を為そうとする存在は、息子であるあなたならば知っていますね」
「――コズディム神殿長グルス」
「そうです」
「まさか。いや、『有り得ぬ』では済まされぬのだな」
デルカードは唇を噛んだ。
「しかし、それでも八大神殿が王家に反意を見せるとは考え難い」
「神殿ではありません。グルスです。せめてもの幸いと申しましょうか」
「何故だ。母上のことか」
「そのような人間らしい感情のためならば、まだよかったやもしれません」
「神殿長が人間ではない、などとは言い出すなよ」
それは第一王子の冗談であったかもしれないが、宮廷魔術師はそれを真顔で認めるしかなかった。
「その通りなのです、デルカード様」
「何だと?」
「トバイ・グルスはリグリスと呼ばれる魔族の一種。ドレンタルという男に名を与え、業火の神を崇めさせて風具を狙わせた、張本人」
「──何だと?」
王子は繰り返した。
「グルスは人間ではない。魔物と呼ばれる存在です。ですが、過去に魔女を操って指輪を奪わせ、現在には王陛下を害する。人間であろうとそうでなかろうと、エディスンにおける大罪者であることに変わりはありません」
「確実か」
「間違いありません」
ローデンははっきりと言った。王子はほんのわずか躊躇うように視線を落としたが、すぐに顔を上げる。
「では、捕らえよ。魔物であろうと何であろうと、捕らえて吊せ。吊して死なぬようなものならば、首を切り落とせ」
「証拠がございません」
王子の即決に王の影を見ながら、ローデンは首を振った。




