07 ここから出てもらう
「王子よ。おぬしもいつの日かこのスラッセンを必要とするかもしれぬ。その日は未来永劫こぬかもしれぬ。だが、少なくともいまは必要としておらず、知るべきでもない」
まるで占者のような物言いだった。半端に未来を予言し、どうとでも取れるような言葉を紡ぐ類の。
占い師のなかには真実に予見の力を持つ者もいたが、たいていは騙りだ。王宮を訪れ、王の、王子の、街の運命を告げにきたと主張して、意味のない言葉を飾り立てる。
エディスンにはエイファム・ローデンがいたから、どんなもっともらしい予言にもカトライ・エディスンが惑うことはなかったが、巧い詐欺師が不安を抱える王に向かって破滅や災いを視た、などとやれば、王室に、宮殿に、街にどのような混乱がもたらされるか。
たとえ魔力と言われるものを持たずとも言葉の力は他者を呪えるのだと王子に教えたのは、魔術学の師でもある宮廷魔術師だった。
この不思議な――レンの第一王子の顔を持ちながらアスレンではないと言う男の言葉が意味するところは何なのか。狙いは。
「深く考えるな。ただの単純な事実にすぎん」
男は鼻を鳴らした。
「お前は〈魔術都市〉の……レンの人間なのか?」
ふとヴェルフレストは尋ねた。
「そうではない。だが、そうでもある。ああ、そんなことを説明してもはじまらぬ。王子よ、ここを去れ」
曖昧な返答のあとの、簡潔で誤解しようのない指示、それとも命令に、ヴェルフレストは目をしばたたいた。
「つまり、私が久方ぶりにここに足を踏み入れた理由はひとつ。お前さんにここから出てもらうためなのだ」
ヴェルフレストは計るように魔術師を見た。
「出ていってもらいたい」という依頼なのか。
力ずくでも彼を追い払おうという意図なのか。
「ここから出してやろう」という提案なのか。
「俺はここでアドレアを待つ」
どれであろうと、ヴェルフレストの返答は同じだった。魔術師は腕を組む。
「アドレアは、ここには戻ってこぬぞ」
「いや、戻ってくる。約束をした」
王子は主張したが、魔術師は肩をすくめるだけだ。
「〈恋の女神の力は絶対〉というが、魔女との恋など勧めぬよ」
「お前の意見などは訊いていない、術師」
ヴェルフレストは唇を歪めた。
「であろうな。言われてひょいと引っ込められるなら、恋ではないということになる。哀しい結末にしかならぬ恋物語だとしても、進みたいと望むのならば誰にもとめられん。……そんな顔をするな、私は予言はせんと言っとるだろう」
一般論だ、と言いながら術師は同情的な視線を寄越した。王子は、自分はそんなに情けない表情でも浮かべただろうか、と苦笑した。
「予見はせん。それ故、アドレアが戻ってこないというのは我が予知ではない。彼女は逃げることをやめたから、ここには戻ってこられぬのだ」
「彼女自身、そのようなことを言っていた。だがそれでも、戻ると」
「町の外まで迎えにくることならばできるだろう。そこまでやってこられれば、な」
「何」
ヴェルフレストは心臓がどきりとするのを感じた。
「アドレアは、どうしている。無事なのか。父は」
「知らん」
男は即答して、苛々と首を振った。
「私は暇人ではないのだ。誰も彼も見張っておることなどできん。どうしてどいつもこいつも、私が何でも知っていると思うのだ?」
それは、どうにも思わせぶりな口を利くからだろう、と王子は思ったが口は閉ざしていた。
「いまさら何をしたところでかつて投げ出したことへの償いにはならんが、それでもやらねばならんことがある。お前さんはそんな道は歩むなよ。まあ、今後何をやらかすとしても、私ほど負債を溜めることはなかろうが」
「ふん」
王子はじろじろと相手を見た。言うことは相変わらず判らないものの、何だかヴェルフレストはこの男を面白く思うようになってきた。
「そなたは何だ、この町の護衛術師でもやっているのか」
彼の言葉に魔術師は笑った。
「そのようなものだ」
「それで」
ヴェルフレストはじろりと相手を睨む。
「負債を抱えているそなたとしては、素性の知れぬ王子などをおいておく訳にはゆかぬと、そういうことか」
魔術師はそれに大いに笑った。
「素性の知れぬ王子か! それはいい」
王子というのは普通、氏素性がはっきりしているものである。ヴェルフレストは別に魔術師を笑わせようとした訳ではなかったが、その言い方は大いに相手を楽しませたようだった。
「面白い言葉を聞かせてもらった。その礼にもう少し説明してやろう」
男は続けた。
「アドレアは戻らぬ。戻るつもりであっても、もはや町が受け付けぬ。彼女が戦えば、勝とうと敗れようと、彼女を追う者はいなくなる。よって、アドレアはここに戻らない。ここまではよいな?」
魔術師は言い、彼はうなずいた。そういう意味合いではないか、とは考えていたことだ。
「となれば、お前の立場は逆転する。お前自身は迎えを待っているつもりだろうが、その迎えがやってこなければおぬしは『追う者』になりかねん。判るか」
「む……」
もちろん彼自身は、アドレアを「追跡する」だとか「追い詰める」だとかいう意図を持たない。
「こない者を待ちわびることと追うことは異なると思うが……そんなことは承知の上で言っているのだろうな」
「実に賢くて結構。『追う者』は、この町では異分子だ。早く出ていってもらわねば、民の不安が募る」
「納得したとは言いがたいが、言わんとするところは理解した」
彼はうなずいて、それから見えぬ部屋の外を見回すようにした。
「ではここは、逃げ隠れる者のための町、ということだな」
ヴェルフレストはアドレアの言葉を思い出しながら言った。
確かに彼女もそのようなことを言っていた。逃げなければ、戻ることもないと。
「逃亡者を軽蔑するか、若き王子よ?」
魔術師は面白そうに言った。
「追われ、逃げることしか選べなかった者の苦しみを信じぬか? 戦う道はあるはずだと思うのだろう」
「何も言っておらぬが」
苦笑して彼は言ったが魔術師は面白くもなさそうに手を振る。
「若さと身分と力に慢心した王子などもうお目にかかりたくないが、身分を忘れて恋や冒険を求める王子も面倒だ」
「俺がそのようなものを求めたと?」
「求めずとも与えられることもなくはないが、稀だな」
それが返答であるらしかった。
「俺は」
ヴェルフレストは言いかけたが、術師はさっと手を上げてそれを制した。彼の言葉がとまる。まるで、魔法をかけられたように。――そうなのだろうか?
「さて、お喋りの時間はもう充分だ。私はやるべきことをやる。言っておくが、おぬしに選択の余地はないぞ、王子。いや、ひとつだけあるな」
男は片頬を大きく歪めた。
「自らの足で出ていくか、強引に放り出されるかだ」
魔術師の薄灰色をした目が、王子の青いそれを射抜くように見た。




