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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第6話 転進 第4章

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04 手をすり抜けて

「……一日だ」

 少年は答えた。

「一日だけ、待つ」

「充分です」

 アロダはにっこりと笑った。

「『東の男』について、術師は何か知ってる?」

 ユファスが念のために問えば、アロダは首を振った。

「さて。さっぱりですな。首飾りがいま、どこかの魔術師の手にあるという話ならばローデン術師が掴まれましたが、その場所は全くの不明ですし、東の男とやらがどれほど関わるのかも」

「全くの不明、と」

 ティルドが言葉を先取った。アロダはうなずく。

「では、早速行ってまいります。これを機会に、ティルド殿に信頼してもらいましょう」

 魔術師はまたにこにこと言った。ティルドはそれを胡乱そうに眺め──はっとなる。

「俺のことより、リエスを助けるって約束、忘れてないだろうな」

「リエス殿。はて」

「おいっ」

「冗談ですよ、覚えてます。薬なら用意しているところですよ」

「面白くもない冗談、言うんじゃねえ」

「すみませんね、ティルド殿が判りやすい反応をして下さるから嬉しくて、つい」

 ティルドは唸り声を上げ、ユファスは笑いをこらえた。

「そうですね、ティルド殿のご機嫌を取るには蓮華嬢のお世話をした方がよいかもしれませんねえ」

 アロダが少し笑うようにして言うので、ティルドはぴくりとする。

「妙なこと考えるなよ。俺は、何て言うか、あいつに責任があると思って」

「責任。責任取らなきゃならないようなことをしましたか」

 含むような言い方にティルドは一(リア)首を傾げたが、魔術師がそこで「未婚のお嬢さんに対して破廉恥な」などと続けたのでふるふると拳を握ることになる。

「てめえっ」

「はいはいそこまで。術師もあんまりティルドをからかわないでくれますか」

「とめるな、ユファス。一発、ぶん殴る!」

 少年は半ば以上本気で拳を振り上げたが、アロダが降参するように両手を上げたのと、ユファスに肩を押さえられたのとで、渋々とそれを下ろした。

「お喋りは考えものだと、このところ何度も思わされますねえ」

 魔術師は嘆いてみせると、さて、と立ち上がる。

「ではまず、先に薬を完成させてリエス嬢のご様子を見てまいりましょう。半日くらいはかかるでしょうか。そのあとで、私はコルストに」

 よろしいか、と言うようにアロダはティルドを見る。ティルドはうなずいたが、何となく、何かが引っかかるように思った。

 だが明確なところは、彼の手をすり抜けていく。

 何かが、気にかかるのに。

 それから魔術師は食事の代金を支払うと、宿の人間の疑わしい目線――この小さな町で、昨夜まで見なかった男がどこから現れたのか、例の「謎の少年兵士」といるからには不可思議な任務でも負うものか、兄のような男も突然やってきたし、彼らはこの町で何かよからぬことを企んではいないだろうか、というような――にかけらも気づかぬふりをして、外へ出ていく。

「それじゃ、もう一日待機か」

「ああ。……いや」

 ユファスが言うと、ティルドはうなずいてから否定するように首を振る。

 まだ西へ行きたいのかと問う兄に、弟は困ったような顔をした。

「何だかさ、気に入らないんだ」

「アロダ術師が? でもそれなら、いつものことだろう?」

 お前には、と兄。

「違えよ。まあ、あいつは気に入らないけど、確かにそれはいつものことだ」

 ティルドは苛々と指で卓を叩く。

「何がって言うと、よく判らねえんだけど……」

 曖昧なものを言葉にしようとしたところでますます不確かになるだけだ。ティルドは頭痛でもするかのようにうなる。

「たとえば、東の男って話とかさ。何であんな通りすがりの奴が関係するんだ? 本当に関係なんかあんのかな。やっぱ、ふたりとも言うように、メギルは俺をコルストに行かせたくないだけなのかも」

「それに関しては術師が見てきてくれるよ」

「敵は業火だぞ?」

 ティルドは唇を歪めた。

「あのおっさん、魔女に口では勝つみたいだけど、肝心の腕はどうだか。ちょっとばかり達者でも、たとえばメギルだけじゃなくて、ラタンやセイも待ち構えてたら?」

「アロダ術師のことを心配してるのか?」

 ユファスは意外そうに言った。

「違えよ」

 ティルドは顔をしかめた。

「あんなオヤジ術師、知ったことか。せいぜい、俺のせいで死なれちゃ、ちょっと気分が悪いってくらいだ」

 言いようはどうあれ、「アロダに死んでほしくない」と思っているのは確かであるように聞こえた。ユファスは少し笑う。

「それは、僕から彼の魔術薬を取り上げたときの剣幕に比べたら、大した進歩のようにも」

「うるせえな」

 言ってティルドははたと思う。

「あいつの薬、まだ飲んでんのか?」

「まあね」

 ユファスはうなずいた。

「あのどろどろした液体にも、慣れてきた」

 そう言いながらもユファスはしかめ面をする。

「ほんとに、効いてるのか?」

「前言撤回」

 疑わしい言葉と顔つきに、兄は笑った。

「やっぱり、信じていないみたいだ」

「少なくとも俺は、あんなもん飲む気にはなれないし」

「飲まないで済むんならそれに越したことないよ」

 やはり笑ってユファスは言い、ティルドは何か言い返そうとしたが、はたと思って謝罪の仕草をした。

「……ごめん。兄貴だって、好きで飲んでる訳でもないよな」

「何言ってるんだよ」

 ユファスは首を振った。

「僕の怪我は僕のせいだし、言ったろ。日常生活には差し障りない。術師から薬をもらうのは念のためで、僕が選んだことだ。ただ少し」

 青年はそこで言葉をとめた。ティルドは続きを待ったが、ユファスがじっと考えるようにするので、声を出して先を促した。

「気のせいかもしれないんだけど、間隔が……短くなってきているかもしれない」

「間隔?」

「術師の薬が効いている時間。ひと月に一度って言ってたけど」

 ユファスは指折り数えるようにして、首を振った。

「いや、やっぱり気のせいだろう。飲み続けたせいで効力が弱まるようなものなら彼は知っているはずだし、言うはずだ。たぶん、このところの気候のせいでそんなふうに思うんだよ」

「調子、悪いのか」

「少しね」

 兄は認めた。

「でもアーレイドで先生(セラス)に診てもらっていたときも、冬場にはあったことだ。気にするほどのことじゃないよ」

 ユファスは気軽に言った。ティルドは、兄がそう言うのならばそうなのだろうと思い、そのあとで、不安になった。

 実際は、どうなのだろう。

 兄は、弟に心配をかけまいとする。だと言うのに、少し調子が悪いと認めた。

 となると本当は、かなり調子が悪いのでは?

「……どうかしたかい?」

「いや」

 だが、問い詰めてみてもユファスが笑ってかわすことは判りきっている気がした。

 ただ少年が思うのは、兄に「日常生活」以上のこと──この場合は、剣を抜いて戦うこと──をさせなければよいのだ、という辺りだ。

 もっとも、弟が突っ走れば兄はそれを補助しようとするだろう。これは困ったところだった。

 アーリの仇を討つために、ユファスの仇討ちまで必要になっては、困る。冗談ではない。彼らはこの世にたったふたりだけの家族なのだ。

(あなたの決断は)

(われわれの命をも脅かすかもしれないのだと)

 不意に、アロダの言葉がティルドの内に蘇った。

 彼はあのとき、そのようなことは望んでいないと言った。当たり前のことだ。

 だが、そう言いながらも決して退く気はなかった。復讐への思いが激烈で、視野が狭まっていたのもあるだろう。ユファスやアロダが彼のために命を危うくするという想像は茫洋としていて、現実的に感じられなかった。

 しかし、いまでは?

 兄は一度、魔女の術下に落ちたと言う。そのときにユファスの命が無事だったのは、ただ、リグリスがそう命じていなかったというだけ。

 あのときよりも彼らの身は危うい。実感はないが、本当に彼らが継承者とやらであるならば、たとえ手を引いたところで危険は去らない。

 となれば、確かに、戦うしかない。もとよりティルドはそのつもりだ。

 ただ――。

 仇討ちのために、走り出した。その気持ちは、消えていない。

 あの日の激しい記憶はまだ薄れやしない。思い返せば息が止まるほどの強い痛みも、まだ彼を襲う。

 だから魔女を追うと言う、魔女を殺すと言い張る、そうだ、言い張っている。

 メギルは決闘の約束をちらつかせたが、本当に「逃げない」という約束を守るものかなど判りはしないではないか。そもそも、「気合いで魔術に勝ってみせる」などという無策で、本当にどうにかなると思っているのか。

 自分はただ、怒りと悲しみを持て余しているだけではないのか。

 仇討ちをと叫ぶ、これは単なる、意地ではないのか?

「ティルド?」

 珍しくも考えに沈み込んだ弟にユファスが声をかける。ティルドは顔を上げ、浮かびはじめた葛藤を振り払うかのように、何でもないと手を振った。


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