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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第6話 転進 第3章

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05 ここはどこだ

 気がつくと、彼は粗末な寝台の上に横になっていた。

 ぼんやりとした頭で見慣れぬ天井を見、すっと身を起こそうとすると、激しい頭痛に襲われる。

 ヴェルフレストは――王子らしくなく――品の悪い罵り言葉をひとつふたつ吐くと再び寝台に倒れ込み、強く瞳を閉じて頭を押さえた。

「無茶をするからだ」

 冷たい声がすると、彼は目を閉じたままでにやりとした。

「俺は、どうした。お前の魔術に巻き込まれて、気を失いでもしたか」

「近いね。言っておくが、私がちゃんと準備をした上でお前を連れようとしていれば、そこまで酷いことにはならない。強引についてこようなど、お前はとても危険なことをしたのだよ。ひとつ誤ればお前も私も次元の狭間に囚われたやもしれぬのだ」

「それはつまり、無事についてこれたということだな」

 彼は悪びれないように言ってから今度はゆっくりと目を開け、静かに起き上がった。そこには確かに、白い髪をした魔女の姿。

「俺に言わせれば、言いたいことだけ言って逃げようとするお前が悪い」

「逃げる、か」

 ヴェルフレストはてっきり「逃げてなどいない」とでも反論されると思ったが、意外にも魔女は微かに息をつくだけだった。

「逃げたところで、何も得られぬな」

 それは彼に向けられた言葉ではなく、アドレアひとりの呟きであった。ヴェルフレストはそう気づき、奇妙な感覚を覚えた。

 こうして彼が目の前にいるのに、彼女は彼を見ていない。それは少し、面白くなかった。

「アドレア」

 ヴェルフレストが何か言おうとする前に、すっと陶器の杯が差し出された。

「飲め。魔術がもたらす頭痛に効く」

 飾り気のない白い陶杯のなかには、とろりとした液体が入っている。ヴェルフレストは言葉を続けることをとめ――何を言おうとしたのかよく判らなかったこともある――それに手を伸ばした。

「これは、魔術薬か」

そうだ(アレイス)

 王子は少しだけ嫌そうな顔をしたが、文句は言わずにそれを飲み干した。黄色い液体はざらついているようだったが、喉に残ることはなく、香りも爽やかで、彼は少し楽になったように思えた。

「魔女の差し出すものを躊躇いなく口にする。よくないよ、王子」

「飲めと言ったのは、お前だろうが」

 ヴェルフレストは笑うが、アドレアは首を振る。

「簡単に私を信じるな」

「いや、俺はお前を信じると言った」

「いまならばまだそれを撤回できる。やはりお前は疑わしいと、信じられぬと、そう言っておけ」

「断る」

 にやりとして王子は言った。

「俺は〈逆さま精霊(ネオーリス)〉の申し子でな。やるなと言われると、やりたくなる」

 魔女は嘆息した。

 いや、それは「魔女」というよりも、息子の屁理屈や悪戯に手を焼く母親のようで――ヴェルフレストはまた奇妙な感じを覚え、面白くないと思った。

「そう」

 アドレアはふと遠くへ視線を向けた。それがどこであるのか、ヴェルフレストには判らない。それを言うならば、ここがどこであるのかも彼は判っていないのである。

「いつまでも逃げてはいられぬ」

 彼女は先の言葉の続きを語った。

「アディ?」

 ヴェルフレストはそこに、これまでアドレアに見たことがなかったものを見た。何かを決意するような。

「お前はここにいれば安全だ、王子。決してあの扉から外へ出ようとするな。本当であれば、お前はここに入ることはできぬのだ。お前をここから出さぬと言う約束で、入れてもらった」

「何だと?」

 突然の言葉に彼は混乱をした。

「待て、順番に言え。ここはどこだ?」

「言えぬ」

「そうか、では、ここにお前の主でもいるのか」

 その言葉にアドレアは動じたようだったが、はっきりと首を振った。

「おらぬ」

「だがお前に命令できる相手がいる」

「命令、と言うのではない」

 アドレアは少し困ったように言った。これは珍しい、と王子は思った。

「どんな小さな集落にも決まりごとがある。エディスンに法があるのと同じ。私はそれに従う。こうして特別にお前の滞在を許されたのだから、お前を出さぬという約束は守りたい」

「……それは、また」

 なかなか魔女らしくない物言いである。ヴェルフレストは少し考えた。

「いいだろう。お前の名誉のために、俺はここでじっとしている」

 彼がうなずくと、彼女は安堵したようだった。

「秘密の場所の不思議な規則はそれでよいとして」

 ヴェルフレストはすっと目を細めた。

「つまり、お前は俺をおいてどこかへ行く気だな。エディスンか」

「そうだ」

 アドレアは頭痛でも堪えるように目を細くして、肯定した。

「では、俺も行く。連れてゆけ」

「駄目だ」

「何だと?」

 ヴェルフレストはその即答に片眉を上げる。

「エディスンへ帰れと言ったのはお前ではないか。父上が、危ないのだと」

 王の息子の目に危惧が浮かんだ。

「このように移動ができるなら話は早い。多少、俺が目を回したところで」

「私はお前をどのような魔術にも巻き込まぬ」

 それが魔女の返答だった。

「こうしてここへ連れてきた、このことは不本意だ、ヴェルフレスト王子。私はお前にどのような魔術もかけはしない」

「『どのような魔術も』」

 彼は唇を歪めた。

「たとえば俺が例の女夢魔の魅了術に陥ちたり、火に撃たれて瀕死となっても、魔術で救うことはせぬと」

 それはアドレアをやり込めよう――困らせよう、あまつさえからかおう(・・・・・)という意図のあった台詞だった。だが彼は、やはり意外な即答を聞く。

そうだ(アレイス)。『どのような魔術も』ということは、そうなる」

「それは、また」

 彼は目をしばたたく。

「冷たくなったものだ。守ってくれるのではなかったのか」


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