05 ここはどこだ
気がつくと、彼は粗末な寝台の上に横になっていた。
ぼんやりとした頭で見慣れぬ天井を見、すっと身を起こそうとすると、激しい頭痛に襲われる。
ヴェルフレストは――王子らしくなく――品の悪い罵り言葉をひとつふたつ吐くと再び寝台に倒れ込み、強く瞳を閉じて頭を押さえた。
「無茶をするからだ」
冷たい声がすると、彼は目を閉じたままでにやりとした。
「俺は、どうした。お前の魔術に巻き込まれて、気を失いでもしたか」
「近いね。言っておくが、私がちゃんと準備をした上でお前を連れようとしていれば、そこまで酷いことにはならない。強引についてこようなど、お前はとても危険なことをしたのだよ。ひとつ誤ればお前も私も次元の狭間に囚われたやもしれぬのだ」
「それはつまり、無事についてこれたということだな」
彼は悪びれないように言ってから今度はゆっくりと目を開け、静かに起き上がった。そこには確かに、白い髪をした魔女の姿。
「俺に言わせれば、言いたいことだけ言って逃げようとするお前が悪い」
「逃げる、か」
ヴェルフレストはてっきり「逃げてなどいない」とでも反論されると思ったが、意外にも魔女は微かに息をつくだけだった。
「逃げたところで、何も得られぬな」
それは彼に向けられた言葉ではなく、アドレアひとりの呟きであった。ヴェルフレストはそう気づき、奇妙な感覚を覚えた。
こうして彼が目の前にいるのに、彼女は彼を見ていない。それは少し、面白くなかった。
「アドレア」
ヴェルフレストが何か言おうとする前に、すっと陶器の杯が差し出された。
「飲め。魔術がもたらす頭痛に効く」
飾り気のない白い陶杯のなかには、とろりとした液体が入っている。ヴェルフレストは言葉を続けることをとめ――何を言おうとしたのかよく判らなかったこともある――それに手を伸ばした。
「これは、魔術薬か」
「そうだ」
王子は少しだけ嫌そうな顔をしたが、文句は言わずにそれを飲み干した。黄色い液体はざらついているようだったが、喉に残ることはなく、香りも爽やかで、彼は少し楽になったように思えた。
「魔女の差し出すものを躊躇いなく口にする。よくないよ、王子」
「飲めと言ったのは、お前だろうが」
ヴェルフレストは笑うが、アドレアは首を振る。
「簡単に私を信じるな」
「いや、俺はお前を信じると言った」
「いまならばまだそれを撤回できる。やはりお前は疑わしいと、信じられぬと、そう言っておけ」
「断る」
にやりとして王子は言った。
「俺は〈逆さま精霊〉の申し子でな。やるなと言われると、やりたくなる」
魔女は嘆息した。
いや、それは「魔女」というよりも、息子の屁理屈や悪戯に手を焼く母親のようで――ヴェルフレストはまた奇妙な感じを覚え、面白くないと思った。
「そう」
アドレアはふと遠くへ視線を向けた。それがどこであるのか、ヴェルフレストには判らない。それを言うならば、ここがどこであるのかも彼は判っていないのである。
「いつまでも逃げてはいられぬ」
彼女は先の言葉の続きを語った。
「アディ?」
ヴェルフレストはそこに、これまでアドレアに見たことがなかったものを見た。何かを決意するような。
「お前はここにいれば安全だ、王子。決してあの扉から外へ出ようとするな。本当であれば、お前はここに入ることはできぬのだ。お前をここから出さぬと言う約束で、入れてもらった」
「何だと?」
突然の言葉に彼は混乱をした。
「待て、順番に言え。ここはどこだ?」
「言えぬ」
「そうか、では、ここにお前の主でもいるのか」
その言葉にアドレアは動じたようだったが、はっきりと首を振った。
「おらぬ」
「だがお前に命令できる相手がいる」
「命令、と言うのではない」
アドレアは少し困ったように言った。これは珍しい、と王子は思った。
「どんな小さな集落にも決まりごとがある。エディスンに法があるのと同じ。私はそれに従う。こうして特別にお前の滞在を許されたのだから、お前を出さぬという約束は守りたい」
「……それは、また」
なかなか魔女らしくない物言いである。ヴェルフレストは少し考えた。
「いいだろう。お前の名誉のために、俺はここでじっとしている」
彼がうなずくと、彼女は安堵したようだった。
「秘密の場所の不思議な規則はそれでよいとして」
ヴェルフレストはすっと目を細めた。
「つまり、お前は俺をおいてどこかへ行く気だな。エディスンか」
「そうだ」
アドレアは頭痛でも堪えるように目を細くして、肯定した。
「では、俺も行く。連れてゆけ」
「駄目だ」
「何だと?」
ヴェルフレストはその即答に片眉を上げる。
「エディスンへ帰れと言ったのはお前ではないか。父上が、危ないのだと」
王の息子の目に危惧が浮かんだ。
「このように移動ができるなら話は早い。多少、俺が目を回したところで」
「私はお前をどのような魔術にも巻き込まぬ」
それが魔女の返答だった。
「こうしてここへ連れてきた、このことは不本意だ、ヴェルフレスト王子。私はお前にどのような魔術もかけはしない」
「『どのような魔術も』」
彼は唇を歪めた。
「たとえば俺が例の女夢魔の魅了術に陥ちたり、火に撃たれて瀕死となっても、魔術で救うことはせぬと」
それはアドレアをやり込めよう――困らせよう、あまつさえからかおうという意図のあった台詞だった。だが彼は、やはり意外な即答を聞く。
「そうだ。『どのような魔術も』ということは、そうなる」
「それは、また」
彼は目をしばたたく。
「冷たくなったものだ。守ってくれるのではなかったのか」




