04 方法はあるよな
「あいつが、何だ」
「あの男は風謡いについて何かを知っている。追って、聞き出しなさい。そして、それを手にするの」
「そこまで判ってんならてめえでやればいいだろ」
「そうはいかないの。あなたでなければ」
冠の継承者、という言葉がティルドの脳裏に蘇った。メギルの言うのはそういうことだろう。
「リグリス様はヴェルフレスト王子にさせるおつもりだったのだけれど、いまとなってはあなたの方が都合がいいでしょう」
「はっ、ヴェルの代わりか。けっこうなこったぜ」
ヴェルフレストの代替品のように言われたことが気に障り、ティルドは唇を歪める。
「だがな、俺は東へ行くんだ。お前が行くと言っていた」
ティルドは魔女の様子を窺いながら続けた。
「コルストにな」
その言葉がメギルにどんな反応を引き起こすか、見ようと思ったのだ。
「コルスト」
魔女はそれを繰り返した。
「そんな小さな町に、私がどんな用があるのかしら」
生憎と言うのか、少なくともその名に判りやすく動じる様子はない。
「知らねえよ」
ティルドは鼻を鳴らす。
「だけど用事はあるってこったな。それが小さな町だと知ってるんだから」
少年が指摘すると、魔女は笑った。
「そうね。ごまかすつもりはないわ、私はあの町を訪れることがある。けれどそれが何? 私はこうして、あなたたち兄弟を見ている。私が行く先に先回りはできなくてよ」
確かにその通りである。だいたい先回りをしたいのならば目指す町の名など言うべきではない。いや、そもそも彼が知ったことをメギルが知っているのであれば、隠すことも無意味だ。
ただ彼は、魔女の反応を記憶した。
「そんな町は何でもない」「大した情報ではない」というふりをしているのではないのかと。
「行きたいなら行ったらいいわ。でもいまは西よ。首飾りをお探しなさい、ティルド。風はあなたのもとに集まるの」
「それで、首飾りと引き換えに、お前と勝負か?」
ティルドは唇を歪めた。
「そんなにそっちに都合がいい話があるかよ」
直情と評される少年でも、その取引は不公平が過ぎると判った。
「首飾りがほしけりゃ、そうだな、先に冠を寄越せよ」
もっとも、これも本気と言うより、無茶には無茶で返してやろうという考えだ。
「あら、それは無茶ね」
「どっちが!」
少年が返せば、魔女は笑う。
「それじゃこれはどうかしら、ティルド。あなたは〈風謡い〉、私は〈風読み〉を賭けて戦う、というのは?」
ガルシランは黙っていた。アロダでさえ、ティルドの返答を待った。
「――いいだろう」
少年の返答にアロダは天を仰いで嘆息し、ガルシランはゆっくりとふたりを眺め、メギルはやはり、笑った。
「決まりね」
魔女はうなずいた。
「必ず、殺してやる」
いますぐやれないのは口惜しいが、魔女はティルドを殺せなくても、ほのめかしたように魔術で逃げてしまうことが簡単にできる。
一撃で致命傷を負わせられるのでなければ、剣を抜いても無駄だ。
反射的に斬りかかろうとしていた少年も、それを押さえられたことで少し――少しだけ――冷静に考えることができた。
「そうね。首尾よく私を殺せたら、ガルに教えてあげて」
その言葉は皮肉であるのか冗談のつもりなのか、ティルドにはよく判らなかった。その言葉とともに、メギルの視線はガルシランに向く。
「話ができて嬉しかったわ、ガル。あなたに」
メギルはまっすぐに、かつての恋人を見た。
「未練がないことが判った」
「そりゃ」
ガルシランは唇を歪めた。
「男としては、嬉しくない報告だな」
「魔女が相手でも?」
「お前を大事な女だと思った日々まで否定する方が情けないからな」
「――あなたのことは、どうにかしなければね」
メギルの呟きにガルシランは片眉を上げた。
「あなたは、リグリス様の描かれる画のなかにはいないの。だから、いずれは私がどうにかしなければ」
「はっ」
戦士は笑った。
「ご主人様の計画に邪魔という訳か。ならば殺すか?」
「もし必要とあらば」
沈黙が降りた。アロダも黙り、ティルドですら、このときは彼が口を挟めぬ関係を感じていた。
「その必要がなければいい、とは思っているわ。過去への未練がないことと情がないことは違うのだから」
「手を引け、ということか」
「言ったでしょう。私を殺したいと心が決まれば、呼びなさい。そうね」
メギルはティルドを見た。
「この件は、あと数月もかからずに終わるでしょう」
数月後にあるもの。
ティルドの頭にそれがよぎった。
「――〈風神祭〉」
十年に一度の、エディスンの大祭。
それは、風神に祈りを捧げる、王家の儀式だと言う。
魔女は、リグリスはそのときに向けて、何かを企んでいると。
ふと脳裏に蘇る、懐かしいエディスン。それなりに愛着はあるが、もし帰れなくなってしまったらそれはそれで仕方ないかな、などと考えていた街。
十年前の祭りはあまり記憶になく、近くやってくるそれについても、まだ人々が盛り上がる以前に彼は旅に出た。だから、ただ「大きな祭りだ」という認識しか持っていない。王家についても、兵士として最低限の忠誠心はあるが、それくらいだ。
だと言うのに、祭りが、儀式が台無しになると考えると、不快な気分を覚えた。
「取引、だったよな。判ってる」
少年は呟いた。
「だけどな、そのために……お前たちの思うままに動いてやらなくても、方法はあるよな」
少年は右手に力を込めた。
「いま、終わらせてやるって方法がよ!」
叫んだその瞬間、するりと剣が抜ける。
魔術師の禁止の術が破れたことに驚く間も感謝する間もなく、ティルドはそれを振りかぶった。
カァンっと夜闇に剣戟が響く。
彼に対したのはメギルではない。アロダでも。
音もなく自身のそれを抜いたガルシランと、ティルドは剣を合わせていた。
「ガル、てめえっ」
「いまはやめろ、ティルド」
「いまでもあとでも同じだ! くそ、巧くいったと思ったのに!」
何も慎重に隙を窺っていた訳ではなかったが、結果的には魔術師たちの油断を突くことができたのだと、彼はそう思った。
「やっぱ、そっちにつく気なのか。ガル、てめえがその気なら、俺は」
「戦士殿を斬る? 魔女の不意をつくより無理ですよ、ティルド殿」
術を破られたためか、アロダはがっくりと肩を落としながら言った。
「何が無理だ! いま、できたろうが!」
「できてないじゃありませんか」
とめたのがガルシランの剣であったというのはメギルが対応できなかった証明にはならない、とアロダは言うようだった。
「だいたい、落ち着きなさい。ふたりとも、誰かが出てこないうちにさっさと剣をしまう。ほら、周りをご覧なさい」
魔術師は掌を上にしてすっとそこを指した。
「あなたがたが斬りたい相手も守りたい相手も、もういませんよ」
その言葉の通り、既にメギルの姿はない。
先に剣をしまったのは、ガルシランだった。数秒を躊躇ってから、ティルドも切っ先を下ろし、鞘に収める。
沈黙と、夜の冷たい風だけが、彼らの間を通り抜けた。




