10 言い訳のしようがない
街灯の明かりがかろうじて届く町の片隅で、ティルドは地面に腰を下ろして兄を待っていた。
例の抜剣騒ぎはヴェルフレストの存在のためにうやむやになった。
少年を捕まえようとして「王子」の言葉にとめられた町憲兵は隊長に報告をし、隊長はヴェルフレストに相対して、エディスン王の印章、親書をあらためたものの、田舎町の町憲兵隊長にその真偽は判らない。
本物を罰するよりは偽物に騙された方がましだとでも思ったのか、隊長は彼らを罰しないことにした。そしてティルドがそれに安堵の息を洩らすも束の間、ヴェルフレストは北へ向かって出立した。
彼らの間ではそういう予定になっていたし、ティルドとしてはいつまでも王子殿下の顔など見ていたくなかったけれど、「王子の兵」という理由で許されたはずのティルドが何故「王子」についていかないのかと、少々怪しい目で見られていたのである。
小さな町はお喋り鳥も容易に飛び回れるものだから、「また騒ぎを起こされては困る」と彼を入れたがらない店も多く、ティルドはアロダが屋台で買ってくる飯を道端で食いながらユファスを待っていた。宿屋だけは追い出されずに済んでいたものの、屋内にじっとしているよりは外にいた方がいい。
「ティルド、無事だったか」
「兄貴こそ」
再会したムール兄弟は互いの無事を喜ぶ挨拶もそこそこに、話をはじめた。
「リエスがきたんだ」
開口一番、ティルドはそう告げた。
「何だって? フラスの、あの子かい? どうして」
「それは、ほら、俺が……ああ、順番、間違えた。フラスでのことから話す」
そう言って少年は語りはじめたが、アロダが指摘した通り、あまり上手な話し振りとは言えなかった。
〈風聞きの耳飾り〉のこと、神官セイのこと、セイにフラスから離れるように言われたこと、やってきたこの町でリエスに再会したこと、ラタンという神官のこと、ヴェルフレストのこと、セイが業火の神官であったこと。
「言っておきますが」
アロダが口を挟んだ。
「それは、私が一緒にいたセイ殿ではないと思いますね。本物はこれまた、殺されましたかな」
魔術師は追悼の印を切る。
「何でだよ。お前、自分が騙されてたって認めたくないんだろ」
ティルドは唇を歪めて言った。アロダは肩をすくめる。
「ええ、そんなことは認めたくありません。事実ではないのですからね。セイ殿は若いですが、二十歳そこそこってことは、ないです。二十代後半でしょう。それに、呼ばれてすぐさま跳んでこられるような神力の持ち主ではなかった」
「あいつもそんなこと、言ってたぜ」
ティルドははたと思い出した。
「そうそう、これを持っていれば跳んでこられるって」
言いながら少年は、セイ――サーヌイに渡された印を取り出した。アロダはぽかんと口を開ける。
「……馬鹿ですか、あなたは」
「何だよ」
「そうでしょうが。業火の神官が目印にしていたものを後生大事に持ってたなんて」
「大事にしてた訳じゃねえよ、忘れてたんだ」
「同じです。いいから貸しなさい」
魔術師は少年の手からそれをひったくるようにした。
「こりゃ不吉だ。禍々しい。よくもまあ、こんなもんを持っていて忘れていられるものです。魔力がないってのはいいですね」
「それは、嫌味なのか?」
「そのようなところです」
アロダはそう言うとそれを握りしめた。
「こんなものは」
太めの魔術師は目を閉じ、口のなかで何かぶつぶつと唱える。
「こうです」
黒かったそれは兄弟の目の前でみるみる赤くなり、魔術師が更に強くぎゅっと握ると、溶けた飴ででもあるかのようにぐにゃりとした。その手を開くと、印はすうっと黒い色に戻っていったが、竜の形は跡形もなかった。
「ま、これで力はなくなったでしょう。あとで協会にとどけておきます。それから抹消、と。やれやれ、こういった偏った道具は嫌いですよ、私は」
「お見事、術師」
思わずユファスは拍手などした。
「こんなのは大したことありません。どうぞもっと褒めてください」
アロダは首を振って、矛盾したことを言う。
「まあ、ティルド殿がここにいることは向こうも知っていた訳ですし、移動していないと知られたところで差し障りはないと思いますが、もうちょっと慎重になっていただきたい」
「僕がいられればよかったんだけどねえ」
「兄貴が謝ること、ないだろうが」
「そうですよ。あなたはあなたで、おっと」
魔術師は慌てて口をつぐんだ。
「ユファスはユファスで……何だよ」
「ううん」
ユファスは迷った。アロダは謝罪の仕草をする。
「いいんですよ、術師。言うつもりでは、あるんだし」
「だから、何を。そっちも何か、あったのかよ」
「それがね」
兄は深呼吸をした。
「メギルが」
「あいつが!?」
ティルドの目が燃える。ユファスは嘆息した。
「フラスで」
「いたのか! あの街に! ちくしょう、そうだよな、セイ、じゃねえ、あいつはやつらの手先だったんだもんな。俺に嘘をついたって訳だ」
「そう。僕の前に現れて」
正確には後ろだったけど、などと彼は言った。
「その、魔術を」
「火を?」
ティルドの目に危惧が宿る。兄は〈風食みの腕輪〉を持っているし、こうして怪我ひとつなく彼の目の前にいる訳だが、もし後方に誰かが――いたら。
「いや、火じゃなくて」
ある意味では火かな、とユファスは呟いた。
「ええと、魅了の魔術と、言うのかな」
青年は何となく、魔術師に確認するようにした。
「そんなところでしょうね」
アロダは認めるようにうなずく。
「彼女は、それを僕に」
「何ぃ!?」
少年はがばっと立ち上がった。
「まさか、かかんなかっただろうな!」
「いや、それが」
ユファスは先に謝罪の仕草をした。
「ものの見事に」
「何ぃ!」
「一晩」
訊かれてないんだから、そこまで言わなくてもいいんじゃないですか、とアロダが呟いた。
「ひ」
ティルドは引きつった。
「一晩。それはつまり」
「そう」
言い訳のしようがない、と兄は言った。
「ユファス!」
ティルドは兄の胸ぐらを掴んで引っ張り上げた。殴られる覚悟を決めて、ユファスは立ち上がる。
「お前、これも持ってろ!」
しかし少年は兄を殴りつけるために立たせたのではなかった。
「俺よか、お前のが必要じゃんか、それじゃ。受け取んじゃなかったな」
そう言ってティルドがユファスの胸に押しつけたのは、赤い石の魔除けである。
「ええと」
ユファスは目をしばたたいてティルドを見、そこに本気で心配が浮かんでいるのを認めた。アロダが面白そうな顔をしているのは、彼らの目には入らない。
「怒ってないのか?」
「腹は立つに決まってる! でも兄貴に怒ったって仕方ないだろ」
「ごめん」
「謝るなよ。殴りたくなるだろ」
「殴られると思ってたよ」
「いいから、早く受け取れ」
ティルドは魔除けを改めて押しつける。ユファスはアロダを覗き見た。問いかけに気づいた魔術師は口を開く。
「公正な立場から申し上げれば、もしユファス殿がその魔除けを持っていれば、魔女の誘惑からは逃れ得たかもしれません。その代わり、いま頃ティルド殿はカリ=ス殿ともども、あそこです」
そう言って彼は町の教会の方を指差した。つまりは棺に入って、ということなのだろう。ティルドはむっとした。
「馬鹿言うなっ、あんなひょろっちいのにやられっかよ」
「やられそうだったんでしょうが。魔除けの力ですよ、あなたがラタンから逃れたのは。偽セイ殿から逃れた方は、継承者の力でしょうけどね」
「決まりだな」
ユファスは弟の手を押し返した。
「お前が持ってる方がいい」
ティルドは奇妙な唸り声を上げながらアロダを睨んだ。
「余計なこと、言いやがって」
「真実ですから」
魔術師は平然と答えた。
「でも、術師。継承者というのは?」
「ああそうだ、ご存知ありませんでしたね」
「ユファスは腕輪の継承者なんだと。で、俺は冠とか」
「何だって?」
ティルドが言うと、ユファスはぽかんとした。アロダが補足をする。
「私の推測も多分に入っておりますが。ほぼ間違いないと思いますね」
「それでリエスが耳飾り、ヴェルの野郎が指輪だと」
「ちょっと待って。僕は話についていけないようなんだけども」
彼は正直に言った。
「俺も、ついていってるとはあんまり言えないんだけどなあ」
ティルドは頭をかいた。
「冠ってのはもちろん、〈風読みの冠〉だよね? ティルドが継承者? ローデン術師は何て仰ってるんだい」
「それがですね」
アロダは両腕を組んだ。
「あの方も、まあ、何と言いますか、エディスンでもいろいろありまして。普段に増してお忙しい訳なんです」
「ローデン様と話してないのか?」
「失敬な。私はちゃんと連絡し申し上げていますよ」
侮辱されたとでも言うようにアロダは鼻を鳴らし、ティルドは仕方なく謝罪の仕草をした。
「公爵閣下はいま、目の前に起こる事象で手いっぱいでして。考察をされる暇がないんだと思いますね。これも私の推測ですが」
「エディスンで何があったんだよ?」
「それはまあ、いろいろと」
「僕たち――それともティルドには言えない、と?」
慎重にユファスが言うとアロダは肩をすくめた。
「ううん、そうですねえ。言えないという訳でもありませんけれど。まあ、その辺りは汲んでください」
魔術師はよく判らないことを言った。
「汲めるかっ」
案の定ティルドは納得しなかったが、アロダは肩をすくめるだけである。
「とりあえず、あなた方はお互いに持っている情報をきちんと確認してみたらどうです。私の知ることはなるべくお伝えしたつもりですけれど、またうっかりしててもいけませんから」
話題を逸らすかのような具体的な〈魔術師の助言〉――はっきりしないことのたとえ――に兄弟は顔を見合わせる。それは、アロダが何かを口にしたくないために発せられた提案のようでもあったが、もっともでもあった。
ティルドは唇を歪め、ユファスはわずかに嘆息して、その助言に従うことにした。
冬の夜は、更ける。




