07 企みはないようです
扉が叩かれ、小姓が魔術師コレンズの来訪を告げた。
ローデンは少し迷ったが、彼の王に危険の徴候は――少なくとも身体的には――ない。魔術師はいったんカトライから意識を室内に戻した。
王妃サラターラには、確かに何らかの術の気配がある。だが生憎と、彼女は操られていたり、心にもないことを言っている訳ではない。術によって肥大化はされているようだから、本来であれば胸に秘めていても口に出すことはなかった言葉であろうが。
もっとも現状では、ただの夫婦喧嘩だ。カトライは冷静に王妃からグルスの様子を聞き出すつもりでいただろうが、彼女を前にして――友人に対して言いたくはないが――ただの寝取られ男のように動じてしまった。いや、サラターラの様子からすると、冷静な対応も王の命令も「神殿長への愛」とやらの前に何の役にも立たなかったに違いない。
カトライが暴力的な男であればローデンは彼をとめる必要性があったかもしれないが、幸か不幸か友人は自分の立場というものをよく理解している。妻がどんな言葉を吐いても手を上げることすらしないだろう。王妃の方も夫のその気性を知るから、あれだけ自分勝手な物言いができるのだ。
このまま見続けるのはどうにも気分がよくなかったが、万一のことがないとも限らない。魔術師はカトライとの繋がりを保ったまま、来訪の許可を出した。
導師コレンズは簡単な礼をして、室内に歩を進める。こういうとき、公爵の執務室にいる使用人たちは、為すべきことを心得ていた。つまり、何も言わずに礼をして、部屋を出て行った。
「首飾りとそれを手にした魔術師の件ですが」
扉が閉ざされたのち、コレンズはすぐに声を出したが、そこには少し迷うような響きがあった。
これは、彼がローデンのそばにやってきてからは一度も見られなかったことで、ローデンはいったい何事であろうかと片眉を上げる。
「会ったのか」
「私ではなく、言うなれば、部下が接触を」
魔術師協会に導師と教え子はいても、上官と部下という訳ではなかったから、その言い方はあまり適切ではなかった。コレンズがその言葉を選んだのはおそらく、「弟子」ではない、という意味合いなのだろう。
「相手はどのような術師だ」
「若い男だそうです。魔力はあまりありませんが、変わった資質がある」
「野心があるようか」
「いえ」
ローデンの問いの意味を理解して、コレンズは首を振った。
「おかしな企みはないようです。言うことも真っ当で、首飾りに関して嘘をついている様子はなかったとのことでした」
「何だと?」
宮廷魔術師は、導師が報告を躊躇うようにした理由が理解できたように思った。
「あなたが誰を派遣したのか存じぬが、信頼できる術師ではないのか」
「は、充分に能力があり、判断も信用できます」
「ではつまり」
ローデンは眉をひそめながら言った。
「あなたの部下は、問題の首飾りを目にしていない。だが、それでよいと判断したと」
「そうなります」
「言い訳は何だ」
少し皮肉めいた口調で、ローデンは言った。コレンズは困った顔をする。
「まずは、呪いです」
「だがその真偽は目にし、手にして判断せねば。相手が何者であれ、魔術師が魔術師の口先に翻弄されてどうするのだ」
ローデンは呆れたように言ったが、コレンズは静かに首を振った。
「お聞きください、閣下。呪いは、風が吹くと発動するのです」
コレンズは真剣に言った。
「風が」
ローデンは繰り返した。
「それはまた、風具らしいな」
「ええ、そうとも言えます」
そう言ってコレンズは、その首飾りは風が吹くと音色を奏で、その音が呪いと同調しているようだ、という話をした。
「屋内に、たとえば宮殿内に持ち込んでしまえば問題はないのかもしれませんが、風司は風具を手にすると他者には判らない突風を感じるという話もありましょう。それも警戒して厳重に封をするとしても、魔術と異なるものがどのような作用を及ぼすかは」
「確かに。判らぬ」
宮廷魔術師は嘆息混じりに同意してから続けた。
「まずは、と言ったな。次には、何だ」
「問題の魔術師当人です」
コレンズは答えた。
「成長途上の魔術師ながら、判断のつけ難い奇妙な守りの力を持っていると。あなたが読めば、たいそう数奇な星の持ち主と言うことになるかもしれません」
「それは、星読みに携わるものとしては、興味深いが」
星読みの術師は唇を歪める。
「宮廷魔術師としては、そうかと納得する訳にはいかぬな」
「お忘れですか」
コレンズの言葉にローデンは片眉を上げた。
「宮廷魔術師が星読みの術師なのではない。星読みをするあなたが、たまたま宮廷魔術師なのです」
「――星巡りには、逆らえぬ」
ローデンは小さく言った。
「そうだな。私はティルドのものにもヴェル様のものにも、不安を覚えても手を出すことはできない。それと、同じか」
「私にはそう見えます」
星読みはいたしませんが、と導師は言った。
「だが、真実か」
「ええ、彼はそう考えています」
「相手の話を信じた部下の話をあなたは信じる、と」
「ええ」
「そして私にも信じよと?」
「できますれば」
「ふむ」
風に当たれば、持ち主を殺してまでも首飾りが欲しくなるほど、所有欲を刺激する呪いが発動する。真実であれば、無闇に持ち歩くことはもちろん、持ち運ぶことすら、厄介だ。
「問題の術師は、決して力ある術師とは言えぬようでありますが、強い意志があるとのこと。何かの、守りも。信頼してよい相手と」
真顔だったコレンズは少し苦笑のようなものを浮かべた。
「私の信頼する部下が判断をしました」
「それをあなたは信じた」
「ええ」
彼らは同じようなことを繰り返した。
「ふむ」
ローデンは両腕を組んだ。
「その術師は、首飾りを見せもせぬし、当然のことながら渡しもしない。金が目当てだというのでもない。では、どうする気なのだ」




