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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第6話 転進 第1章

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10 王子殿下とお呼びしろ

 ばっと飛び出してきた人影から少女を守るかのように前に立てば、当然のことながら、リエスがヴェルフレストに対して下す評価は跳ね上がる。

 ティルドとてラタンからリエスを守ろうとして盾のように少女の前に立っていた事実があるのだが、何故か彼女はティルドに点がからい。

「何」

 思わぬ障害物にその中年男がほんのわずかだけ速度を緩めると、その背後から若者が飛んできて中年に飛びかかった。

「は、放せ」

「そう簡単に逃がしてたまるかよ」

 突然目の前で繰り広げられる捕物に驚く間はない。と言うのも、そのすぐあとにはティルド少年と町憲兵の姿が続くのだから。

「ティルドっ」

 反対側に曲がろうかと考えていた少年は不自然に体勢を変えることになる。探していた少女の声がしたのだ。

「リエス!? よかった、探して」

「待て、この小僧が! 乱闘罪で逮捕だっ」

 だが安心してはいられないことに、先の町憲兵が彼を追いかけてきた。とりあえずは、ティルドの捕縛を目的としたようである。

 まさか剣を抜く訳にもいかないし、どうしたものかとティルドが迷った、そのとき。

 どうやら事情の半分は飲み込めた。そう思ったヴェルフレストは、すうっと息を吸い込む。

「控えよ!」

 王子は一声でその場を支配してみせた。

「そこな若者は我が兵である。兵の行動は我が責任となろう。この者の罪を告げよ!」

 ヴェルフレストが完全に王子の調子で、権威ある――ティルドに言わせれば「いかにも」な――態度を取れば、目を丸くするのは町憲兵とリエスである。

 ティルドは「我が兵」の部分に顔をしかめたが、文句を言うべきときでないことは判るし、正直なところを言えばその対応に感心さえした。これだけ堂々と言われれば、余程鈍い者でない限り、目前の青年が権力を持つと知るだろう。

 もちろん、口が裂けても、感心したなどとは言わないが。

 その場はヴェルフレストのものとなったようだったが、しかしそれは長く続かなかった。先頭を切って逃げていた中年男が、またも逃げ出したからである。

「くそっ」

 若者がそれを追おうとすると、町憲兵が慌てたように見えた。

「その(ほう)も、待て!」

 叫んだのはヴェルフレストだ。事情は判らなかったが、逃がすのは――中年も青年も――得策ではないように思って厳しい声を出した。そして、目を瞠った。

 と言うのも、その青年が先立って彼に首飾りの話をした「東の男」だったからだ。

 若者はヴェルフレストの命令に一(リア)驚いたようだったが、それに恐縮するどころか、にやりとした。

「悪いが聞けんね、若様」

 彼は、命令し慣れた王子の声にある束縛力を露ほどにも感じないように、何も怯むことなく、ばっと駆けだした。

「待て!」

 彼はもう一度叫んだが、その声は届かなかったか、それとも無視された。

あれ(・・)は何ごとだ、ムール」

「知らん。通りすがりだ」

 ティルドはいい加減な真実を口にした。ヴェルフレストは男たちの去った方を見やる。

「まさか、いま追っていたのは件の商人か。見つけたのか」

「何だそれ」

「……いや」

 ヴェルフレストは首を振った。もしいまの中年男がツーリーという名の商人であったとしても、ヴェルフレストにはもはや、「砂漠の魔物」と首飾りの話を追うことはしないと考えたのだ。

 そう、必要であれば、風は集まる。

 彼ら(・・)の周りに。

 ならば|去るものは、求める風ではない《・・・・・・・・・・・・・・》。

「放っておくとしよう」

 気にかからない訳ではないが、実際、いまは放っておくしかない。

 ヴェルフレストはそこで改めて、咳払いなどした。

「では、町憲兵」

 王子は、どうしていいかすっかり判らないという顔をしている町憲兵に向き直る。

「この者の罪は」

「あの」

 気の毒な町憲兵は、何者か判らないが「偉そう」な相手にどう口を利いていいか迷うようだった。

 ティルドは仕方なく、どうすると言うようにヴェルフレストを見た。ヴェルフレストは微かにうなずく。

「王子殿下とお呼びしろ」

 嫌々であることを隠しながら、ティルドはそんなふうに言った。嫌だったのはヴェルフレストを王子であると――事実だが――告げること、自分がその従僕であるかの如く案内をしたこと、それから、まるでヴェルフレストと通じ合ったかのような対応をしてしまったことだ。

 もっとも、少年の心の機微など知らず、町憲兵とリエスが目を見開く。

「こ、この少年は、こともあろうに酒場で抜剣をし、乱闘をしました。……王子殿下」

 町憲兵は簡単に信じた訳でもないようだったが、万一のことがあってはと思うのか、念のためという様子で付け加えた。

「それは我が命令によるものだ。あの酒場には我の命を狙う者がいた故」

 「命を狙う」はいささか拡大解釈だったが、ヴェルフレストは方便だと考えた。

 ティルドは首を傾げたが、ヴェルフレストが神官ラタンを見知っていたことを思い出した。あれが業火の神官ならば――まず間違いなく、そうであろう――ヴェルフレストにも何か企みをしていたのかもしれないと気づいたのだ。

「しかし、その、ピラータの法では」

「うむ、町憲兵。確かに、町によって法は異なる。我が街の法をここで押し通すつもりはない。では、我が罪状は何となる。乱闘罪と言ったか。刑罰は」

「あの」

 気の毒な町憲兵はすっかり困ったようだった。ヴェルフレストはあくまでも堂々と王子然としている。騙りであればたいへんなことだが、本当であればどこの街のであろうと王子殿下に一町憲兵が刑罰など与えられない。法文がどうであれ、実際にはなかなかに難しい、という意味だ。


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