09 予想外の状況
ほとんど勢いで酒場を飛び出したはよいが、何分か、それとも一カイくらい前に店を出た相手、右に行ったかそれとも左かすら判らぬ相手を追いかけようと言うのは猟犬でもない限り難しい。
魔術師に「直情」と評された少年は、よく言えば勘、言ってしまえば行き当たりばったりで町の道を駆けていった。
小さな町と言ったところで、動いている相手とばったり会えるのは余程の幸運か、或いは強い運命の絆でも必要だ。先ほどリエスの方ではティルドを首尾よく捕まえたが、ティルドの方にはその〈ヘルサラクの徴〉は簡単に訪れてくれない。
その代わり、違うものが彼を訪れた。
運命というものは、そう簡単な道筋ばかりを示さぬものである。
この定めの道というのは厄介で、何事もないときは世の中は全て平穏無事とばかりに静かにしているのに、いざ動き出すと、細い糸のようにあっという間にもつれるものなのだ。
勘と勢いに任せてぱっと小道に入り込めば、そこで彼は足を止めざるを得なくなる。
と言うのも、日の当たりにくいその路地では、どうにも予想外の状況が展開されていたからである。
「おっと、町の人間か」
「た、助けてくれ、町憲兵を呼んでくれ!」
ティルドは目をしばたたいた。
そこにいるのはふたりの男である。浅黒い肌をした船員ふう──こんな内陸で船員もないものだが、エディスン出身の彼は、肌色の黒い男を見ると反射的にそう思う──の若者が、何ともぱっとしない中肉中背の中年男の胸ぐらを掴み、壁に押しつけている。
助けを求めたのは、言うまでもなく、中年の方だ。
「町憲兵、だあ? そんなもんを呼ばれたら困るのはお前の方じゃないのか」
若者は言いながら男を締め上げた。
「すまんな、坊ず。見なかったことにして引き返してくれ。俺は忙しいんだ」
ティルドの方に視線は向けられなかったが、少年に対する言葉であることは明らかだ。ティルドは「坊ず」にとりあえずむっとした。
「忙しいのは、見れば判るさ。事情は知らないけど、町憲兵を呼ぶに相応しい状況みたいだってこともな」
「おい待てよ」
「た、頼む、そうしてくれ」
「この野郎、よくもしゃあしゃあと」
「やめろよ」
ティルドは別に正義感にあふれていると言うほどでもないが、ややこしいことを「見なかったことにして帰れ」と言われ、それを幸運と思って逃げ出す性格でもない。
「乱暴は、どうかと思うね」
酒場で抜剣騒ぎを繰り広げてきた少年は、そんなことを言った。
「まあ、俺もこうしてるのが趣味って訳じゃない」
それが若者の返答である。
「俺はわざわざこいつをここまで追いかけてきて、ようやくとっ捕まえたところだ。逃がしたくないのさ。いいから行ってくれ」
「私は追われるようなことは何も」
「してないってのか? 申し開きは東に戻ってからでも、いいんだぜ」
「東」
中年の顔色は最初から青かったが、それはますます色を失ったようだった。
「こ、ここは東国じゃない!」
「そりゃ百も承知だよ。向こうでなら、もっと手荒にしてやってもいいくらいだ。町憲兵に捕まる心配が要らんからな」
ティルドは呆然とそれらを見聞きしていたが、話はさっぱり判らなかった。
一見したところでは、若者が男を脅しつけているようにしか見えず、男も町憲兵を呼んでこの乱暴者から助けてくれと言っているようだ。だが、若者の台詞を聞けば、男はまるで東で犯罪でもしてきたかのようだ。そうなると若者は「東国」の町憲兵か何かで、犯罪人を追ってきたかのようにも聞こえる。
「あの、さ」
ティルドが声を出すと、まだいたのかというように若者の視線が少年に向いた。
「通りすがりの善良なる一市民としては」
もちろん彼はここの市民ではないが、これは言葉の綾と言うところだ。
「町憲兵を呼ぶからな」
「た、助かる」
「待て、頼む。騒ぎは起こしたくないんだ」
「言ったように事情は知らないよ。それに俺だって暇を持て余してる訳じゃない。あんたに劣らず、忙しいんだ。俺にできる最上は、町憲兵を見つけて、ここで乱闘騒ぎが起きてますって言うことだと思うね」
ティルドは頭をかいた。
「まあ、俺がそれを運良く見つけて、町憲兵がここにやってくるまでは多少の時間がかかるだろうから、どうにかしたければその間にやってくれ。できれば殺すのとかは避けてくれ。寝覚めが悪いから。以上」
「成程」
若者はにやりとした。
「有難うよ、坊ず」
「坊ずって言うな」
礼を言われるとは思わなかったが、それよりも先に、ほとんど反射的に「坊ず」に反応した。若者は笑う。
「失敬、少年。殺しなんかしないさ、俺はこいつの──」
言葉は半端にとめられた。かと思うと呪いの言葉が続く。何だろうと思ったティルドは、若者の視線が自分を通り越していることに気づいて、後ろを向いた。
「いたぞ! ここだ!」
「ああ、町憲兵さん、いいところに! 助けてください」
「──何?」
状況がとっさに飲み込めなかったのは、若者だったかティルドだったか町憲兵だったか。
若者は「それが町憲兵である」ということに理解が及ぶのに一瞬かかり、ティルドは「いたぞ」と言われたのが自分であるようなので驚いたのち、やらかしてきた騒ぎに思い当たり、町憲兵は思いも寄らなかった助けを求める声に迷いを見せた、のである。
その隙を利用したのは、中年男だった。
男は意外な俊敏さで若者の手を振り払うと、脱兎のごとく小道を反対側へ駆け出したのだ。
「──待ちやがれ!」
「待て!」
若者は男を追い、町憲兵は若者を追うべきか少年を捕らえるべきか迷ったようだった。
ティルドもまた迷ったが、おとなしく捕縛をされるのはご免である。
いくらヴェルフレストの許可があったからと言って、あれがエディスンの第三王子であることを証明するのにどれくらい時間がかかるのか判らなかったし、それにヴェルフレストのことだ、そんな許可は出していないとしらを切るかもしれない。
となれば結論はひとつ。
逃げる。
それは、見知らぬ若者と一緒に見知らぬ男を追うような形になったが、何も町憲兵に親切に、ふたりを同時に追いかけられるようにしてやることはない。次の角で反対側に曲がりでもすればいいだろうと、ティルドは考えて――いたのだが。




