03 神官でも魔術師でもなく
ローデンは、まるで子供を――そう、やはりヴェルフレストをでも叱責しているような気持ちになりながら、卓を叩いた。
「何故、私を呼ばないんです」
「危険があるようには思えなかったからだ」
「ええい、忌々しい王陛下ですな、あなたは。いい年をして魔女の口先に翻弄されるのはおやめなさい」
ローデンが手を振ると、カトライは、やはり教師に叱られでもしたように首をすくめてみせた。
「〈白きアディ〉は、サラターラ様にお会いするなと言ったんですな?」
「そう言うことらしい。何か知っているようだな」
「それこそ口先だけのことではないとも言えませんが」
ローデンはほとんど反射的に反論をしたが、それはあまり理性的ではなかったと思ったか、わずかに息を吐いた。
「何故、会うなと?」
「俺が傷つくのだそうだ」
カトライは笑った。
「確かに、妃がはっきりと裏切りを認めれば、心は痛もうが」
「心か、身体か」
「何?」
「話の流れからすると、魔女の『予言』は、陛下がお心を痛めると言ったように聞こえますな。だが、言葉を捻じ曲げるのは彼女らの得意なところ。そのように心弱くなどないと笑い飛ばして、現実には何らかの怪我をするというような、意地の悪い予言とも取れます」
「穿ちすぎていないか」
「魔女に限らない。魔術を編む者の言葉には注意が必要です。つまりは私も含めてですが」
ご注意なさい、と王の友は言った。
「それで陛下はどうなさるおつもりです。魔女の言葉を聞きますか」
「それをお前に相談しているのだ」
「私の言うことは決まっています」
「『魔女の言うことなど信じるな』と?」
「そうです。但しそれは魔術師としての意見でして、あなたの臣下としては、王妃様といまお話しをするのはあまりよいことではないと思います。妃殿下は、あなたがグルスのことをはっきり掴んでいるとは思われていない。指摘すれば取り乱しましょう。失礼ながら、王妃らしからぬことをされる危険性もある」
「神殿長との関係を公にすると?」
「それはグルスの望みではないでしょうから、向こうでそれをさせぬやもしれませんが」
「――アドレアは、グルスがサラターラに魔術をかけているというようなことも言った」
「〈白きアディ〉がそのようなことを。……それは十二分に有り得ます。魔術師としても臣下としても、それならば助かる。魔術ならば解けばよいし、グルスを更迭、罰することも難しくなくなる」
「政治的には、だな。しかし神殿長たる人物がそのような不穏な術を使っているのにほかの神殿長が全く気づかぬとなれば」
「ええ、グルスの力は相当に強いことになります。それとも」
ローデンはそこで言葉を切った。
「それとも?」
カトライは促したが、ローデンは自らの考えに没頭するように、反応をしない。
「ローデン」
「……まさか、と思うことが、あります」
「言え」
「申し上げても、陛下には信じていただけるか」
その言葉に王は片眉を上げた。
「何を言う。お前が魔術に関わることを言えば私には理解し難いが、信じぬと頭から否定するつもりはない」
カトライが言うとローデンは深く息をつき、心を決めたように言葉を発した。
「グルスは、神官ではない。それは間違いないと言っていいでしょう。つまり、手続きに則っては神官であるかもしれませんが、真の意味で神に仕える者ではない」
「それは、そうであろうな」
「ならば力を持つ魔術師か。それは考えておりました。考え難いことではありますが、何の魔力も持たぬ者が神殿を騙しおおせるとも思えませぬ故」
魔力を持つ神官という存在は皆無でもないが、神殿長となると話は別だ。
神官の力は信仰と修行によって得るものであるため、彼らにとって生得の魔力は「不道徳」なのだ。だからと言って信仰を禁じるようなことはないが、長となるには問題視される。
だが、仮に強い魔力を持つ者が術で反論を封じ込めてしまえば、有り得ない話でもない。どう考えても面倒の方が多い――魔力を隠しながら術を行使し続けなければならないとか、協会の追及を逃れねばならないとか――ので実行する者はまずいないが、可能は可能だということだ。
もっともグルスの名はエディスンの協会に登録がなかったが、小さな町の協会などで登録された者が隠すつもりで名を替えるなどしていれば、追うのに時間がかかる。そもそも魔術師かどうかはローデンが相対すればすぐに判ることであるから、そこを急いで確認する必要はなかった、
「だが、ほかの可能性があると言うのだな」
「ええ、ですが」
ローデンは躊躇うようにした。王はまた促す。魔術師は渋々と口を開いた。
「神官でも魔術師でもなく、そのような力を持つ存在がいるとすれば、それは」
魔術師は言うのが嫌だというように首を振ったが、ひとつ息を吐くと続けた。
「人間ではない」
「それは、また」
王は目をしばたたいた。
「飛躍したものだ」
「そのように言われるだろうと思っておりました」
ローデンは皮肉でも何でもなく、素直に言った。
「『魔族』と言われる存在について、お聞きになったことは?」
「魔術学で一度だけ触れたことがあったはずだ」
王は思い出すようにした。
「街道に出る魔物ともまた一線を画する、人間のような外見を持ち、人間と同じ……或いは、それ以上の知能を持つ生き物、だったか」
「その通りです」
気に入らなさそうにローデンはうなずいた。
「彼らは通常、異界と呼ばれる場所に存在し、こちら側には姿を見せない。ですが稀には外れ者がおり、街に暮らすこともあると言います」
「そのようなおとぎ話めいたことが本当にあるのか」
「生憎なことに、私も目にしたことがありまして」
控えめに彼は告げた。
「何と」
「魔力でも神力でもない、見慣れない波動をまとっています。ですがそうした連中はたいてい平和的な個体で、わざわざ騒動を生み出したりはしないのですが……」
魔術師はうなった。
「だがしかし、万一にもそのようなことがあれば、本当に神殿が何も気づかぬものか?」
「神殿長たちさえ騙してしまえば、神官たちはまさか、疑いません。たいてい神殿長というのは神力の強さよりも年齢と業績がものを言いますから、魔力、いや、妖力などとも呼ばれますが、そうした力を持つ存在には容易であるのかも」
「神の使徒たちがそれでは、デルカードではないが、神に祈ることさえ不安になるな」
「とは申しましても、過剰な推測という域です」
「証拠はない。何ひとつ」
「それが魔術師であるかどうかは、私が強引にでも面会を持てば知れます。魔族であるかどうかも、おそらく見て取れるでしょう。しかし私の証言だけでことを動かすのは、現状避けようとしている混乱を招くことと同じです」
そうあるべきだ、と普段のローデンなら思う。カトライと彼の間にどんな信頼があろうと、仮に諸侯の多くがローデンを信じたとしても、「魔術師の言葉だけを頼りに王が前代未聞の命令を下した」などという事実が残ることはあってはならないと。
だが、外部から、そしてやがて残る歴史から「カトライ王は魔術師の傀儡であった」などと評される怖れを呑み下してでも、やらねばならないことはあるかもしれない。
ただ彼は、それをまだ決断できなかった。
「いっそ爽快になるくらいに何もありませんね」
たゆたう躊躇いを胸の奥に押し込んで、ローデンは首を振った。
「あるのは、魔女の助言だけ」
「サラターラには会うな。グルスは魔術を使っている。簡単で、そして複雑なもの、か」
呟くようにカトライが言えば、ローデンは片眉を上げた。
「何です、その謎掛けみたいな言葉は」
「謎掛けだ。答えが判ったら教えてほしいそうだ」
「魔女の謎掛けとは、珍しいものを聞きましたな」
ローデンがそう言うのに、カトライは茶化されているのか、それとも皮肉を言われているのかと訝ったが、どちらでもないようだった。魔術師は真顔である。




