13 やれるかもしれない
極上の美形に腕を取られて逃避行、というのはずいぶんな浪漫であったけれど、それに頬を染めるよりもリエスは残してきたティルドが心配であった。
「あの、さ、何て言ったっけ。ヴェル?」
ヴェルフレストは片眉を上げた。ティルドが「無礼千万にも」彼をヴェルと呼び捨てたのを聞き覚えたようだ。
「どうした」
「ティルド、大丈夫かな? それに……あんたと一緒にいた剣士の人。強そうだったけど、神官の魔法みたいなものに対しても、強い?」
「何でも、耐性はあるらしいが」
答えてヴェルフレストはリエスを見た。
「それで、リエスと言ったか。君は何者だ、姫?」
「何者何者って、ティルドもあんたも」
リエスは唇をとがらせた。
「何故ラタン――あの男に連れられそうになり、ムールがそれを守ろうとし、第一、何故これを持っていた」
「あーっ、あたしの!」
「いや」
ヴェルフレストは開いた掌をぱっと閉じ、耳飾りの片割れを隠してしまう。
「お前のでは、ないな」
「そりゃ、あたしのって言うんじゃないけど、あたしが持ってたやつでしょ! 返してくれないってこと? あんたが自分で飾りたいって訳?」
これには王子は声を出して笑った。
「何よ! 笑ってる場合じゃないと思うんだけど!」
「そうだな、何とも重大な局面だ。だがムールを案じているのなら気にするな、カリ=スがいれば問題ない」
「あの剣士さん? ふうん、ずいぶん信じてるんだ」
「あれが信じられなくなれば、俺は終わりだ」
疑ったことがあるなどおくびにも出さずにヴェルフレストは言ってのけた。いや実際、終わるところだったと言えるだろう。
「アロダはおらんのだろうな。見ていれば跳んできているだろうに」
「誰?」
「魔術師だ。俺かムールのどちらかについているはずなのだが、どこに寄り道をしているのやら」
「……あんたたちこそ、何者」
ティルドからだいたいの話は聞いたものの、彼女にはぴんときていないし、「魔術師がついている」などはどうにも胡散臭い。
「言うなれば」
彼はにやりとした。
「エディスン王の命令を受けて、これらを探している者だ」
「王様の?……やだ、それじゃあんた、もしかしてティルドも、偉いんだ」
その言葉に王子は苦笑した。
「大して『偉い』とは思わぬな」
そう言うとヴェルフレストは背後を振り返った。
「さて、どうしたものか。ムールはお前をラタンから離せと言ったが、命令にしては曖昧だ。将には向かぬ」
「命令? じゃティルドって、あんたより偉いの?」
言われた王子はやはり笑ったが、逆もいいところだというような訂正は特に入れなかった。
「この町には詳しいか、リエス」
「全然。きたばっかり」
「ならば同じだな、では町のものに尋ねよう」
「何をよ?」
「魔術師協会の場所だ」
あるとよいがな、とヴェルフレストは呟いた。
神官は笑った。
だがその笑みは、先ほどまでの余裕を失っているようにも見えた。
ティルドは、魔術師が相手でも――ラタンというらしいこの男は魔術師ではないようだが、怪しげな術を使うという意味では同じようなものだ――こちらがふたりならば隙ができるかもしれない、と兄と話したことを思い出した。
ラタンがわずかに見せる焦りはそれなのか、それとも、魔除けの力が何か働いているためか。
それが翡翠だというのは、ユファスやエイルが考えた通りティルドの気に入らなかったが、助けになっているというのならば要らんと言って投げ捨てることはしない。少なくとも、いまは。
神官はふたりの剣士の攻撃を受け流し続けたが、次第にその顔からは薄笑いが消えた。
やれるかもしれない、いや、やれる、とティルドが思ったとき。
ラタンは少年の気の緩みを見て取ったか、はたまたティルドの方がカリ=スより与し易いと考え、その時機が彼の油断と一致したためか、剣を振りかぶったティルドにほとんど体当たりするようにして壁際から逃れた。
「くそっ」
ティルドは罵りの言葉を吐いたが、それくらいで砂漠の剣士が神官を逃すはずもなく、カリ=スは容赦なくラタンを追った。
「――サーヌイ!」
ラタンは叫んだ。
「判るだろう、ここだ。こい、すぐにだ!」
神官が助け手を呼んだことは明らかであったが、彼らはそれに対してどうすることもできない。この瞬間にラタンを切り捨てることができたとしても、彼らの奇妙な力でラタンの声は誰かに届いたことだろう。
カリ=スは警戒をしたが、打ち込みをやめることはなかった。代わりにティルドが店内を見回す。魔術師たちがそうするように、誰かが不意にこの場に現れるのではないだろうかと。
その予測は、当たった。
ティルドは目をしばたたく。
「……セイ?」
「いったい」
気の弱そうな巻き毛の神官はその場の状況を見て取ると、困惑したようだった。
「ラタン殿、どういうことですか」
セイ、いやサーヌイが問うのは当然、ティルドにではなくラタンにであった。今度はティルドが困惑する。
「どうもこうもあるか、魔除けが俺の力を歪ませる。お前なら影響を受けない、やれ!」
「しかし」
サーヌイはティルド、ラタン、カリ=スに忙しく目をやった。
「彼を傷つける訳にはいかないのでしょう」
その目はティルドに向いている。少年は、理解した。
「この野郎! てめえも手先だったのかっ」
ティルドは剣を振りかざした。サーヌイは目を見開いて印を結ぶ。と、ティルドは強い風のようなものを感じた。
風具を手にしたときの、彼にだけ感じる突風ではない。
それは彼の知らぬ術で作り出された現実の突風であり、少年はそれに煽られて後方へと飛ばされた。重い卓に背中を激しく打ち付け、不覚にも苦痛のうめきが洩れた。彼は剣を取り落としたことに気づくが、衝撃と痛みに目の前がちかちかして、足元に落ちたはずの武器が探せない。
「ガキは放っておけ、こっちだ。――こいつを燃やせ!」
ラタンが叫ぶと、サーヌイの目は、まるで照準を合わせるかのように、砂漠の男へと向けられた。




