10 お急ぎですか
太陽が眩しい。
晩夏の陽射しは少しずつ弱まってきていたが、エディスンに戻れば常夏だ。ほとんど経験のない「寒さ」などに出会う前にさっさと帰りたいと思っていたのに、一筋縄ではいかなくなってきた。
昨夜の夢はよく覚えていたが、彼には魔術の素質はなかったから、それが何か真実を示唆しているとはかけらも思わなかった。
いちばん気に入らなかったのはリーケルとヴェルフレストの婚約と言う件であるが、そんなものを夢に見たのは自分がいかにそれを心配しているかということであり、そんな自分を――そんなふうに思わせるヴェルフレストを忌々しく思った。
(花を揃えよ)
ローデンのそんな言葉も、奇妙な夢以上のものとは思えない。疲労と衝撃がもたらした眠りの神の悪戯などに心を悩ませても仕方がないと思った。
(でもまあ、おかげでやることは決まったな)
魔術師協会の訪問である。
ティルドはそんな場所を訪れたことはなかったが、ローデンに聞いたところによれば、協会に行けば余所の街にいる魔術師とでも連絡が取れると言うことであった。費用と、場合によっては時間がかかるらしいが、仕方がない。
もはや、彼の一存で何かができる事態ではない。エイファム・ローデンに報告をし、指針をもらうのだ。
宿の主人に教わった協会の場所は、十分とかからずに見つかった。
南向きに設置されている入り口は北からの明るい日光が入らぬようになっており、ティルドはその取っ手を回すのに少し逡巡する。たいていの人間がそうであるように、魔術というものが得意ではない。はっきり言えば苦手だ。
心を決めて戸を押し開ければ、キィ、と嫌な音がした。
室内は案の定、薄暗い。
魔術師という連中はどちらかというと迫害されていたかもしれないが、それにしてもわざわざ日の当たらない場所にその象徴たる協会を建てなくてもいいではないか、とティルドは思った。実際には、棚におかれる薬草や魔術薬、書の類が日の光を嫌うために敢えてそうした場所を選んで建てられているのだが、少年にはそのような知識はない。
おそるおそる屋内に足を踏み入れ、ティルドはきょろきょろした。いささかみっともなかったが、勝手が判らないことは事実だ。
「――ご用件は」
少年は飛び上がりそうになったのをこらえた。
見れば、そう広くはない部屋の片隅にひとりの魔術師がいる。
「何かお探しものでしたら、お手伝いいたしますが」
「ああ、いや、その」
ティルドは咳払いをした。
そうして待機しているのは案内役か、受付といったところなのだろう。通常の店舗ならばもう少し愛想のいい店員がにこやかに話しかけてくるところだが、利益を目的としない魔術師協会では愛想など薬にもならないという辺りだ。言葉だけを取れば親切に聞こえる魔術師の声には、少しも温かみがなかった。
「その……遠くにいる魔術師に連絡を取りたいんだけど」
「居所はお判りですか」
「エディスン。ええと、北方陸線の――」
「存じております。こちらへ」
魔術師は細長い卓の方へ少年を招き、気圧されている様子など見せるものかと少年は不要に胸を張ってそれに近づく。
「お名前は」
「俺の?」
「相手のです」
「ああ。エイファム・ローデン。王城にいる」
「では、あなたのお名前は」
「――ティルド・ムール」
どうせ訊ねるのならわざわざ訂正などしないで訊いておけばいいではないかと、ティルドは少しむっとした。
「お急ぎですか。それとも、数日かかってもよろしいので。それによって料金が異なってまいります」
「最速なら、幾らだ」
「二百」
ティルドはぶっと吹き出した。質素にやれば、ひと月は暮らせそうな額である。
「本日中でございましたら、百ラル。お急ぎでなければご相談に応じますが、速度は金額に比例するとお考えください」
「まあ、そうだろうな」
そうでなければ金額を設定する意味がない。ティルドは嘆息した。
「二百ね。いいよ、出す。一秒でも早く、連絡をつけてくれ」
魔術師は、不審を示すように片眉を上げた。城の制服を着てくればよかった、とティルドは考えるものの、まだ洗濯に出したままである。
「――失礼ですが」
「そんな金なんか持ってないように見えるってんだな? 前金だって訳だ。判ったよ、ちょっと待て」
言われないうちに言われることを先取って、ティルドは上衣をめくると腹に巻き付けた布から、彼の人生ではじめて使うものを取り出した。ルイエ金貨である。
ビナレス全土において貨幣価値は一定であり、つまりこの地方を旅する以上はどこへ行っても金貨は金貨だった。場所によっては物価の違いはいくらかあるが、ルイエにラルの一千倍の価値があることは変わらない。
金貨を見た魔術師はまた眉を上げたが、何も言わずにそれを受け取り、本物かどうか確認するように裏表をひっくり返したあとで釣りを寄越した。それを受け取りながらティルドは、金額が減ったのに重くなるとは奇妙な話だ、などと考えた。
「ムール殿、こちらへ」
そのように呼ばれればくすぐったかったが、ティルドは頬を歪める程度にして黙ってそれに従った。
案内された小部屋は、狭い割には圧迫感を感じない作りになっていた。待つと言うほどの時間も過ぎぬうちに違う魔術師が現れ、彼に会釈をする。




