06 確かめる術もない
表向きには、王家と神殿の間に何の軋轢も見えなかった。
ヤナール神殿長が王宮の会議に顔を出すことはなくなっていたが、もともと、出席する方が珍しいのである。貴族たちは特にそれを取り沙汰することはなかった。
カトライもまた、正面切って神殿を非難するような愚は避けた。ローデンに厳しく言い含められたためもあるが、そうでなくとも、王家の儀式に非協力的だという理由で神殿を罰することはできぬし、個人的感情を排して政治を行うことには慣れている。
コズディム神殿長グルスにどのような疑いを抱いたとしても、王は決してそれを表に見せなかった。
友人のローデンにだけは苦悩を――王としてのものも、夫としてのものも――垣間見せたが、自身の内に渦巻くものを全てぶちまけるというようなことはしなかった。それは、エディスンの支配者として過ごしてきた十五年の歳月が彼に与えた性癖であり、ローデンに言わせれば悪癖であった。
「父上、よろしいですか」
かまわぬ、というように彼は手を振った。
「デルカードか、どうした」
彼は息子たちとはよく語り合った――ヴェルフレストが旅に出、サラターラが「病を得て」からも、彼らを除いた家族の食卓は可能な限り続けるようにしていた――が、長男がわざわざ父の執務室を訪れるということは珍しかった。
「人払いを」
父は片眉を上げたが、聞き返すことはしないで従僕たちに合図をした。道理の判った使用人たちは、礼をして素早く部屋をあとにする。
「どうした」
長男の口から出る言葉は予測がついていたが、カトライはまず尋ねた。
「母上のことです」
「そうであろうな」
当然だろうと父王はうなずいた。
「はじめは、本当に病なのだと思いました。次には、ヴェルフレストがいないことを不満に思っているのだろうと」
「私も同じだ」
王は少し苦い笑いを見せた。
「しかし」
デルカードは言いにくそうにした。
「父上」
「知っている」
カトライは息子に言いづらいことを言わせまいと先に言った。
「お前の母親が神殿に……女神の神殿の類ではなく、『何とも不思議なことに』コズディム神殿に足繁く通っているという話ならばな」
「――それなら、何故放っておくのですか」
どうやら父が全てを知っていると気づいて、長男は咎めるような声を出した。
「私にどうしろと?」
王は肩をすくめた。
「王妃が不貞を働いていると、正面切って弾劾しろと? 神殿長が女と愛を交わしていると告発しろと言うのか?」
その声に怒りはなかったが、デルカードは叱責されたように身を固くした。
「もちろん、そのような……エディスンに混乱をもたらすようなことをされるべきだとは申し上げません」
「済まぬ」
デルカードが「息子」から「王子」になったのに気づいて、カトライは息を吐いた。
「お前は母を案じているのだな」
「父上は案じていないのですか」
「そんなはずはなかろう。私は、お前たちの目にどう映ろうとも、私は彼女を大切に思っている。お前の父と母の間に情熱はなくとも、私はサラターラを愛している。彼女も同じだと思っていた。いや、同じだったのだろう。だが、そうでなくなったからと言って、私は彼女を責めるつもりはない。彼女が」
王は視線を落とした。
「愚かな娘のように男に騙されているのだとしても、私を憎んで裏切りを喜んでいるのだとしても」
「騙されているに決まっています」
息子は父の言葉を遮った。
「王妃たる母上にこのような言い方は失礼ですが、ここは父と息子の語らいの場と思って言わせていただきます。彼女は愚かな娘そのものだ。息子を三人成人させても、まだ恋に憧れているのですよ。それが悪いとは言いません。私はそんな母上も好きですから。ですが、ただ憧れているのと実行するのは別だ」
息子の手厳しい物言いに、王は苦笑を覚えた。
「私も母上を責めたくはありません。男に騙されたと言って許される立場ではありませんが、騙す者と騙される者がいれば、罰せられるべきは騙す方だ」
デルカードは王を睨むようにした。
「そのような男を神殿長に据えていてよいのですか」
「私に神殿長を罷免する権限はない」
「判っています。神々は王より力があるという訳だ。ですが、その力ある神に仕える者が、それも冥界の主神たるコズディムに仕える者が女を……こともあろうに王妃をたぶらかすというのは、王家と神殿だけの問題に済みませぬ。コズディムへの冒涜、死者に祈りを捧げる民びとへの裏切りだ」
王子は続けた。
「エディスンでみまかったものが、誰ひとりラファランの導きを受けていなかったらどうなります」
「生者にそれを確かめる術はないな」
「父上!」
デルカードは叫んだ。
「放っておくのですか!」
「そのつもりはない」
カトライはきっぱりと返した。
「このままにはせぬ。決して」
その言葉ははっきりと決意を表しており、デルカードは口をつぐむ。
「お前には話しておこう、デルカード。ことは、お前の知る問題だけではないのだ」
「どういう、意味ですか」
「〈風読みの冠〉と業火の神官の件はお前も知っての通りだが」
王が言うと王子はうなずいた。第一王子であるデルカードは宮廷の会議に日々列席している。滅多なことでは発言をせぬが、それは、王と常に立場を同一にしていると表すためでもあった。
「グルスはそれと関わりがあるやもしれぬ」
「何ですって」
父がコズディムの神殿長に何ら敬称を付けなかったことに王子は気づいたが、普段なら懸念になることも、いまはむしろ安心材料だ。だが、その言葉が意味するところはささやかな安心を打ち消す。
「まさか、グルスが業火の神官であるようなことは」
「判らぬ。それを確かめる術もない。人がそこまで神殿を――神を欺けるものか、はたまた神々はご存知でいらしても何も手を出されぬものなのか、私には判らぬ。そも、関わるという証もない。ただ」
「同じ時期に問題が生じているのは、気にかかります」
デルカードはカトライの言葉を先取るようにした。王はうなずく。
「もしもグルスが以前からサラターラに、そうだな、どんな形であれ秘めた思いがあって、ヴェルフレストの不在を寂しく思う彼女の心につけ込んだということも考えられる。だがそうであれば、私には隠し通したいはずだ」
「まさか、グルスが認めたのですか」
「さすがにはっきりとしたことは言わぬが、十二分すぎるほどにほのめかしてきた」
「――それだけでも、手討ちにする理由になるのでは」
「なる。混乱を厭わねばな」
王の言葉に王子は嘆息した。
「どうするのです。冠の件もですが……この件を」
「やらねばならぬことも山積みでな」
カトライもまた嘆息した。
「デルカード。頼みがある」
「何なりと」
第一王子は言った。
「コズディム神殿長を闇に葬れと言うご命令でも受けますよ」
「ヴェルフレスト辺りが言いそうなことを言うでない」
父は唇を歪めた。
「母上に会いに行け」
「それは……変わらず、訪問をしておりますが」
予想外の「普通の」ことを言われて長男は目をしばたたいた。
「私も行く」
「父上」
「サラターラと話をせねばならぬ。彼女がいかに会いたくないと言ってもな」
「もしや、ローデン公爵閣下を連れるおつもりでは」
「いや」
彼は首を振った。
「王として王妃の罪を明確にするより前に、夫として妻の心を取り戻す努力をする方が先だろう」
父の声にいささかの皮肉が混じったのを聞き取って、息子は戸惑った。
「私はよい夫ではないと思っていたが、よい父でもなさそうだな。妻に会う算段を息子に頼むとは」




