13 追うべき風
宿へ戻ったヴェルフレストはすぐに魔術師アロダを呼ぼうとしたが、その召し出しに応じて中年魔術師が姿を見せることはなかった。
「――おらぬのか」
しばらく様子を見ても、あの不可思議な煙が立つ様子はない。
「そう言えば、そろそろムールの方を見てこなくてはならないというようなことを言っていたが」
彼は前回のやりとりを思い出しながら言った。
「気儘に現れて、こちらが必要と考えるときにいないというのは、まさしく〈魔術師クランの意見〉だな」
王子はにやりとして、勝手な意見ばかりを寄越すが意見を聞きたいときにはほかの用事があって訪れない魔術師の昔語りを口にした。
「行く前には一言くらいあってほしいものだが。まあよい、仕方がない。アロダの意見はあと回しだ。ではカリ=ス」
彼は砂漠の男を見た。
「お前の意見をもう一度聞こう。ギーセス殿やアロダは、俺がエディスンへ戻るべきだと考えているようだ。アドレアは、リグリスに風具を渡したくない。お前の、意見は」
「私はお前に従う、ヴェル」
「それは答えではないな」
ヴェルフレストは肩をすくめた。
「だいたい、俺が砂漠に行くと言えば反対するのだろうに」
「もはやその意味は失われただろう」
「先の男か」
王子は顎に手を当てた。
「首飾りはもはや砂漠にはない。少なくとも探しに行っても見つからない。どこかの魔術師が持っているから。お前はあの男の言葉を信じるのだったな」
「そうだ。真実かどうかは、私には判らない。だが、彼が真実だと思っている、そのことを信じる」
「ふむ」
彼は粗末な寝台の木枠を薬指でとん、と叩いた。
「首飾りを追うのならば、あの男を問い詰めるべきだろう。魔術師について知らぬのなら、話を聞いたという友人についてでもよい。いや、あの男自身が何故、それを真実だと『知っている』などと言ったのか、その理由について聞き出すべきだ」
「彼は、言わぬだろう」
カリ=スは言った。
「お前に向けて話をした、あれが彼の語れる全てだ」
「そこまできっぱりと言うのなら、アロダが魔術でも使わない限り、うまく行きそうもないな」
砂漠の男が同じ地を知る若者に何を見るのかヴェルフレストには見当もつかないが、もしあの男がカリ=スと同じような資質を備えてでもいるのだったら、それはつまり、こうと決めたらてこでも動かないということだ。
もっとも、そうであったとしても、ヴェルフレストが本当に首飾りを求めるつもりならば放っておく訳にはいかない話でもある。
そう思うのだが。
「ふむ」
彼はまた言った。
「カリ=ス。俺はそろそろ、決めねばならぬな」
「何をだ」
砂漠の男は少し警戒するように問うた。
「知れたこと。指輪か首飾りか、どちらを追うか、だ。以前からその話はしていたな。指輪の行方は見当もつかぬからと」
「ヴェル」
「まあ待て。いや、先に言おう。俺は指輪を選び、もう首飾りを追わぬ」
片手を上げて宣言する王子に、カリ=スは珍しくもぽかんとしたようだった。
「興味はあった。いまでもそれを失った訳ではない。だが、何と言うか……先ほどの、あの東国の男と話をしてから、うまく言えぬが、そうだな……」
考えながら彼は途切れ途切れに言った。
「これでいいのだという感じがするのだ」
「どういう意味だ?」
カリ=スは少し眉をひそめて問い返す。主が何かごまかしているのではないかと、少々の疑いがあるのだろう。これまでがこれまでであるからして、仕方のないことだが。
「俺がここまで首飾りの話を気に留めてきたのは、あの男に話をつなぐためだったのかもしれない」
「私は彼を砂神への誓いによって信じ、お前が私の信用を信じてくれるのであれば喜ばしく思うが、そういう話ではないようだな」
「言っておくが、もちろんお前の判断は信じている」
ヴェルフレストは口を挟んだ。
「だが不思議に思うのも当然だな。名も知らぬ、素性も知らぬ通りすがりの男に何故、そんなことを思うのか。誰のものであれ、魔術にかけられているのではないとも言い切れぬが……」
ううむ、と彼は唸った。
「俺はこれが、ほかでもない俺自身の内から出たものだと感じられる」
「曖昧だな。いや、魔術的、と言うのか」
「その通りだ」
うなずいてヴェルフレストは認めた。
「俺には魔力などない。予感と言われる類のものも、滅多に訪れたことはない。だが風具に関わろうとしてからというもの、奇妙な感覚を覚えるようになっている」
彼は遠くを見るような目つきをした。
「風は俺の周りに集まる。俺、と言うよりもそれは、風司の道に流れるものなのかもしれぬ」
言いながら彼は首を振った。
「アドレアは、俺に風司を継がせたいのではなく、俺が継ぐのだと言った。それは彼女の魔術めいた言い方だと思っていた。結局、彼女が継がせたいのだとな。だが、彼女の望みとは関わりないのかもしれぬな」
「予見と?」
カリ=スが問う。
「判らぬ」
王子は首を振った。
「アドレアがどのような力を持つのかも俺は知らぬし、もし予言だと言われたところでそれが真実なのかも判りはしない。判るのは」
彼は深呼吸をした。
「俺が追うべき風とそうでない風があり、首飾りは後者だ」
何故判るかは問うなよ、などとヴェルフレストはつけ加えた。カリ=スも考えるようにする。
「私とて判らぬが、もし風司に特別な力があるのであれば、お前の内に芽生えているのはそうしたものなのかもしれないな」
「さてな、それとて判らぬが、もしそのようなことがあるなら俺には継ぐ資格があるとでも言うところか」
唇を歪めてヴェルフレストは答えた。
いつだったか彼は物事が明確でないことを厭うたが、「はっきりしないことを確信できる」という感覚は何とも不思議だった。
魔術師たちは――ローデンは、アドレアは、このようなおかしな感覚に慣れているものだろうか、などとも考えた。
それを掴み損なわず、曖昧な「感じ」の裏にあるものを見て取る、それが彼らなのだろうかと。
そう考えてからヴェルフレストは、魔女と同列に扱えば宮廷魔術師が怒るか、それともアドレアが「可愛くない」男などと一緒にするなとでも言うだろうか、などと思い、少し可笑しくなった。




