11 ちょっとした縁が
分厚い雲は薄灰色をしていた。
冬至祭が終わりを迎える頃に雪の気配があるというのは、あまり吉兆とは言えない。雪の三姉妹が「おとなしくする気はない」と返答してきたも同然だからだ。
だがエディスン出身の王子にとっては雪に関する吉も凶もぴんとくることはなく、このピラータの町びとが普段以上に雪天を案じていても、特に気にすることはなかった。
ごくわずかなものだったが、タジャスで初めて「雪」というものを見た王子殿下は、やはり非常に面白く思った。
だがそれは暖かい屋内で見ていたからということであって、そのなかを旅するなどは避けられたら避けたいところだ。
あのあと、彼らは街道をまっすぐ西へ向かったにも関わらず、噂の商人の影を捕らえることはできなかった。
いったいどこへ消え失せたのかと戸惑いながら入った酒場でそれとなく尋ねれば、街道を離れたところにちょっとした村があると言う。成程、商人はそこへ行ったのであるらしい。
更に尋ねれば、その商人は往路復路でこの町に顔を見せるということだったから、ヴェルフレストはここでそれを待つことにした。数日の内には戻ってくるはずだ。
「東の商品ってのは、いま流行ってるんですか?」
彼があれこれ尋ねていたそうだろう、酒を運んできた給仕がそんなことを訊いてきた。
「珍しい意匠だというので、受けはよいらしいな」
自分自身が欲する訳でもなければ、流行だとも聞いていない。ヴェルフレストは知っているところだけを答えた。
「ははあ、成程ね」
給仕は納得したようにうんうんとうなずき、今度は自分も買ってみようかなどと言って彼らの席を離れた。
「ヴェル」
「どうした」
カリ=スが声をひそめて言うので、王子は何事かと片眉を上げた。
「振り返るな。お前の後方にいる男が、いまの話を聞いていた」
「いまの……商人の話か?」
同じようにヴェルフレストも声を小さくする。
「そうだ。興味ありげに、耳をそばだてていた。東の人間に見える」
「東、だと?」
ヴェルフレストは振り返って見てみたい衝動に駆られたが、懸命にそれを堪えた。
「問題を起こしそうか」
「そうは見えない。だが、いまの給仕の様子を考えると、ほかにも例の商人について尋ねた人間がいるのかもしれない」
「成程」
ヴェルフレストがひとり尋ねたところで、「流行か」という問いにはなるまい。彼は小さくうなずいた。
「後ろの男が、その人物かもしれんと」
彼はにやりとした。
「東の人間が東の商品を扱う人間を探すというのも奇妙な話だが」
「面白い、か?」
「無論だ」
彼は声の大きさを戻した。
「まさか〈風謡い〉を探してはいまい」
そう言うと、砂漠の男の目が警戒に細められた。その視線は、はっきりと彼の後方に向けられている。こうなれば振り返るなと言うのは無理な話で、彼は振り返った。
「いま」
見れば、おそらくはカリ=スの言っていた男が席を立って彼らの卓へと寄ってくるところだ。
「〈風謡いの首飾り〉と言ったか?」
「――言っていない」
ヴェルフレストは心臓が軽く跳ねるのを覚えながら、そう言った。
「俺は、風謡いとは言ったが、首飾りとは言っていない」
王子は内心の驚きを押し隠して、そんなふうに答えた。男はうなずく。
「そうだな。確かにそのようだった」
それを東の人間だとカリ=スが言ったのは、その肌の色だろうか。海沿いならば船員とも見られようが、この辺りは内陸で、どちらかと言えば東国に近い。海の男というより、東の、つまり東国の男だと言う方が適していたことは事実かもしれないが、ほかならぬ〈砂漠の民〉がそう言うのであればそれは地域による推測でもあるまい。
「東の商人を探しているようだな」
男が確認するように問いかけてきた。ヴェルフレストは唇の片端を上げる。向こうからくるとは――面白い。
「それが、どうかしたか」
「いや、俺もそいつを追いかけててね」
ヴェルフレストより幾つか上だろうか、浅黒い肌の若者は続けた。
「その過程で掴んだんだが。言っておこう。もし、〈風謡いの首飾り〉を探しているのなら――それはもう、砂漠にはないとな」
「何だと」
王子は、今度は驚きを隠せなかった。
彼は確かに「歌を歌う砂漠の魔物」が突然に消えたという話を追っているが、まさかいきなりこのような、ことの中心点をずばりと述べてくる人間がいようとは思わなかったのだ。
「何を知る」
返したのはカリ=スである。若者はそちらに目を向けると数秒じっとして、こちらも驚いたような顔をした。
「これは、思いもかけない人物に出会うな」
そう言いながら若者はすっと片手を額の辺りに上げると、それを横に滑らせるような動作をした。今度はカリ=スが驚いて、同じ仕草を返す。
「砂漠を知るものか」
それは「東国の人間か」ではなく「大砂漠を知っているのか」という問いになることに、ヴェルフレストも気づいた。
「ちょっとした縁があってね。どうして砂漠の民が砂地を離れる」
「ちょっとした縁があったのだ」
「成程」
カリ=スの繰り返しに若者は笑った。




