10 挑発
「密偵も、魔術や神術を駆使されてはろくな働きができぬしな」
「密偵といえば」
ローデンは片眉を上げる。
「どこからサラターラ様のことを。陛下に自らご報告せねばと思い込むような性質の持ち主はおらぬと考えておりましたが、心得違いでしたか」
「そうではない」
王が嫌そうな顔をしたのは、ローデンが皮肉を言ったからではなかった。
「私は内々に会見の場を持ったのだ。――コズディム神殿長とな」
「何と」
ローデンはそれだけ言うと言葉を失った。彼が何を言っても平然と返すばかりの友を絶句させてやったことにカトライは少しばかり満足感を覚えた。
「言い出したのは向こうであったが、コズディム神官ならば獄界神への憤りやひとかたならぬはず。ヤナール殿と別に八大神殿の声を聞くのはよいことだと思ったのだ」
「何故、私に一言相談してくださらなかったんです」
「お前は忙しそうだったからな」
言われたローデンは唸ったが、今度は黙ったままではいなかった。
「私の忙閑などはどうでもよろしい。次に馬鹿なことをしでかす前には必ず言っていただきますぞ。……ああ」
彼は息を吐いた。
「ヴェル様に説教をしている気持ちになりましたよ。情けない」
その言葉にカトライは笑った。
「それで、相手は何を話してきたんです。まさか正直に罪の告白を行ってきた訳でもないでしょうが」
司祭がそれを受ければ懺悔と言われる宗教的な救いに通じるが、裁きを下す権限を持つ王の前でやれば、それは自白だ。
「はっきりとは、何も。だがサラターラが『救いを求めて』神殿にやってくる、とは言った。ご存知でしょうが、ときたがね」
救いを求めて神の声を聞きに行く。
確かに不自然なことではないが、女は女神の神殿を訪れることが多かった。
もちろん決まりではないし、たとえばフィディアルも「人気」は高い。各人の考えで好きにすればよいものだ。悩みがあるならその内容によっても、求める神は異なって当然だろう。
だが、身近な誰かが逝ったのでもなければ、冥界の主神に救いを願うというのはいささか奇妙だった。
おかしいと声高に言い立てるほどのことでもないが、疑問は浮かぶ。
何故コズディムなのか、もしやそこに気に入りの神官でもいるのか、などと考えるのは下世話であったが、この場合は合致していた。
グルスはもちろん、王妃が自らのところへやってくるのを奇妙だなどとカトライには言わず、カトライも指摘しなかったが、王妃が神よりも神官を──目前の司祭を欲しているのだと言うことは、その夫には十二分に伝わった。
たとえ何も気づいていなかったところで、やれ王妃様はお可哀相だの、哀しそうでいらっしゃるの、自分といる間は寂しさを忘れるようだの、お慰めして差し上げているだのと連発されれば、鈍い者でも疑いを抱こう。
だいたい、オブローンの神官への対策でも王に進言にきたように思わせておきながら、サラターラの話しかしないと言う時点で「黒」確定のようなものだ。
「わざわざ陛下を挑発にやってきた、と?」
「そのようにも見える。いや、そうとしか見えなかったな」
ローデンの指摘に王は苦い顔をした。
「だが、俺に妻の不貞を──それも、そやつ自身との不貞を匂わせて、何の役に立とう? 俺があやつを詰問し、事実を明るみに出せば大きな騒動にはなるが、それが望みとも思えぬ」
王が八大神殿の一神殿長の更迭を進言し、王妃との姦淫の罪で罰しでもすれば、都市には大きな混乱が起こるだろう。神殿はカトライを王の資格なしとして──神殿長がそのような真似をするはずがないのだから、これは王の妄想だとでもするだろう──糾弾するかもしれない。
エディスンは混乱するだろう。だがそれを目的に、自身の死刑執行書に署名するというのも、やはり腑に落ちぬ話だった。
「俺が公にはせぬとたかを括っているのか、それとも何かほかに理由があるのか」
カトライは嘆息して首を振る。
何のためか。
王妃への愛、王への恨み。どちらも歓迎はし難いが、それならば判る。
だがそのような強い感情は、グルスという男から感じられなかった。
挑発。そうしていたとしか思えない。
敬虔なる神殿長の仮面をかぶった男は、王の仮面をつけ続ける彼を苛立たせ、怒らせようとしていたとしか。
だが疑問はやはり変わらない。
「何のために」
エイファム・ローデンがカトライの心を代弁する。と言うよりは、魔術師自身のうちにも渦巻いていた言葉であろう。
「判らぬ。だがそのままで済ますこともできぬ」
王は顔を上げた。
「グルスを探れ、ローデン。神殿長の位に就いたのは比較的最近だったと思うが、いつから神官をやっているのか、出身はどこか、何かエディスン王家に関わったことはないのか」
王と顔を合わせるのは八大神殿長の内、フィディアル神殿長ばかりだ。カトライは神殿長の選定に関わることもなければ、全員の姿を見るのは新年の挨拶くらいのものであった。
「神殿長となったのは半年ほど前ですね、前神殿長ワーズ殿の急死によります」
「急死? そうだったのか。何か病を得ていたと?」
「いえ、それが」
ローデンは唇を歪めた。
「火事で」
「ここも、火なのか」
カトライも似た表情を浮かべた。
「ではグルスがリグリスの」
言いかけてカトライは言葉をとめる。
「エイファム」
「は」
「魔術師たちは名というものに重きをおくとか言っておったな。……ふたつの名が似た響きを持つことに魔術的な説明はあるか」
「魔術の理を引き合いに出さずとも、考えられます」
ローデンは肩をすくめた。
「ひとつ。同じ人物が名をごまかしている。ふたつ。親子、師弟といった深い絆があって、似た名を与えた。三つ。ただの偶然にすぎない」
「三つ目の回答を期待したいところだが」
「私もですよ。幸か不幸か、答えは出ておりませんがね」
魔術師は首を振った。
「或いは同じ人物であっても楽ですな。敵がひとり減ります」
「そう都合がよければ万々歳だが」
王は皮肉めいた口調で言った。
もちろん、そうした可能性もある。だが、「こうであるとよい」と夢想をしてことを済ます訳にはいかぬのが為政者であり、その重臣であった。
いやこの場合は、為政者であるよりも〈風司〉であることの方が重要であったろうか。
「業火神官との関係を探れ。三年前なりその後なり、本当に接触はなかったのか。直接尋ねる訳にもゆかぬ、グルスと不仲の神官でも探せ」
「御意」
「それから、ローデン」
王は厳しい表情のままで言った。
「私は、妃を傷つけたくはない」
「――御意」
臣下はそう言うと、主の心の内にあるものを読もうとした。
無論、魔術でという意味ではない。良識のある術師ならば、そのような真似はしない。いや、必要と判断すればローデンも躊躇わないであろうが、いまはそうではない。
このときの彼が目の前に見るのは、若い頃には想像もしなかった場所に彼をつれてきた友人。
エディスンのために同じ道を往くことを決意した相手。互いの家族よりも長い時間をともに過ごしてきたやもしれぬ。
互いを信頼はしているが、言い争いが全くないという訳でもない。他者の前では決して見せないが、かなり剣呑な言い合いもする。若い頃は殴り合いになりそうにもなった。いや、実際にやり合ったことも幾度かある。
だがどれだけ長く隣にいて、どれだけ近しくても、エイファム・ローデンはカトライ・エディスンではない。彼の考えを完全に理解することなどできない。
彼が本当は何を望むのか。
いやカトライ自身が自らの望みを把握できているのかどうかさえ、ローデンが知ることはできないのだった。




