06 どう説明するのかしら
そのまま、どれだけの時間が過ぎただろうか。
十秒にもならぬだろうか。
だが剣をかまえたユファスとそれを見つめるメギルにとって、時間は十分も過ぎたように思えた。
「殺すべきなのだと、思う」
ユファスはゆっくりと言った。
「あなたがこれ以上、誰かに火を放たない内に」
「それは」
メギルもまた、同じ速度で返した。
「正義感と言うところ? それとも、ティルドが心配で?」
「両方かな」
彼は静かに答えた。
こうして剣をかまえてはいるものの、だが彼は斬りかかろうという気持ちになってはいなかった。
まず、目の前にいるのが魔女であることはよく判っていても、彼は女子供を斬ったことなどない、というのがひとつある。
弟のためにも彼女がこの先奪うかもしれぬ命のためにも、メギルを斬るべきだと思っていた。だがそれでも、彼は剣を振りかぶることができないままだった。
「私がおとなしく斬られるとは思っていないでしょうね」
「おとなしく斬られてください、とお願いはしないけれど」
ライナとアーリを焼き殺し、ほかにも多くの人間の命を奪っている魔女。彼の欲望にも火をつけた。憎み、腹立ちを覚え、嫌悪し、切り捨てて当然の――。
かつての兵士は剣をかまえ直した。そして、じっとメギルを見続ける。
美しい女だと思う。けれど、最初に覚えた印象と変わらない。どこか偽物めいている。
このように感じるということは、彼女はいま、本当に彼に術を使っていないのかもしれない。彼の欲望を刺激しないまでも、何か彼を惑わす術を使っているのではないかと疑う必要はないようにも思えた。
「斬りつけてみたらどう? ねえ、ユファス」
メギルはするりと寝台から降りると、一糸まとわぬ姿のまま、何のてらいもなくその全身を現した。
「魔女も血を流せば、赤いのかしらね」
ユファスはわずかに首を振ると、剣を――下ろした。
メギルは先ほどからずっとしているのと同じようにそれを見守り、静かに口を開く。
「試してもみないで諦めるの? 弟くんに怒られるのではなくて」
「殴られるんじゃないかな」
そう言うと彼は唸り、剣を鞘に収めた。
「何か、着てください」
メギルは笑った。楽しそうな声だった。いまさら、と言うのだろうが、彼はどうにも目のやり場に困る。
女の年齢は三十ほどに見えるが、その肌は十代の娘のように張りがあった。豊満な胸と細い腰、すらりとした両脚。魔術をかけられていなくとも、いや、かけられていない健全なる青年であればこそ、気が逸れてしまいそうだ。
彼はまた首を振った。
「いったい、あなたはどうしたいんです」
答えは返ってこないと思いながらもユファスは尋ねた。
「僕が気に入ったなんて冗談はもうなしにしてもらいたいけれど、どうしてこんな真似を? 腕輪を盗るつもりでいるのなら、困るけれど、判る。持っていてもらいたいというのは、意味は判らないけれど、言われなくたって持っているさ」
言いながら、青年はふと思った。
「もしかしたら、僕をティルドから離そうと?」
「あら」
メギルは、衣服を拾い上げながら言った。
「私の目的の腕輪は、いまあなたが持っているのでしょう。ティルドとあなたを離して、どんな意味があるのかしら」
「それでも腕輪が目的だ、と言うんだね」
判らない、と彼は思った。魔女の口先に翻弄されるな、とアロダは彼に忠告しなかった。メギルがこんなふうにユファスに「手を出して」くるとは思っていなかったのかもしれない。
「そうよ。あなたが腕輪を持つこと」
メギルは繰り返した。ユファスは息を吐き、それが魔女の望みであるならそうしない方がいいのだろうか、と思った。
「駄目よ」
青年の思いを見越したように、メギルは微笑んだ。
「あなたが持っていて、ユファス。私のために」
その声には魔力が乗せられる。ユファスは目眩を覚え、きつく目を閉じて両足を踏ん張った。
〈風食みの腕輪〉は魔女の火から彼を守るが、誘惑からは守らない。翡翠は魔除けの力を持つけれど、万能ではない。まして、魔力の理を知らぬ青年が正しく魔除けを使えることもない。
それとも、魔除けが働ききらない理由は、何かほかにもあっただろうか?
「僕は」
ユファスは目眩と戦いながら言った。
「ティルドからは離れない」
メギルはそれが目的ではないと言った、だがそれはごまかしであるように思えた。その言葉に、それとも術下に取り込まれんとしていた青年が言葉を返せたことに、メギルは少し驚いて目を見開く。
「そう、お兄さん。それじゃ私との情事を彼にどう説明するのかしら」
だがその驚きをすぐに消して、メギルは悪戯っぽく尋ねた。
「説明しなくて済むのなら、したくないね。よりによってあなたと」
「何度も」
メギルは笑って付け加えた。ユファスは天を仰ぐ。
「それじゃ隠すの?」
「どうかな。その方が平穏だとは思うけれど、隠しおおせるとも限らない。いつかおかしな形でばれるよりは、僕が先に手酷く殴られる方がましかもね。あなたは余計に彼の怒りを買うことになるけれど」
「そう」
メギルは上衣を身につけながら言った。
「好きにするといいわ。私はあなたにどんな禁止も命令もしないから」
「腕輪を持っていろ、という以外?」
「それは命令じゃないわ。お願いよ」
魔女は平然と言った。
「ティルドによろしく、ユファス──待って」
不意に彼女は何かに耳を澄ますようにすると、片手で印のようなものを切った。ユファスは警戒したが、それは彼に向けられたものではなかった。
「……ティルドに話すべきかどうか、悩む時間ができたみたいよ、ユファス」
「何だって?」
ユファスは目をしばたたいた。意味が判らない。
「あなたの弟は、この街を出たのですって」
「何だって?」
彼は繰り返した。言われた意味は判ったが、それは聞き返すに値する内容だった。
「私があなたたちを離したがっているかはともかく、誰かがそれに成功したみたいね。それが目的って訳ではないと思うけれど」
「どういう意味なんだ、どうしてティルドが」
彼は困惑をした。メギルが魔術で誰かと言葉を交わしたのだろうとは判った――アロダがローデンとそうするのを見たことがあった――し、メギルとその仲間がティルドを見張っていることも不思議ではなかったけれど、弟が突然そんな真似をする理由が判らない。
まさか、このことを知ってそんな兄貴なんぞと旅ができるかと飛び出した訳でもないだろう。――そうであってほしい。
「いったい、どこへ?」
教えてくれるものだろうかと疑いつつ、ユファスは言った。
「彼の目標であるあなたがここにいるというのに」
「坊やはそれを知らないもの」
メギルは肩をすくめた。
「私がこうしてここに、あなたと一緒にいることはね」
その付け加えられた部分にユファスは額を押さえたが、事実なのだから仕方ない。
「どこに向かうつもりなのかしらね。判らないわ」
ユファスは計るようにメギルを見た。本当だろうか。その疑いに気づいたか、メギルは小さく首を傾げて言う。
「私と一緒にティルドを追う?」
「遠慮するよ」
誘うような笑みにユファスは首を振った。
「これ以上あなたと一緒にいれば、弟にどんな言い訳も立たないからね」
「殺せなかったことには、言い訳が立つの?」
「どうかな」
彼は呟くように言った。一度視線を落とし、小さくうなずいてからメギルの目を見て続ける。
「もし、またあなたが僕やティルドに何かおかしなことをすれば、次は僕はあなたを斬る。あなたは魔術を使って、かすり傷ひとつ負うことなく僕を殺すのかもしれない。でも」
彼はわずかな間をおいてから言った。
「次は、必ず、斬る」
「――判ったわ。覚えておきましょう」
メギルはやはり笑んだままで言った。
「その日がこないことを願って。それとも、くることを……かしらね?」




