05 彼は知らない
くしゃん、と派手なくしゃみをすれば、「お大事に」と神に祈る言葉で返される。少年は手を上げてその決まり文句に返礼した。
「〈冬至祭〉を越えたらあとは暖かくなるだけさ、あと少し耐えるんだね、少年」
「別に病の精霊に憑かれたって訳じゃない」
ティルドは肩をすくめると同じ乗り合い馬車に乗り合った乗客に言葉を返す。
「病じゃなきゃ、〈お喋り鳥の議題に選ばれた〉んだろう」
にやにやと相手は言った。ティルドは顔をしかめる。
その言い回しは、若い娘が気になる男の話をすると、それが男に伝わってむずがゆい感じがする、と言われることによった。
ティルドがいま現在関わる若い娘となればリエスであり、リエスに気にされているという考えは、しかしあまり嬉しくなかった。
「それなら厄除けを返すさ」
ティルドが口にしたのは「その娘には興味がない」または「決まった相手がいる」という答えだ。
それが果たして本音であるのかどうか、少年自身掴めないところがある。
前者に関しては、リエスに噂をされたら本当に嫌なのか、ということが判らない。
魔女疑惑を含めて考えれば、彼女に好かれるなど冗談ではないというところだったが、その疑惑がなければ?
後者に関しては、アーリのことが判らない。
死んだ盗賊娘が一夜のだろうが何であろうが彼の恋人であったことは間違いなく、ティルドは生涯アーリを忘れないだろう。だが、いまでもアーリが彼の恋人であるとは言えない。どんな理不尽な形であっても彼女はもういない。死んだのだ。
ティルドのメギルへの復讐心が薄れることはなかったが、アーリはもういないのだという事実を反射的に否定しようとする衝動は治まっていた。
それをどう判断すべきなのか、少年には判らなかったが。
「へえ、いい子がいるなら、大事にしてやるんだな」
何てことない言葉は、それを為せなかったティルドは苦いものを覚えさせたが、彼はただにやりとしてみせた。表情を強張らせることしかできなかった頃に比べれば、それは大きな変化であった。
乗合馬車を使った旅は楽だった。
宿の心配は要らないし、追加料金を払えば食事も提供される。
高級な馬車ではないから快適とはいかないが、兄とふたりで慣れぬ野営にどたばたしたり――それはそれで楽しかったが――、エディスンからレギスへ向かったときのように馬しか話し相手がいなかったりするよりはずっといいな、などと考えた。
アーリとの旅を思い出せばやはり心が痛んだから、そのときとの比較は避けた。
まだ、癒えるにはほど遠い。或いは、ずっと癒えない。
フラスの街を離れたティルドは、神官セイがさっさとローデンに連絡をつけてくれるものと思っていたが、音沙汰はなかった。
例の印を握りしめて神官の名を呼んでも、セイが姿を現すことはない。
ほかの客に見られればややこしいだろうからと休憩中に馬車を離れたところで呼び出すなどの手段を取っていたのだが、それでもセイは顔を見せない。
ティルドは心配になってきた。
もしセイに何かあったとすれば彼に神術の守りはなくなるが、少年が案じたのはそれではない。生憎と言おうか、神官自身の安否でもない。本当にユファスに自分の出立は伝わっているのだろうな――という点だ。
もちろん、彼は知らない。
彼の前に現れた気の弱そうな青年神官の名がセイではなく、崇める神もフィディアルではないこと。
そして、神官はもとより魔術師の守りもいまはない兄の前に魔女が現れ、その術で彼を惑わしていること。
少年は、何も知らなかった。




