01 密命
礼儀正しく叩かれた戸が開いたとき、手にしていた書状から何となく顔を上げたローデンは、少し驚いた顔をした。
「誰かね」
言われた侍女の方こそ驚いたようで、彼女は目をしばたたくと改めて深い礼をした。
「カムルはどうしたのだ」
「彼は、病の精霊に憑かれてお休みをいただいております。本日はわたくしが代理を」
「代理。小姓の代理ならば幾人かおると思ったが、何故侍女がやってくる?」
「申し訳ございません、ではすぐにほかの者を寄越します」
「――いや」
すぐさま踵を返そうとする娘をローデンはとどめた。
「今日だけならばかまわん。ただ、静かにしていてくれ」
侍女はただ礼をして、「女はうるさい」とも取れる差別的な発言に口を挟むような真似はしなかった。
普通に考えれば、当然である。公爵に文句を言う侍女などは普通いない。
そんなことをすればすぐさま首を切られるか、そうでなくても彼は「魔術師」である。
失敗をしても蛙に変えられるとは思わぬが、魔術で何らかの罰を受ける羽目になってもおかしくない、というそれこそ「差別的」な感覚が、侍女たちがローデンのもとに配属されたがらぬ原因であった。
もちろん彼女たちはそれが仕事であるから、命じられれば誰のもとであろうと働く。ローデンのもとに侍女がいないのは、それが公爵の希望であるからだ。それをして、彼がクジナ趣味であるというような噂が立つこともあったが、実際の理由は、彼が星読みの魔術師であるからだ。
女の抱く星というのは、男のそれよりも動きが一定しないことが多い。あちらかと思えばこちらに動く。
彼は、ひと目見ただけで相手の運命が判る訳ではないが、それでも人の上に影を見ることがある。見えれば煩わしいそれを普段は自身の力で封じていたが、ふとした拍子にその術を通り抜けてくる星がある。彼はそれを嫌った。
そして、そうした奇妙な流れをする星の持ち主はたいてい、女性だった。それ故、ローデンは身近に侍女を置かぬことに決めているのだ。
侍女は言われた通りに静かに――口を利かぬことはもちろん、音を立てることも避けて――書類を整理したり、花を活け直したり、茶を運んできたり、ひと通りのことを終えるとあとは公爵の命令があるまで部屋の端でじっとしていた。
しばらくは気にせずに仕事を続けていたローデンだったが、不意に顔を上げると侍女を見た。
「普段は、誰についている」
突然の問いに娘は目をしばたたかせた。
「なかなかよい仕事ぶりだ。いなければ、主が困るのではないのか」
言われた娘は礼の仕草をきれいにしてから、声を出した。
「斯様なことはございません。我が主は、王陛下と閣下のご命令で旅路にございます故」
「――ヴェル殿下の侍女か」
思いがけなかった返答にローデンは唸った。ヴェルフレストの不在は、彼に仕える者たちから仕事を奪っているのだ。
「名は」
「ファーラと申します」
彼女は、ヴェルフレストが聞けば、丁寧な口調も使えるのではないかと不満そうに――内心では面白く思うに決まっているが――言いそうな丁重さで答えた。
「主の安否が気になるか、ファーラ」
「もちろん、なります」
ファーラは、何故公爵が侍女などに話しかけてくるのだろうと奇妙に思うのか、少し困惑したように答えた。
「万一にも殿下が戻ってこられないようなことがありますれば、失職ですから」
少しばかり丁重でも言うことは変わらぬ、とヴェルフレストなら笑うだろう。ローデンは少し苦い顔をしたが、叱責の言葉は特に口にしなかった。
「ヴェル様……殿下はご無事でいらっしゃいますか」
つい出てしまったらしい呼び名に、ローデンはしかし納得する。ヴェルフレストはよくも悪くも寛容な王子であるが、実際に彼を「ヴェル」「ヴェル様」と呼ぶ者は少ない。ならばそう呼べる彼女の、王子の安否よりも自身の仕事を案ずるかのような台詞は本音ではない。いや、本音やもしれぬが、それだけでもない。
「ご無事だ。帰途についておられる」
その言葉にファーラは明らかに安堵したようだった。
「安心か」
「はい」
侍女はうなずいた。
「もしや」
ローデンは片眉を上げた。
「それを聞くために私の前へ?」
「カムルがお休みをいただいているのは事実ですが、代理については仰る通りでございます」
彼女は目を伏せた。
「実を申しますと、これは殿下にお仕えする侍女たちの総意なのです。殿下のご無事をみな案じておりますが、ローデン閣下はたいへんに畏敬の念を抱かれております故、ほかにこの密命を果たせる侍女がおりませんでした」
「言ってしまえば密命にならぬな」
ローデンは面白くなって笑った。「畏敬の念」は要するに怖がられている、不気味がられているということだろうが、そのようなことは言われ慣れているし、この侍女の言い方には「公爵」にそのような口を利くことへの怖れすらない。彼が笑ったのは、成程、ヴェルフレストが気に入りそうな娘だ、と思ったためだ。
「お教えいただいたのですから、もう密命は果たせました」
侍女はそう言って、出過ぎた発言を謝罪する仕草をした。要らぬというようにローデンは手を振る。
「よい娘だ。お前のような娘がヴェル様の近くにいるのなら、安心だ」
「――何かございましたか」
ファーラは、これこそ出過ぎていると言われかねない言葉を口にした。侍女が尋ねるべきことではない。
だがローデンの様子にはそれを許す雰囲気があった。彼女はそれを敏感に感じ取ったとも言える。
「あったとは言えぬ。なければよいと思っている」
ローデンの回答はファーラには全く通じぬものだったが、彼女はそれ以上の追及をしなかった。ヴェルフレストにならば「曖昧すぎます」とでも容赦なく突っ込むところだろうが、公爵相手に許される線は既に越えていると判っている。
「却って案じさせるようなことを言ったか。すまなかったな」
「とんでもございません」
公爵に詫びられては、たいていの侍女は戸惑う。さすがのファーラもこれには驚き、目を見開いた。
「殿下は〈風神祭〉には間に合うよう、戻ってこられるお心積もりだ。だが、このことはほかには洩らさぬように」
その禁止にファーラは首を傾げた。言うべきことでないのなら、何故、彼女に言うのか、と思うのだろう。
「ファーラ。ひとつ、密命を受けてはくれぬか」
「わたくしはただいま、閣下の侍女でございます故」
公爵の言い方に、思わずという感じで笑みを洩らしながら彼女は言った。
「一言、命令をしていただければ充分にございます」
「よかろう」
彼はうなずいた。
「ヴェル様がお戻りになると言う話をサラターラ様にだけ、お伝えしてくれ」




