04 馬鹿げた争い
魔術と呼ばれるものを使わなかったとしても、メギルは「悪女」と噂されるだけの色香と美貌と肉体と態度を併せ持っていた。
それを知り、彼女を警戒する者、陥とそうとする者、何も知らずに女郎蜘蛛の巣にかかる者、いろいろな男がいた。
たいていは肉体だけの楽しみだったが、時にはちょっとした恋愛ごっこのように恋人の雰囲気を楽しむこともあった。
そして時には、その女郎蜘蛛の心をしっかりと掴む男もいた。
戦士など、掃いて捨てるほどいる。何故、ビートが彼女の心を捉えたのか、メギルにはよく判らなかった。
彼女を美しいと讃え、隣で飲めば口説くようなことを言う。物語の主人公のように彼女を荒くれ男から救った以外は、ビートはこれまで出会ってきた男たちと変わらぬように見えた。
だが違いはすぐに歴然とした。
気軽い愛の言葉を述べ、いかがわしい話をして彼女の様子を探っているようなのに、メギルが了承の印に艶然と微笑みかけてみたところで、ビートはなかなか彼女を寝台に連れて行こうとしないのだ。
初めは、単に鈍いのかと思った。次には、もしや彼はクジナ趣味が強い男で、それを隠すために女に声をかけているのかと考えた。
だが、そうではなかった。
驚くなかれ! 彼は――誠実だったのだ。
「なあ、考えてくれたか」
これまでメギルにそんなことを言う男は、ほかの男と別れてほしいだの、恋人になってほしいだの、あまつさえ結婚してほしいなどという戯けた話もあったが、とにかくそう言った方面であった。
しかし、ビートが言うのはそうではない。
「考えたわ」
メギルは肩をすくめた。
「それで、答えは」
「いいわよ」
彼女は簡単に言った。ビートの目が輝いて、にっと笑う。そうすると、彼女より十近く年上である戦士は一気に若返って見えた。
「よし、いつ発てる」
「いつでも。街道の警備なんていつ仕事が入るか判らないものだから、旅立ちの支度はいつだってできてるわ」
ビートは彼女を寝台に誘う代わりに、旅に誘ったのだった。
と言っても恋人同士の熱々なふたり旅ではなく、メギルの腕を見込んでの、魔物退治の旅である。
「だが、フラスに戻ってくる訳じゃないんだぞ」
ビートは少し心配そうに言った。判ってるわ、とメギルはうなずく。
「そろそろ、ここを離れようと思っていたの。ちょうどいいわ」
「そうか」
彼はほっとしたように言った。
「よかった。お前みたいな強い魔術を使える奴がいれば、旅が楽になる」
力を認められることは嬉しかった。
警備隊の仕事は師カズランが彼女に向くと考えた通りで、火術を駆使し、褒められるというのは何とも爽快なものであった。
だが、「強い魔力を持つ美女」と言う評判が定着してくると、わざわざ彼女を賞賛する者もいなくなってくる。「美女」の部分だけならば褒める男は飽きるほどいたが、メギルはそれだけでは満足できなかった。
彼女は、力を褒められたかった。
素晴らしいと賞賛されたかった。
持って生まれた顔立ちや、望まぬ男たちに蹂躙されたことで身に付いた色香ばかりを讃えられても、褒められた気持ちにはなれなかった。
ビートは彼女に魅力を覚えていることを隠さないが、それでも彼女の身体よりも魔力のために旅に誘った。
それはメギルには新鮮であり、自分が認められたという喜びを感じさせた。
ビートにはほかにふたりの戦士仲間がおり、彼らは彼女がこれまでよく知っている男たちによく似ていたが、一行のリーダーであるビートは彼女への気軽な手出しを許さなかった。
「当然だろう」
ある夜、ビートは自身の態度を説明した。
「そりゃ、男と女の関係なんてそれぞれの自由だし、勝手だ。だが酔った勢いとか、一緒に旅をしている間柄だという情のために、お前があいつらと寝るなんてのは……俺はどうも、気に入らない」
「何だか矛盾してるわ」
メギルは笑った。
「自由で、勝手でしょう?」
「まあそうなんだが」
男は唇を歪めた。
「お前が心からそれを望む、と言うのとは違うような気がするからな」
「私が?」
メギルは驚いて返した。
「キャグスやワトンが望むかどうかではなく、私が?」
「男の欲望は、別だ」
彼は肩をすくめた。
「奴らは本気で心から、望む。お前はきれいだし、胸もでかい」
その表現にメギルは苦笑のようなものを浮かべた。
「男が抱きたいと思う女だ。だがそれはただの欲望で、欲望は、それまでだ」
彼は淡々と言った。それがよいとか悪いとか言うつもりではないようだ。ただ、欲望には先がないと、言った。
「まあ、男は出しちまえば終わりだが、女はそうじゃない。お前は大したことじゃないと言うかもしれんが」
ビートは唸った。
「俺はお前に、自分を大事にして欲しいんだ」
それは、メギルがこれまで耳にしたことのない愛の言葉だった。
想像したことも、ない。
カズラン導師なら言ったかもしれないが、それは言うなれば親の愛に近く――彼女はそれもろくに知らないが――異性としてのそれとは違う。
メギルの心は動いた。
ビートに惹かれるのは、彼女を抱こうとしないことが自分を戸惑わせるからだと思っていた。知らぬタイプの男だから、気になるのだと。
だがそうではなかった。それだけではなかった。
メギルは知っていたのだ。ビートはメギルを大切にしたいと思っている。
魔女と言われるような「男をたぶらかす」女であると知っている。抱こうとすれば簡単なことも。だが、だからこそ、彼は彼女に手を出さなかったのだ。
それは彼女が知らぬ形の愛だった。メギルはそれに心を打たれ、初めて誰かを愛していると感じた。
「私が、望んだら?」
そう言うと、ビートは苦い顔をした。
「もちろん、お前の自由だ」
「お互いの望みが一致すれば自由という訳ね」
メギルは卓の上で組まれていたビートの手に触れた。
「私が望んでも、あなたが望まなければ、私にその自由は手に入らないわ」
自分から男を誘うようなことを言ったのは初めてだった。その気になって寄ってくるのはいつも男で、彼女はうなずくか無視するかすればよかった。
誘われてもよいと思ったことはあっても、誘いたいと思ったことはなかった。
魅了の魔術を使って男を籠絡しても、それは男に抱かれたいためではなかった。
メギルは生まれて初めて、魔術を使わずに男を誘った。
欲望のためではなく、愛のためだと感じた。
それは何とも新鮮であり、そして喜びだった。
メギルとビートの新たな関係が残りのふたりに知れるまで、そう時間がかかるはずもなかった。
そうなれば当然、男たちは面白くない。
ビートは、自分たちに手を出すなと禁じた女を恋人にしたのである。
彼らがそれに不満を覚え、はっきりと表面に出せば、それなりに和やかだった仲間の関係は破綻を迎えることになった。
きっかけは、何であったか。小さな村の依頼を受けて魔物退治をし、その報酬を巡っての、金の問題であったろうか。
これまでならば、ビートがメギルに多めに金を渡しても、実際に彼女の火術がいちばん役に立っていれば戦士たちは文句を言わなかった。だがいまでは、それは恋人への機嫌取り、贔屓にしか見えない。
きっかけはたぶん、それだったのであろう。そう大金という訳でもない、ささやかな金の、ほんの端数の行き先。
それを巡って起きた男たちの喧嘩をメギルは知らなかった。
と言うのも、それは彼女が町で協会を訪れていた間に起きた出来事だったからだ。
彼女が聞いたのは、戦士たちが喧嘩の末に剣を抜き、三人の内のひとりが死んだこと。
殺したふたりが逃げたこと。
それだけ。
彼女に愛を教えた恋人は、馬鹿げた争いで命を落とした。いや、命を奪われた。
それを知ったメギルは復讐の女神の化身となった。
町憲兵隊の捕縛を怖れて逃げたふたりを見つけることは、女魔術師にはたやすいことだった。
躊躇うことなくふたりの戦士に魔杖を向け、魔物や賊に対するのと同じように、容赦のない――これまでの人生で最強の魔火を放った。
それは、彼女が初めて得た愛が消えた日であり、彼女が初めて許されぬ殺人をした日であった。
ビートを手にかけた男たちが消し炭のように黒くなっていくのをじっと眺めながら、メギルは涙を流した。
それは失われた恋人と、愛のため。
そして、彼女自身はまだ気づいていなかったが、「魔女のような女魔術師」から「魔女」へとはっきり一歩を踏み出したためでも、あった。
静かな夜、不吉の象徴である月傘の女神だけが、白い光を彼女に浴びせていた。




