07 惚れたとは思わん
北へ向かえばこの気候はましになるはずであったが、何しろ季節は真冬である。
ヴェルフレストの期待とは裏腹に、気温は決して上がってはいかなかった。
「風は、鋭さを弱めたぞ」
それは熱い砂風の吹く地に生まれた男の言葉だったが、ヴェルフレストは肩をすくめるだけだ。
「面白いことでもあれば寒さも吹き飛ぶが、アドレアはおろかラタンもこぬし」
「こられても面白くあるまい」
カリ=スは王子の言葉を遮った。
「そもそも、次にあやつが現れれば、私はお前の命令を待たずに斬るが」
「よかろう、許可する」
ヴェルフレストはあっさりと言ってから片眉を上げた。
「もちろん、ラタンの話だぞ。アドレアは駄目だ」
「魔女は私の前に顔を見せたことはない」
カリ=スはそう言うと、主をじっと見た。
「『アドレアは駄目』か」
「そうだ」
どうということもないようにヴェルフレストは言った。
「また、魔女の術がどうとか言うのならばやめておけ。俺はそれは気に入らん」
「魅了されたのだな」
「カリ=ス」
ヴェルフレストは――珍しく――咎めるような声を出した。
「やめろと言っているだろう」
「そうではない」
砂漠の男は動じなかった。
「魔女が魔法をかけているとは言っていない。女の魔法にかかったな、と言ったのだ」
「それは、どういう意味だ」
王子は目をしばたたいた。
「俺がアドレアに惚れたとでも?」
「お前の言い方を真似れば、ヴェル。『それは面白くないが』そう見える」
「馬鹿を言うな」
彼は笑って手を振った。
「語らえば興味深いと思うし、言えば嫌がられるが美しいとも思っている。が、惚れたとは思わん。万一にもそうであってみろ、向こうにはその気がない、俺はあっさり失恋か」
「本当に魔女にその気がないのならば、そうだな」
「そうとは、どういう意味だ」
「お前は失恋だ、という意味だ」
その言葉に王子は目を見開いて、それから笑った。
「面白い」
彼の侍女のファーラが聞けば、失恋を面白がるようではまだ恋を覚えていないとでも言ったかもしれないが、カリ=スはそれ以上何かを言いはしなかった。
タジャスを出た彼らは街道沿いに北上を続けた。
ギーセス男爵は、エディスンまで送ると言って兵をつけようとしたが、ヴェルフレストはそれを笑って断った。
しかし彼は、せめて隣町までとほとんど懇願するように言った。それがエディスン王子への儀礼によるものではなく――それも無論、あったろうが――風司の血に対する憧れや尊敬から出た言葉と知るヴェルフレストは、その好意を受けた。
その間、アロダは上手に兵たちの目にとまらぬよう、姿を見せていた。ヒサラもそうしていたが、それは天幕の内であったり部屋のなかであったり、ヴェルフレストが許可を出さなければ他者が入ってくることのない場所に終始していた。だから、タジャス兵がちょっと離れている間にアロダが顔を見せ、一言二言報告をして去っていくのにヴェルフレストは初めは驚き、やがて面白く思った。
だがその隣町も越せば、彼らはエディスンを出た頃と同じ、ふたり旅である。
いや、同じではない。
影にはアロダがついており、何者かも――ラタンか、そうでないのか――も見張っているだろう。
と言うより、実際にふたりだけでもなかった。
カリ=スが見つけて交渉した隊商はそう大きくなかったが、北西に向かうにはちょうどよかった。東国に行くこともあるとかで、カリ=スを砂漠の人間と見抜き――まさか大砂漠そのものからきた〈砂漠の民〉だとは思わぬようだったが――凄腕の戦士と歓迎した。
最初はカリ=スをよくいる旅の戦士と考えたらしい隊商主だが、ヴェルフレストとの組み合わせは相変わらず奇妙な感じをもたらした。ウェレスに着く直前まで「旅の剣士」ふうの態度も身に付けてきていたヴェルフレストが、このところの「王子業」でそれを忘れかけているためもある。
そうなればだいたいにおいて彼らは貴族の息子とその護衛、とほぼ正解のところを推測された。性質の悪い、或いは商売人根性が豊かな隊商主であれば乗車料金を乗り合い馬車並か、高待遇を約束にうんとふっかけてでもくるところだが、そのようなことはされなかった。隊商主が善人だというより、カリ=スを怒らせたくないとでも思われたのだろう。
そうした日々は「面白くないことに」順調だった。
商人の娘と戯れるのは面白かったし、彼を王子とまでは知らぬ隊商の護衛戦士と剣を合わせるのも面白かった。前者はカリ=スが眉をひそめる「ちょっとした楽しみ」であったが、後者の方はずいぶんと興味深かった。
というのも、エディスンで模擬試合でもすれば、王子を打ち負かそうとする者などいない。往路でカリ=スと剣を合わせるようになって、自分が思っていたほど優れた剣の使い手ではないと知ったヴェルフレストだったが、カリ=スはやはりそれなりに手加減をしてくる。
だが、見知らぬ戦士はそうではない。
もちろん、意図的に怪我を負わせるような真似はしないものの、正しい訓練だけを受けているヴェルフレストの使う剣はあまりにもきれいなので、彼は実際よりも熟練の剣士に見えるのだ。そうなれば戦士はそれに見合うだけの力で対抗しようとし、結果として王子殿下は負け続けることになる。
幸いなのはヴェルフレストが負けたと言って癇癪を起こす性格ではなく、面白いと楽しめる性格であったことだろうか。
そうやって自らの欠点を受け入れれば、型通りの訓練を繰り返すよりも彼の剣技は上達した。
これは、面白いことと言えた。
だが、結局のところ何も掴めぬままエディスンへ戻るというのは、自分で決めたことであってもあまり面白くなく、ヴェルフレストの内には、彼にしては珍しい後悔のようなものが浮かんでいた。
「いまからでも東へ行くかな」
王子がそんなことを呟けば、カリ=スは渋面を作る。ヴェルフレストは笑った。
「カリ=ス、お前はそう言うが」
「まだ何も言っていないが」
「だが、言うところだろう」
彼はにやりとした。




