06 慈愛に溢れる神官様としては
冷たい風から逃れるように館のなかに入れば、自然と安堵の息がもれた。
彼は格別に寒いことが苦手だと言うほどではなかったが、決して得意でもない。
第一、気候による身体的な苦痛などは修行を重ねればものともしなくなれるはずで、これはやはり自分の力不足が原因だろう、などとサーヌイ青年はぼんやりと考えた。
「戻ったのか」
巻き毛の神官が振り向けば、そこには銀の髪をした年上の神官がいた。
「ラタン殿」
サーヌイは驚いたように相手を見た。
「どうしてあなたがここに?」
「嫌な相手が現れた」
ラタンは言葉の割に、何でもないような口調で言った。
「経験の浅い術師の裏ならかけるが、爺は老獪だ。下手にちょっかいを出せばメギルのように口先だけで追い返されかねない。俺はそんなみっともないのはご免だね」
「まさか、勝手に戻ってこられたので」
サーヌイは目をしばたたいた。
「リグリス様が何と言われるか」
「我らがご主人様は、細かい経過なんて気にしない。あの方には結果があればいい。俺はこの件を投げ出した訳じゃないんだ」
そう言うとラタンはサーヌイの肩を抱くようにして笑った。
「だいたい、俺たちはご同輩だろう。風神の道具を追うなんて重要な仕事をお前が任されるようになるとはな」
「リグリス様のご期待に背かぬよう、努力をしております」
「それにお前は」
ラタンはぱっとサーヌイの肩を放すと、両手を上げた。
「メギル様のご期待に添いたいんだろう?」
「ラタン殿っ」
青年は判りやすくも顔を赤くする。
「私は、そのような」
「いいさ、魔女に魅力を感じるのはお前だけじゃない」
「ラ、ラタン殿もですか」
「そう情けない顔をするな!」
ラタンは笑った。
「おかしなことを考えれば魔女にいいようにされちまう。だいたい、俺はセランの女に手を出すほど命知らずじゃない」
「な」
純情な青年神官は目を丸くした。
「何てことを言われるんですか」
ラタンはふんと笑った。それは、彼がヴェルフレストの前で見せていた冷ややかなものとは少し異なったが、冗談にも温かみがあるとは言えないのは同じであった。
「まさか知らないんじゃないだろうな? 気づいてないとでも? まさかな。俺なんぞ、何度現場に踏み込みかけたか判らないくらいだ。俺がメギルに燃やされてないのは、まあ、実際に踏み込む前に勘付いた感づいたからだが」
「……何を言ってるんです? 現場って、どういう意味ですか」
サーヌイは眉をひそめて尋ねる。ラタンはこいつは恍けているのか、まさか本気で判っていないのか、と計るように若者を見て――息を吐くと首を振った。
「どうしてこんなにもお前は毛色が違うかね? それだけ特異な力を持っていれば、もっとすれたっていいと思うが」
「また、僕が『八大神殿の』神父や神官のようだと言うんでしょう」
サーヌイは目を伏せた。
「判ってきたじゃないか」
ラタンはサーヌイの頭を軽く叩く。
「すれてないことに不満を覚えるようになってくれば、成長も早いぞ」
「意味がよく判りません」
若い神官は首を振った。年上の神官は笑う。
「リグリス様がこうやってお前を取り立ててる以上、俺に言うことはない。ちょっと前よりはかなり自信もついてきたようだしな」
「そう見えますか」
皮肉混じりの褒め言葉は、サーヌイには皮肉が通じぬままで受け取られ、よって年下の神官は嬉しそうにした。
「メギル様のおかげです」
「へえ」
ラタンは気のないように言った。
「気をつけろよ。魅力的に見えても、魔女だ。お前が必要以上に魔女に近寄れば、リグリス様は」
彼はにやりとした。
「お前ではなく、メギルの方を罰するだろうからな」
「まさか」
サーヌイはふるふると首を振った。彼は、「メギルがリグリスの女だ」とは思っていない――理解し難い――のだが、能力のあるメギルと修行途中の自分であれば、切り捨てられるのは自分だと思っているのだ。
その自己卑下はときにリグリスを苛つかせていたが、青年はそれに気づいてはいない。
「どうして、私の方が選ばれることなどありましょう」
「それは」
ラタンはやはりどうでもいいように言う。
「お前が精霊師だから」
「は?」
青年は聞いたことのない言葉に目をぱちくりとさせた。
「判らなけりゃ、いい。要するにお前は、風と火についちゃ生まれながらの専門家だってことだ。リグリス様もそういった説明はしてるんだろう」
「はい、励みになります」
照れたように、同時に少し誇らしげに言うサーヌイをラタンは目を細めて見た。
それには苛立ちも混じれば、どこか羨望も混じっただろうか。
天性の能力に対する羨みではなく、獄界神の神官のもとで悪逆を働いている自覚もないまま、きれいなままでいる「神官」への。
「そういや」
ラタンはふと視線を逸らした。
「あれはどうなったんだ」
言いながら銀髪の神官は親指で階上を指し示すようにした。サーヌイは一瞬首を傾げてから、ああ、とうなずく。
「まだかなり不安定みたいですけれど、成功と言っていいようですよ」
それはだいぶ曖昧な回答だったが、サーヌイにごまかすような意図はなく、あくまでも彼にとっては誠実な答えだった。
「成功だと?」
ラタンは笑った。
「耳飾りを片方落としてきちまうようなのが、成功だって?」
「それは」
サーヌイは目をしばたたいた。
「失態ではなく、宿命なのだと……アンカル殿が」
「継承者の再生を提案したのはアンカルだからな、失態も宿命だと思いたいだろうよ」
ラタンは肩をすくめた。
「でもまあ、お前はうまいこと気を逸らしたみたいじゃないか」
「気を?」
サーヌイが瞬きをすると、ラタンは褒めるように彼の背を叩く。
「あのガキさ。ティルドとか言う」
「うまく、できたでしょうか」
少し不安そうに、サーヌイ――ティルドの前でセイと名乗った神官は目を伏せた。
「ああ、もう片方を見つけるとか、女に会って話を聞くとか息巻かれたら、拙かったからな。あれがまた勝手に出歩いて、会いに行かないとも限らない」
縛り付けてでもおけばいいと思うがね、とラタンは言った。
「あのガキをここから追い払ったのは良案だろう。街から出ちまえば、協会も神殿も頼れない」
いつまでも「うまくいかない」「協会も避けよう」だけでは通らなかっただろう。一旦協会から遠く離してしまえば、セイ――サーヌイ――がローデンと話したと嘘をついたところで、ティルドに確認する術はない。
「しかし、こうした街は協会の制約が弱いのかね。いろいろな魔術がふらついてやがるから、術をこっそり行うには向いてるな」
「それは、感じました」
サーヌイは言った。業火の神官である彼が、本当にローデン術師に連絡を取ろうとした訳では――当然――ないのだが、レギスの街にはいろいろなものが渦巻いていて、ちょっとした術を行うのにも通常の手段では少しやりづらい、というのは本当だ。
彼らの計画する〈花の再生〉をはじめ、業火の神官たちが術で出入りするのには適していたものの、それ以外には少々不向きだった。
「コルストに向かわせるってのはどうかと思うが、まあ、リグリス様にもお考えがあるんだろう。そうでなくてメギルの失態なら、メギルにどうにかさせるさ」
ラタンはそう言うと肩をすくめた。
「それより、この館を知られた方が問題だったんじゃないのか。知られなけりゃ、苛つくガキにお前が何か吹き込むこともできたはずだ。ここまで送らせるなんぞ、あれは何を考えてるんだか。いっちょまえに女だとでも言うのかね?」
「体力が保たないんですよ、大目に見てあげないと」
「大目に。そうだな、慈愛に溢れる神官様としては、死んだ娘の模造品、でき損ないの魔法生物にも温かい目を注いでやらなけりゃな」
「ラタン殿」
サーヌイは注意をするような声色で言った。ラタンは面白そうにそれを見る。
「何か? 神官殿」
「あなただって神官じゃありませんか」
茶化すように言うラタンにサーヌイは抗議の声を上げた。
「感じるところは違っても、お仕えする神は同じ」
「そうだな」
ラタンは肩をすくめた。
「感じるところは違っても、やってることは同じだ」
「ラタン殿?」
「まあ、頑張って神官面を続けるといい。お前ならやれるかもな。まあ、そのままで行くのと方向を換えるのと、どっちが楽かは判らんがね」
そう言うとラタンはサーヌイに背を向けた。
「どちらへ?」
「どこへも」
銀髪の神官は答えた。
「セランは、ナリアンの館から動かれないんだろう。なら、報告する相手もここにはいない。せっかくの冬至祭だ。魔術師の隙を狙いながらどこぞの王子の顔を見続けているより、祭りを楽しんででもきた方がいい」
「ラタン殿、使命を」
「忘れちゃいないよ」
ラタンはひらひらと手を振ると、困ったようにそれを見送るサーヌイから歩み去った。




