03 しっかりしてくれよ
どうすべきなのかはよく判らなかったが、これが目印だというようなことを言っていたからこれがあればいいのだろう。
それは実にいい加減な判断であったが、的を射てもいた。
竜の形をした飾りを握り締めてティルド・ムールが神官セイを呼ぶと、少ししてから神官は姿を見せたのだ。
「セイ、ローデン様に連絡だ。いますぐ!」
神官が魔術師のように「好きに呼び出せると思われては困る」と思ったとしても、彼が何かを言う前にティルドが叫んでいた。
「いま、ですか」
気弱な神官は繰り返して目をぱちぱちとさせる。
「できないとか言い出さないだろうな」
「そんなことは」
セイは憤慨したようだった。
「仕事ですから、脅されなくても試みはいたします。成功するかどうかはまた別の話ですが」
悪びれない様子にティルドは思わず口を開けたが、罵倒は何とか飲み込んだ。
「駄目なら協会に飛び込むさ、緊急なんだからさっさとやってくれっ」
「は、はい」
セイは「緊急」について問い返すことはせず――そんなことをすれば少年の怒りを買うとでも思ったか――慌てて返事をし、それから言葉を濁した。
「あの、努力はいたしますがうまくいくかどうかは別の話ですよ」
繰り返されてティルドは今度こそ怒鳴りつけてやろうかと思ったが、セイがすっと瞳を閉じて何やら唱えだしたのを見ると言葉をとめ、じっとそれを見ながら待った。
耳飾り。
本物、なのか。
何をして「本物」と言えばよいのか判らないところもある。
だが、翡翠でできた腕輪を初めて手にしたときの感覚が、同じ風が、耳飾りに触れたときに訪れた。
気のせいなどではない。あれが気の迷いででもあったなら、ティルドは泥だらけの長靴だって食ってみせる。
本物、つまり風具なのか、ということになれば何とも判らないものの、少年を訪れた突風だけは事実だった。
〈風聞きの耳飾り〉。
少女の落としたあれは、それなのか。
そうとしか思えない。だが――判らない。
ティルドは苛々とセイの反応を待ち続け、それから数分は経過しただろうか。
セイの呪文はいつの間にかやんでおり、神官はティルドに見慣れぬ印を結んでいた指を解いた。
「あの」
「うまくいきませんでした、なんて言うんじゃないだろうな」
「い」
セイは怯えるような目をしたが、だが続けた。
「いかないものは仕方ないじゃありませんか!」
「てめえっ!」
居直るかのような様子についにティルドも語調を荒くした。
「違いますよ、そうじゃない! 暴力はやめて僕の話を聞いてくださいっ」
かっとなった少年の声に神官の悲鳴めいた声がかぶる。
「そうじゃないって、何だよ」
ティルドは仕方なさそうに問うた。
「あなたが思うように、僕の能力が足りなくてできないというんじゃないんです。この場に、何か術を混乱させるものが働いている」
「何だって? 何のことだ」
「判れば、それを説明します」
「この野郎」
ティルドは年上の神官を生意気だとばかりに睨みつけたが、はたと気づいたことがあった。
「もしかして、これか?」
言いながら彼は隠しに手を入れた。
「魔除けの品だとか、聞いたけど」
少年が取り出すのは、アーレイドの魔術師エイルが友人であるユファスに渡した首飾りであった。
「見せてください」
ティルドはその言葉に応じ、セイは四角い赤い石がはめ込まれたその装飾品をしげしげと眺める。
「……立派なものですね。おそらく、魔法の流れを歪ませるように作られてるのだと思います。これの存在に気づかなければ、術師の魔法は働きにくい」
「じゃあ、あると気づけばちゃんと魔法が使えるのか」
「歪みを読み取ることができれば、結わえられた紐を解くように、縛りを解くことができます。私には少し難しいですが」
「それってやっぱ、能力が足りないってことじゃねえの」
ティルドは半ば指摘、半ば茶化すようにして言った。セイはむっとするかと思いきや、がっくりと視線を落とす。
「私はまだまだ、修行が足りません」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
思わずティルドはそれを引き揚げにかかった。
「お前はローデン様に認められたんだろ? そうじゃなくても、師匠だっけ? そういう相手には認められてるんだろ?」
「ええ」
セイは少し嬉しそうな顔をしたが、しかしそのあとですぐにしゅんとなった。
「けれど、私は買い被られているのではないかと」
「おいおいおい」
ティルドは天を仰いだ。
「頼むよ、アロダがいなきゃ、あんたが頼りだ。正直、魔術師はあんまり頼りにしたくないし、あんたがやってくれる方が俺はすっきりする。でも、またメギルの奴に出くわしたとき、『うまくいかないものは仕方ない』なんて言われちゃ困るんだ。頼むから自信喪失なんかしないでくれ」
「そう……です、ね」
セイは小さくうなずいた。
「私には私の、任務があるのです。それを疎かにしてはなりません」
「そうそう」
ティルドは大いにうなずいてやった。
「それじゃ、もう一度やってもらえっか?」
最初の口調よりはだいぶ下手になって、ティルドは言った。泣かせたら面倒だと思ったことを思い出したのである。さすがに子供のように泣き出すはずもないのだが。
「いえ、それが」
「何だよ」
おとなしく了承するかと思いきや、セイは首を振った。すぐに少年はむっとする。
「この首飾りは確かに力の在り様を歪めていますが、それでもこれは所有者であるあなたを守るものです。術を妨げられたと私が考えたものとは違う」
「ほかにも何かあるってのか? 俺はもう、おかしなもんは持ってないぜ」
言いながら少年の脳裏には耳飾りのことも蘇ったが、翡翠でできた魔除けの腕輪はともかくとして、風具は魔法の品ではないというのがローデンの言である。神官の術を妨げるようなものとは思えなかった。
「ティルド殿の持ち物とは、特に関係がないでしょう」
セイは赤い石の首飾りを持ったままだったことにふと気づいたか、それを返しながら言った。
「この街自体に何かが働いているのかもしれない」
「はあ?」
意味が判らないとティルドは顔をしかめた。
「フラスの街に魔法がかけられてるなんて話、聞いたことないけど」
たとえば戦の場に置いて、城や砦全体に大きな護りの術がかけられたりするようなことがあるというのは、軍で教わったことがあった。街全体となればそれより規模が大きいし、そんな話があれば噂くらい聞きそうなものだと思ったのだ。
「そうではありません。術を禁じる術などが街中にかけられてでもいれば、神殿も魔術師協会も困ります」
「んじゃ、何だよ」
「それが判ればそう言いますと言っているでしょう」
その返答にティルドは詰まり、こいつ、アロダと似ているな、と思った。だがセイがアロダに似ているというよりは、ティルドの反応が他者から似た言葉を引き出しやすいだけかもしれない。
「ただ、私に申し上げられるのは、ここを離れた方がいいかもしれない、ということです」
「――何で」
ティルドは目をしばたたいた。
「風がどうのってのは……どうしたんだよ」
少しばかり躊躇ってから、ティルドは尋ねた。
「お前は、耳飾りがここにあるって言ったのに、それを追わずに出て行けと?」
「もしかしたらティルド殿、何か掴まれたのではありませんか」
その問いに少年は驚いた。それをほのめかすようなことは何も口にしていなかったと思うのに、セイはそれを指摘してきたからだ。ティルドが〈風聞きの耳飾り〉について何かを知った、と。
「まあ、文字通り、掴んだって言うのかもな」
ティルドは唇を歪めると、それを取り出した。




