12 あいつの、手先か
冬の空気は凛として冷たい。
ティルドは、吐く息が白いなどという現象は気に入らなかったが、彼がそれにしかめ面をするたびにリエスが笑うのでだんだんその陽気さが伝染ってきた。
冷たい空気も悪くない。
――誰かが隣にいれば?
リエスといればアーリのことを思い出させられる。
そう思っていたのに、だんだん、おかしな気持ちが浮かんできた。
リエスがアーリに似ていると思っていたのに、アーリがリエスに似ていると――そんなふうに。
逆だ、と彼は思った。
もういないとは言え、彼の恋人はアーリで、リエスはそうではない。
おそらくは彼以外の誰もが、生きているものを優先するように言うだろうが、ティルドは決してそうしたくなかった。
「ところで、美女って何だ?」
ティルドは兄が宿の人間にしたのと同じ質問を少女にした。
「やだ。こんな美女が隣にいるのに、もっとほかの美女が見たいの?」
「……それで?」
リエスの言葉を無視すると、少女はぷうっと頬をふくらませた。
「恋人探しの遊戯ってとこね」
文句を言うのは我慢したか、リエスはそんな言い方をして、その「遊び」の説明をした。
「お前は、やんないの」
「やらないわよ。あんなの、見せ物じゃない」
リエスは少し、顔をしかめた。
「このあとあたしはこの人と一晩ヤってきます、なんてみんなに宣言するの、品がいいとはとても思えないけど」
直接的な物言いにティルドは曖昧な笑みを見せた。
「まともな感性持ってたら、やらないわ」
意外に手厳しい意見に、ティルドはつい、アーリだったらどう言っただろう、と考えた。同じように馬鹿にするだろうか。それとも、面白そうね、なんてにやりとするだろうか。
彼はそんな考えを切り捨てた。そんなふうに比べるようにするのは、アーリにもリエスにも悪い。彼は改めて、リエスを見やった。
すっすっと歩く少女の真横にいると、耳飾りの姿は見えない。
アーリと判りやすく違うのは、リエスがいつも髪を下ろしていることだ。
そうなると、何かを耳に付けていてもそれはちらりとしか見えず、まさか「恋人でもない」少女の髪にいきなり手をかけて耳元を覗くというような行為もできないから、少年はその白い玉の正体を掴めないままだ。
もちろん、そこに白詰草の意匠などついているはずはないのだが。
「何?」
「え?」
「だから、ほら。また見てたでしょ」
「何を」
「やだ。気づいてないと思ってる? それとも、無意識? 女の耳の形が気になる訳?」
「なっ、何だよそれ」
「胸とかお尻とか見られるよりはやらしくなくていいけど、ちょっと変な趣味なんじゃない?」
「おいっ」
ティルドは思わず足をとめた。
「阿呆っ、誰が変な趣味だ。俺はただ」
耳飾りが見たくて――などと言うのも「変な趣味」扱いされそうである。ティルドは今度は言葉をとめた。
「何よ」
リエスは当然、続きを促す。ティルドは唸った。
「その、どんな耳飾りしてんのかなと思って」
「やだ」
案の定、リエスは顔をしかめた。
「気づいてたんだ。女の子の小物なんて気にしないのかと思ってた」
だが続いた言葉は意外にも「それだって変な趣味」ではなく、賞賛めいた響きのある台詞だった。
「見る?」
そう言うとリエスは髪をかき上げた。
「可愛いでしょ。お気に入りなんだ、これ」
どきりと――した。
少年は宝石などに詳しくはなかったが、少し下がって揺れている白く丸い玉はおそらく真珠なのだろう。そして、その上部に飾られた銀細工は真珠と同じ色に塗られており――。
「花、か?」
彼は自身の声が掠れるのを感じた。
「花? 何が?……ああ」
リエスは言いながら左耳の飾りを外すと、それを手に取って確認するようにした。
「ああ、これ。可愛いでしょ、白詰草よね」
呼吸がとまるかと思った。
白詰草。
真珠に、白詰草の意匠がついた、耳飾り。
風聞きの――。
「お前」
ティルドは、リエスの両肩を掴んだ。
「何もんだ!」
「なっ、何よっ?」
少女は目を見開いた。
「あいつの、手先か。メギルの。お前も――魔女なのか!」
「なっなっ何を言い出すのよっ?」
リエスは怒りと驚きに叫び返しながらティルドの両手から逃れた。
「何言ってんの? あんたやっぱ、どっかおかしいんだわ。あたしの最初の感覚は合ってたのよ、やだ、もう、変なのと時間を過ごしちゃった」
少女は気味の悪いものを見る目つきでティルドを見ると、逃げるようにあとずさった。ティルドはその手首を捕まえようとしたが、気づいたリエスはぱっと手を引き、そのまま素早く踵を返すと人混みのなかに逃げ去った。
「リエス!」
少年はぱっとそれを追いかけようとした。だが、次の瞬間、その足をとめていた。まるで誰かに強く引きとめられたかのように。
いや――何かに。
ティルドは足下の小さなそれに気づいて、その場にかがみこむ。
少女が落としたことに気づいてた訳ではない、ただ、何かがあると「感じた」。その曖昧な感覚は、彼の嫌う魔術師のものであるかのようだった。
(〈風聞きの耳飾り〉)
まさか、と思う。
ほとんど反射的にリエスを怒鳴りつけるようにしてしまったが、まさか、とは思うのだ。そんなことがあるはずが、ない。
アーリは、白詰草の意匠は珍しいのだと言ったが、世界にただひとつというようなこともないだろう。
アーリとリエスはこれだけ似ているのだ、好みも同じで、リエスはたまたま白詰草のついた耳飾りを手に入れただけかも、しれないではないか。
(いや、違う)
そう考えた少年は、しかしすぐに否定をした。
(アーリがあれを欲しがったのは、アーリの本名がアイリエルだからだ。リエスなら、白詰草より蓮華の何かを欲しがるんじゃないか?)
(――なら、それは〈風読みの冠〉)
(まさか! 関係あるもんか)
馬鹿げた連想だ、と思った。
真珠の耳飾りに白詰草、もしかしたらアーリが知らなかっただけで、そんなに珍しいものでもないのかもしれない。世の中に飾りものなどごまんとあるのだ、たまたま知っている――気になる組み合わせだからと言ってリエスを魔女扱いしたのは悪かったのではないだろうか? 彼はそんなふうに思いはじめた。早計だったのではないかと。
たまたま、似たものだっただけだ。
いや、彼は〈風聞きの耳飾り〉を見たことはなく、真珠と白詰草がついていると聞いただけだ。もしかしたら、素材や飾りが同じであっても、似ても似つかぬ耳飾りなのかもしれない。
(……謝らなくちゃなんねえかな)
ティルドは考えた。魔女かなどと叫ぶ前に、どこで手に入れたのかとか、ほかにもこういった意匠のものを知らないかとか、そう言ったことを尋ねるべきであったと思ったのだ。
(謝って。それから、全部、事情を話すかな)
(判ってくれるかは、判らねえけど)
彼女が落とした耳飾りを届ける、という名目があればあの館を訪れても門前払いされることはないだろう。
そんなふうに打算的に考えたというよりも、ただ単に落とし物を拾おうとした、それは自然な動作に過ぎなかったかもしれない。
小さな、白い玉。
そして、飾られた白詰草。
アーリ。リエス。
関係があるのだろうか。いや、あるはずがない。
混乱する思考に戸惑いながら少年は小さな落とし物を拾い上げた。
その瞬間。
風が――吹いた。
そう、あの日、あのとき。
アーリが、その迫りくる死を知らずに、翡翠の腕輪を太陽にかざして笑った日。
そして少女が、その腕輪は「本物」に違いないとはしゃいだ、その理由。
あのときと同じ突風が、同じようにティルド・ムールを襲ったのだ。
彼は、やはり同じようにきつく瞳を閉じ、それから目を開けて、周辺の街びとたちが強風に驚いた様子がないことを知る。
(やだ)
(それって――本物なんじゃないの?)
ティルドは目をしばたたいた。まるで現実の、鋭い冬の風に吹き付けられ、目にごみでも入ったかというように顔をこする。
「リエス!」
ティルドは鋭く叫んで少女を追った。
「待て、待ってくれ、話を――」
祭りを楽しむ人々はそんな少年を目にしたが、若い恋人たちがささいな言葉の行き違いで喧嘩をしたものと解釈すると、それ以上気にすることはなかった。なかにははやし立てるようにするものもいたが、ティルドはそんなことにかまっていられない。
人混みをかき分けて、彼は少女を追った。
アーリと同じ顔をした、娘を。
だがリエスは、まるでいまは亡き少女盗賊であるかのように、人混みをするりと駆け抜けて、彼の前から姿を消してしまった。




