09 風読みだけは逆
美しい女が悩殺的な衣装で目前に立っても、業火の司祭は眉ひとつ動かさなかった。
「メギルか」
魔女の方でも胸元や脚で主を誘惑しようとは思っておらず、ただ彼女は、好いた男の前に出るときは美しくありたいだけであった。
「風食みは、どうだ」
「うまく運んでおりますわ」
魔女はそう答えた。
「彼らは私が風食みを求め、奪おうとしていると考えるておりますから。あれだけ見事な魔除けを持っていても、使い方を知らねば威力は半減します」
メギルは哀れむような笑みを見せた。
「風食みは火の力を受け付けませんが、ほかの魔術には取り立てて耐性を持たない。あの翡翠の首飾りはかなり特殊なものでどのような魔力をも歪めますが、持っていると判れば対処のしようはあります。あれを使いこなせる魔術師が持てばともかく、彼らでは」
メギルは首を振った。
「何とも、他愛のないことですわ」
「その男は既に継承者の資格を持っているのだな」
「ええ、間違いありません。こうも早くにそうなった理由は判りませんが、結びついております」
「早いに越したことはない」
リグリスはそう答えた。
「逃すな。しっかりと鎖を絡めておけ。お前ならば、容易かろう」
「そうあるとよいと思っておりますわ」
魔女は艶のある視線を送った。やはりリグリスはにこりともしないが、決して侮蔑の視線を返してくることはない。司祭は魔女の魅了術に惑わされはしなくとも、彼女を女として抱く。メギルは、それで満足――いや、その方が満足だった。魔術でふらふらと思い通りになる男に、どんな魅力があるというのか?
「風聞きも、順調ですわね」
「まだ資格は得ておらぬようだが、そう時間はかからぬだろう」
「あとは風見と、風謡い」
「〈白きアディ〉」
リグリスは不機嫌そうに目を細くした。
「エディスンの過去に関わる魔女。よりによって、あの王子を守ろうなどと。厄介だな」
「風見を持っているのは、彼女なのですか」
「おそらく」
リグリスはうなずいた。
「遠い過去に持って逃げたままだという話だ」
「エディスンから指輪を奪っておきながら、それを返すでもなく王子を守るなど。何だか滑稽ですわね」
メギルはくすりと笑った。
「それとも、何か制約を持っているのでしょうか」
「制約」
リグリスは繰り返した。
「そうかもしれぬ。そのようなことを言っていた」
メギルは片眉を上げた。誰が言っていたのか、と思ったのだが、彼女はそれを問わなかった。主の顔に苛ついたものが浮かぶのが判ったからである。そこを問いつめるのは愚だ。
「そこを突けば、あの魔女にも隙ができるのでは」
彼女は代わりにそう言った。
「お前に、できるか」
「ご命令とあらば」
メギルは笑みを浮かべて言った。リグリスに頼られるのは喜ばしい。
「……いや」
だがリグリスは少し考えてから、そう言った。
「お前は引き続き、風食みを追うのだ。風見の継承者は、かの王子。いま奪い取ったところで何にもならぬ。アドレアを殺し、王子を殺したところで、継承者はエディスンの血脈を流れるだけ。王家の血を引く者全てを殺すのは、いささか面倒だからな」
「そうですわね」
魔女は同意した。
「では、風謡いはどういたします」
「例の商人だ」
司祭は唇を歪めた。
「まさかレギスの偽物屋がそのような話を掴んでくるとは。縁とは意外なものだ、いや」
「オブローンのお導き、でしょうか?」
メギルは先取るように言った。リグリスはうなずく。
「その通りだ。オブローンは我らを見守ってくださる」
「わたくしも、ですか?」
メギルはふと思いついたように問うた。
「私は神官ではありませんけれど」
「お前は、火の魔女だ。素晴らしき火の術を持つ。それだけで、資格は充分だ」
「そう伺うと安心します」
魔女は美しく笑んだ。その笑みだけを見れば、この美しい女性が罪なき町びとたちに怖ろしい火を放ったなど、誰も信じまい。
「もうひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「何だ」
「――風読みは」
その問いにリグリスは片目を細めた。
「風読みが、どうした」
「それほど風読みは力を持つのですか? つまり、継承者に触れさせられぬほど」
「あれだけは、逆だ」
司祭は答えた。
「ほかの道具は、血脈を同一とするか、それが途絶えれば、関わりを持ち、手にし続けたものがやがて継承者となる。そして少しずつその力と結びつき、風司となる。だが、風読みだけは逆だ」
「逆」
メギルは繰り返した。リグリスはうなずく。
「そうだ。あれには血脈は関係なく、手にする必要もない。風神が気紛れか何かで定めた継承者は、先に力を得る。その運命は道具と先に結びつき、風読みを手にすることで風司となる」
「不思議なものですね。何故、ひとつだけが異なるのでしょう」
「風読みだけはあとで生まれたものだからな。精霊師どもが作り方を誤ったか、それとも意図的か、ただの気紛れか」
「精霊師。あの道具はケルエトが作ったもの、と?」
「そうだ。遙か昔、精霊師と魔術師が混同されていなかった頃のこと。いまでは誰もそのような時代を知らぬ」
リグリスは皮肉めいた口調で続けた。
「人間であれば、な」
「記録が残るか残らぬかの、昔」
メギルは遠いところを見るようにして言った。
「何故、そのような時代の話をお知りになったのです?」
この問いは失敗だった、とメギルは知る。リグリスの瞳は、先ほどと同じように機嫌が悪くなったからだ。
「申し訳ありません、出過ぎました」
メギルは手指を謝罪の仕草に滑らせた。
「よい」
リグリスは謝罪を受ける。
「風食みと風聞きの見張りに戻れ」
「仰せのままに」
どうやら魔女を愛人とする男は、いまは彼女を抱く気がないようだ。そう見て取ったメギルは、深く切り込みの入ったドレスを翻し、部屋をあとにした。




