08 ならば、エディスンだ
「畏れながら、殿下。私といたしましては、商人の行方について新たな話をお待ちになるよりも、殿下はやはりエディスンへ帰られるべきかと」
「風神祭か?」
「そうです」
ギーセスはうなずいた。
「殿下の周りに風は集まる。首飾りに関わる新たな話など私のもとに長いことやってくることはありませんでした。それが、殿下がいらした途端にこれです」
男爵はこの話をまとめたらしい資料のようなものを指し示しながら言った。
「私は、このことは殿下が風の道に――風司の道にいらっしゃる事実を示すように思えます」
「ならば、イルセンデルに出ろ、と」
「風司、風具、風の儀式は切り離せぬものと考えております」
「ふむ」
ヴェルフレストは背もたれに寄りかかるようにした。
「首飾りの話を追いたいところではあるが」
彼の内にはアドレアの言葉がある。
魔女は指輪の在処を知っているようなことを言っていたから、つまりは彼に探させたいのは首飾りだ。少なくとも彼はそう思った。
ヴェルフレストは先日、アドレアに「エディスンへ戻る」と言ったが、それは何の話も掴めていなかったからで、こうして何かが見えてきたいまでは迷うところだ。
しかし、何かを掴んだとも言えぬ、曖昧な話であることもまた、事実だった。
「雲を掴むような話とあっては、どこにも行きようがなさそうだな」
カリ=スがいれば、意地になって砂漠に乗り込むなどと言い出さなかった王子に安堵の息を洩らしたかもしれない。
「何か判りましたらば必ずエディスンにご連絡をいたします。ゼレットも協力したいなどと言ってまいりましたから、やはり何かを聞けば必ず」
ギーセスはヴェルフレストを説得するかのように言った。彼は長く息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「それが我が道ならば、〈風神祭〉のためにエディスンへ戻ろう」
言ってからヴェルフレストは、アドレアはどう思うだろうか、と考えた。
それから、ラタンはずっと姿を見せぬが話を聞いているのだろうか、とも。
アロダは何も言わぬだろうと思った。魔術師は、新たに判った話があればローデンに報告をすると言ってほぼ毎日顔を見せていたが、決めるのはヴェルフレストだ、という姿勢は一貫している。
その姿勢はカリ=スも同様だった。砂漠に行くとい言うでない限り、護衛の男は彼に反対するまい。
エディスンへ帰る、と部屋に戻った王子は言ったが、カリ=スはそこに迷いがあることに気づいた。
「本当は、その商人の話を追いたいのか」
簡単な指摘は的を射て、ヴェルフレストの唇を歪めさせる。
「お前に隠しごとをするのは難しいようだな」
彼はそんな言い方でカリ=スの言を認めた。
その次の瞬間に護衛の男が警戒を見せたのは魔術の兆候を見て取ったからだが、ふうわりとした煙が形取ったのは痩身の神官ではなく、太めの魔術師の姿であった。
「私の意見を言わせていただけば、男爵に賛成ですよ」
「聞いていた、と言う訳だな」
「もちろんです」
アロダはうなずいた。
「私は、殿下が隠しごとをされても見抜ける自信はありませんから。役に立たないとローデン殿に首を切られることを怖れはしませんが、あの方に冷たい目で見られるのはちょっと嫌ですね」
その言い様にヴェルフレストは笑った。可笑しかったのは言った中身もだが、言うほどアロダがそれを嫌がっているとも思えなかったためもある。
「お前は、俺が何をするべきだと言うのだ、術師? 風具を求めることがお前の雇い主である父とローデンの望みではないのか」
「求めることと待ち続けることは似て非なることですよ」
アロダは鼻を鳴らした。
「お忘れなきよう。殿下はエディスンの第三王子でいらっしゃる。風司の道とやらもけっこうですが、魔女に惑わされて祭りの儀を疎かにしたなどと後ろ指を差されてもよいので?」
「俺は一向にかまわぬが」
ヴェルフレストはあっさりと言った。だがアロダはめげずに続ける。
「王子を誘惑する魔女だという評判は、〈白きアディ〉の気に入りますかね?」
何とも珍しいことに、ヴェルフレストは言葉に詰まった。
カリ=スは言葉を挟まなかったが、アロダが言外に含んだことには気づいた。魔術師は、言い換えれば「アドレアに嫌われてもいいのか」と言ったのであり、ヴェルフレストはこれには「一向にかまわぬ」と言えなかったのである。
「何か判ればエディスンにすぐに連絡をするという話でしょう。協会を通すのならば、エディスンでなくて、私にもらってもいい。そうすれば殿下にすぐにお知らせできますし、たとえばやっぱりタジャスの町に商人が現れたなんて話になったら、ローデン術師に怒鳴られることになっても魔術で送り返して差し上げますよ」
「そのようなことができるのか?」
王子は驚いて言った。魔術師たちがこうして消えたり現れたりすることは以前から知っていたが、他者に対してもできるとは考えたことがない。
「できますよ。ただ慣れない者は目を回しますし、相性が悪ければ重大なことにもなり得るのでお勧めはできません。だいたい、魔術による移動は楽ですが、そこにただの移動以上の意味はありませんから、頭のある魔術師ならば足で行けるところは歩いて向かうもんです」
乱用はしないものだ、と魔術師は言った。
「但し、それならばイルセンデルの直前までここにいる、というのもなしです。長距離の移動は未経験者には危険ですし、まして殿下の場合は、意味のない移動をしても風具を感じ取ることがおできにならない。これは、よろしくない」
苦情を先取られてヴェルフレストは唇を歪めたが、それはやはり不興よりも興深さを示していた。
「第一、殿下はくるかも判らぬ商人を待って、いつまでもじっとしているのはお気に召さないんじゃないですか」
「動けばどこかで話を聞く可能性もある、ヴェル」
カリ=スが付け加えた。
「風はお前の周りに集まるのだろう」
「魔術的な言い方だな」
ヴェルフレストは笑った。
「前言を撤回するつもりはない。エディスンへの帰途にはつく。ただ、本当に『風が集まる』ことがあれば、向かう方向を換えるもやぶさかではない」
「そんなところでけっこうじゃないですか」
アロダは気軽に言い、カリ=スはうなずいた。
「少なくとも積極的な反対意見はどこからも出ぬようだな。ならば、エディスンだ」
ヴェルフレストはそう言うと、故郷のある方向に視線を向けた。
もちろん、アロダもカリ=スも反対はしていないし、むしろアロダは男爵の意見に、カリ=スは砂漠へ向かわないという一点に賛成のようである。
と言っても、仮に反対をされたところで、決めるのはヴェルフレストだ。
いや、風司の道がこちらに導いているのだと彼が考えたのなら、反対はするまい。
自分がそんなふうに考えるのは、カリ=スやアロダ、ローデンに対してでもなく、アドレアに対してであるように、ヴェルフレストは思うのだった。




