05 ロマンだわ
幸か不幸か彼は決して自惚れが強くはなかったから、アーリが彼を「誘う」目的で声をかけたのだとは思わなかった。
だが〈青い竜〉亭に少年を案内した奇妙な少女は、まるでポージル家や火事の話などしなかったかのように世間話を続けた。その中身はと言えば、今年の天気がどうの、昨日見かけた猫がどうのという、一刻もすればどんな話をしていたかも忘れてしまいそうな意味のないことばかりである。ライファム酒が二杯目の半ばを越えようと言う頃、さすがにティルドは苛ついてきた。
「おい、アーリ」
「何よ、怖い顔して。せっかく可愛い顔してるんだからほら、笑って笑って」
少女は一杯のライファムで酔ったかのように陽気に言うと陽気に笑った。
「くだらない話もいい加減にしろよ。さっさと本題に入れ」
「本題ってぇ?」
アーリは語尾を伸ばして尋ね返す。ティルドは顔をしかめた。
「とぼけるなよな。お前が俺に声をかけたのはポージル」
「せっかちねえ、少し待ちなさいよ」
「待ってたんだよ、いままでずっとな!」
ティルドは叫ぶようにする。
「そっちは楽しいのかもしれないけどな、俺は好きでこんな」
「ちょっと、誰が楽しんでるってのよ」
アーリはじろりとティルドを睨む。
「いくら打ちのめされてないったって、あたしはふた親を亡くしたばかりの可哀想な娘なのよ? 酒の一杯や二杯、黙っておとなしくつき合いなさいよね」
「だからそうしてたろうがっ」
親の突然の死がいかにきついかはティルド自身が身にしみて知っていたが、見たところでは何も落ち込んでいない、しかも初対面の彼女を相手に何か慰めを口にしろと言われたところで難しい。それどころか実際、黙って一緒に飲んでいてやったのだ。
「そうね、ありがと」
あっさり礼など言われたティルドは追及の勢いを削がれる。
「ご推察の通り、ティルド。話はあるわ。でもちょっとだけ待ってほしいの」
「……ふん」
少年は二杯目のライファムを飲み干すとアーリを見ながら給仕を呼んだ。
「『待つ』間の飲み代はそっち持ちだぞ」
「いいわ」
アーリはまたにっと笑い、ティルドは、何だか知らないがこの娘の思い通りなのではないかと少し悔しく思い――何だか判らないことを悔しがっても仕方がないかと思い直した。
軽い酒とは言え、四杯五杯と続けばティルドの方もいい気分になってくる。冗談にも楽しめる状況ではないはずだったが、どうにかなるさと持ち前の楽天的な思いが、これからどうすればいいのかという不透明すぎる明日への不安を押しのけだした。
「へえっ、ほんと!? やるじゃない、ティルド。王子様を蹴飛ばしてお姫様と恋仲なんてさあ」
「まー身分違いってやつ? 夢は見てないけどな」
そう言いながらも少年はにやりとした。
エディスンでは、あまりこの話を大っぴらにする訳にはいかない。王子殿下の不興を買うこともあるが、リーケルの迷惑になってはいけないし、からかわれるのもあまり好きではない。自然、ティルドの口は固くなった。
だが、若者としてはちょっとした惚気やら自慢話やら、やりたくない訳ではないのだ。
「身分違いの恋。すてき、ロマンだわ。お姫様は美人?」
「あったり前だろ」
別に自分の手柄でも何でもないことに、ティルドは威張った。
「美人な姫君の恋人を王子殿下に盗られる瀬戸際か。そりゃ燃えるわね、ティルド」
「正直言えば、そこまでの間柄じゃないけどな」
ついつい調子に乗って恋仲であるような言い方をしてしまったが、恋人として語られると少し気が咎めた。ヴェルフレストを悪者にするのは一向にかまわなかったが。
「それに言ったろ。身分が違う。俺も彼女もそれは知ってるし、第一」
「ティルド!」
不意に少女は、少年の手を握った。
「なっ、何だよ!?」
「可哀想! あたし、応援するから! 何でも言って!?」
「……そりゃどうも」
アーリがどんなロマンを想像したのか知らないが――判るような気はしたが――いったい何を手伝ってくれようと言うのか。数杯のライファムで少女が酔ったのか、それともこれが生来の性格なのかは、出会って数刻のティルドには判定の仕様がなかった。
「それならいっそ、冠の偽造でも手伝ってもらいたいね」
「そして犯罪者の仲間入りか、少年? やめておけよ」
「誰だ」
笑いを含んだ声に、ティルドは素早く視線を向けた。
当人は素早かったつもりだったが、実際には酒の混じった頭は自分で思っているほどには俊敏な反応をしておらず、それもまた相手の笑いを誘っていた。そこまでは少年も気づかなかったが。
「遅いよ、ジェレンっ」
アーリは不満そうに声を伸ばす。呼ばれた男は髭面を歪めた。
「阿呆。誰が首領だ、言うにこと欠いて。俺様のどこをどうしたら盗賊やならず者に見えるって?」
そう見ない方が難しいのではないか、との十人中十人が抱きそうな感想は、しかしティルドはとりあえず心の内にしまっておく。
アーリと彼の間に立ったのは、三十半ばほどの薄汚れた男だった。金に近い明るめの髪はずっと洗髪などしていないようにぼさぼさで、何日も櫛を入れたこともないかのようだ。なのに顎髭だけは整えているように見えるのが何とも不自然だった。身につける衣服も清潔とは言い難く、エディスン城のなかではもっと身なりに気を使えと言われる方であったティルドですら、この男に対しては同じ忠告をしたくなった。
「お待たせ、ティルド。あとは何でも好きなことをこの親父に訊いていいわよ」
「誰が親父だ。俺はまだ三十四だぞ」
男は何とも不満そうに言いながら椅子を引く。
「十二分に親父だわ。あたしの倍じゃない。ねえ、ティルド?」
「そうか、いいだろう。ようし、お前が三十四は親父だと言ったとガルにも伝えておこう」
「あっ、嘘よっ、やあねえハレサったらいい男っ。ねえ、ティルド?」
そんなことに同意を求められても困ると言うものである。少年は沈黙を守った。




