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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第4話 交錯 第4章

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05 風の気配

 (ヴィリア・ルー)が薄雲の向こうで半円を描いていた。

 ぼんやりとしているのに、その縁ははっきりとしている。まるで幼児が描いた絵のように、それは何もない空のなかにひとつだけ在った。

 まるで偽物のようだ。

 その月が幻やあやかしであると思っている訳ではないのに、ティルドの内に浮かぶのは、不思議とそんな気持ちだった。

 日暮れ前に街をふらふらと歩いて、待ち合わせ場所についた。兄よりも先についているのは珍しいことだった。

 と言っても、約束よりもかなり早めの時間であることは判っていたから、兄がいないことには不審を覚えない。

 彼はただ、ぐるぐると回る考えをまとめるのに、歩き回るよりもじっと席についていることを選んだのだ。

 だが考えはまとまるどころか散漫なまま、いやむしろますます散らばる勢いである。

(アーリ)

(リエス)

(白詰草に、蓮華)

(似ている)

(花)

(冠。それに、耳飾り)

 アーリの求めた飾りものにして冠ととともに取り戻すべき風具について失念していたという訳ではなかったが――いや、忘れていただろうか。ティルドの頭にはメギルを追うことしかなかった。

 だが少女リエスの耳を飾っていた白い玉の飾りは、特に派手なものでもなかったと言うのに、酷く彼の目を奪った。

(耳飾り)

(それを追えってのか?)

 彼はそんなふうに思った。「追え」と言うのは誰であるのか――ローデンか、星巡りとやらか、はたまたアーリなのか――については考えることをせぬまま、ティルドは意味も判らずに胸をどきりとさせた。

(俺は、それを追うべきなのか?)

 〈風読みの冠〉を受け取りに言われたときも、それを取り戻せと言われたときも、理不尽な命令だと思った。

 少女の仇を追うことが冠を追うことと同一になったときは、その命令を取り消されることを怖れた。

 いまは――?

 手元の酒は進まなかった。空腹でいるはずなのに、運ばれてきた料理にもほとんど手をつけられず、ティルドはただぼんやりと考え続けていた。

「ああ、あなた」

 突然に声をかけられたのが自分であると気づくまで、少年は何(トーア)かかかった。

「では、あなたがティルド殿(セル・ティルド)だったのですか。知りませんでした」

 見れば、卓の斜め前に気の弱そうな顔をした男が立っている。何となく見覚えがあるようで、ティルドは思いだそうと首をひねったが思い出せなかった。

「誰」

 その結果として、彼は当然の疑問を口にする。男は礼をした。

「エディスンの神殿(クラキル)から、あなたにつくように命じられています。セイ、と申します」

「神殿? んじゃ、アロダと一緒にいる神官ってことか」

「ええ。いた、と申し上げるべきですが」

 その返答に彼は目をしばたたいた。

「何。あいつ、クビになったの。それともあんたが」

「いえ、その」

 茶色い巻き毛の神官(アスファ)は困ったように言う。

「アロダ術師は、ほかの任務に出かけられました。しばしの間、私があなたの安全に責任を持つことになります」

「ほかの任務だあ?」

 ティルドは顔をしかめた。

「守るとか見張るとか偉そうなこと言ったくせに。やっぱり魔術師(リート)なんて信用ならねえな」

 セイはまた困ったように笑んだ。仮に同意をしたい気持ちがあるのだとしても、それを口にする訳にはいかぬと言うところだろうか。

「ところで、俺、どっかであんたに会った?」

 ふとティルドは尋ねた。先のセイの言い様に、向こうはティルドを覚えているような響きを感じ取ったことを思い出したのだ。神官は曖昧な表情を浮かべる。

「あのときは、すぐに戻ることができなくて申し訳ありませんでした。お嬢さんはご無事でしたか?」

 やはり困ったようなその笑顔に、ティルドははっきりと思い出し――はしなかったのだが、状況を思い出して予測をつけることができた。

「あんた、もしかしてリエスが倒れたのを介抱しようとして」

「ええ、彼女の名前は知りませんが、通りすがりで」

「俺に押しつけて、そのまま逃げた奴か!」

「逃げたなんて」

 それはセイの癖なのか、それともティルドが困らせることばかり言うからか、またもセイの顔は困ったようなものになる。

「あのときは、どうしても急な用事ができまして。すぐに終わらせて戻ったのですが、あなた方の姿はなく」

「当たり前だろ、いつまでも待ってられねえよ」

 ティルドはじろじろとセイを見た。

「何だよ、アロダと一緒にいたはずの奴が、何であんなとこをうろついてたんだ。おかしいじゃないか」

「そうですか。私たちだって食事をしなくてはなりませんし、休憩も必要です。けれど、最低限の休息で任務に当たっているのですよ。あれは、休んでいたときに偶々」

「偶々、ねえ」

 ティルドは唇を歪める。

「神官が、癒しの術も行えないと」

「それはムーン・ルーやラ・ザインの御業になります。修行を積めば別ですが、私はまだそのような業は」

「それにしても、護衛対象である俺のことも判らなかったって訳」

「われわれは、魔術師のように遠見の術は持ちませんから」

 セイは、自分に能力がないと言うことを連続して言わねばならなかったためか、恥ずかしそうに目を伏せた。

「ティルド殿というのがどういう方なのかは伺っていましたが、姿は存じませんでした。私は、主にアロダ術師の指示に従うだけで」

「へえ、そう。ふうん」

 ティルドは疑いの色を込めて言った。といっても、ヴェルフレストがラタンを疑った形とは違い、こんな頼りなさそうな神官で大丈夫なのか、というような疑いであったが。

「それで。何かあったのか」

「いえ、特には」

「まあ、ない方がいいけどな」

 ティルドは、ヴェルフレストとは反対の――真っ当な――ことを言った。

「メギルの居場所は、判らないのか」

 その名にセイは怯んだようだった。

「あの、魔女、ですか」

「そうだよ。知ってんだろ、それくらいさ」

 意地悪を言うつもりは全くないのだが、ずばずばと物を言うティルドとすぐに口ごもるセイとでは、どうにも一方的な調子になる。

「アロダが追い払ったんだって? でも俺はあいつを追うんだ。で、あいつも俺を追ってるはずで、なら近くにいるはずだろ」

「そうですか、そうなりますね。でも、気配はありません」

「神官でも魔女の気配なんか判るのか」

 居場所を尋ねておきながら、ティルドは意外そうに言った。

「てっきり、魔術師じゃなきゃ判りませんとでもくるかと思った」

「ええ、まあ、その、少しは」

「曖昧だな」

 「魔術師の言うことなど曖昧だ」というのはローデンやアロダとのやりとりで実感しているが、この神官の曖昧さはそれとは違う。判っていて言及を避けるのではなく、本当に何も判っていないのではないか、という不安が浮かぶのだ。

「大丈夫なのかよ、お前」

 意地悪を言うつもりは、本当に、ない。これは純粋に「それで任務を果たせるのか」という懸念なのだ。もし人選に問題があるのだったら、ムール兄弟どころか、セイ本人だって危ない。

「ご心配には及びません。私には神のご加護がありますから」

 その返答は初めて堂々としていて、ティルドは少しあっけにとられた。

「ただ、魔女の気配はないのですが、あの、それとは別に、何と申しますか」

 神官は口ごもった。ティルドは続きを待ったが、それが発せられないので仕方なく促す。

「何だよ」

「その、アロダ術師は何も言われませんでしたので、私の思い違いやもしれないのですが」

「いいから言えって」

 苛々しそうになるのをこらえてティルドは言った。彼よりもいくつも年上であるかのようなのに、このセイのはっきりしないことと言ったらない。

「あの」

「言ってみろって言ってるだろ」

 セイはまた迷い、少年は早くしろと語気を荒くするのをやはりこらえて待った。

 もっとも、どうせ大した言葉は出てくるまいとたかをくくっていたティルドは、続いた言葉に絶句することになる。

「――風の気配を覚えました。〈風聞きの耳飾り〉が近いように思います」


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