05 強がっちゃってさ
数日間ほど馬を休ませたらすぐに発つ。
絶対に弟がそう言うだろうと思っていたユファスは、意外な発言に目を丸くした。
「ゆっくり、しようだって?」
「悪いか?」
ティルドは唇をとがらせて言った。
「その、ちょっと、レギスから強行軍だったろ。ちょっと休んでもいいんじゃないかと思ってさ」
「僕はもちろん、かまわないけど」
「なら、決まりだ」
ティルドは指をぱちんと弾いた。
「ところで、ティルド。僕は昨夜の言い訳をもらってないけど」
ユファスが昨夜、偶然クラーナと出会ったという話はティルドを驚かせた。だが、まさか少年は彼が出会ったリーンがクラーナと同一人物だとは思わない。「ティルド」の名が共通しても別人だと思うのが普通だ。名前が違っていれば当然であろう。
何にしても興味深い話ではあったからして、前夜の語らいはその件で終わってしまっていたのである。
つまり、ティルドの大遅刻については、うやむやになっていた。
「う、それは」
兄の鋭い指摘に弟はたじろいだ。
「その、女の子を助けたんだ」
「女の子」
「道で倒れてて。医者に連れてった」
「そうか、立派なことをしたね。可愛かったのかい?」
「そんなんじゃねえよ!」
何気ない質問に、ティルドは思わず叫んでいた。
「僕は何も言ってないけど」
ユファスは笑った。可愛い女の子と出会ってその子と離れたくないとか、そこまでは行かずともまた会いたいとか思っているならば、上出来だと思ったのだ。
「そう、それならそれもいいんじゃないか」
「違うって言ってるだろっ」
ティルドは力を入れて否定したために顔を赤くしたが、それは照れているようにしか見えなかった。
「確かにそいつは、その、ちょっと気になるんだけど、そう言う意味で気になるんじゃないからな」
「はいはい、判ったよ」
ユファスは気軽に手を振った。いい傾向だ、と思った。アーリという少女を忘れることはできないだろうが、復讐という暗い方向から気持ちが少しでも離れるのならばよいことだと。
「どんな娘?」
「生意気」
ティルドは簡単に言った。
「人を変態呼ばわりしやがって」
ユファスは目をぱちくりとさせた。
「なかなか強烈な出会いだね。何でまた」
「いや、ちょっとした誤解が」
ティルドはごまかした。アーリによく似ていて、思わず腕を掴んで呼び止めたのだ――などと言えば、兄はまた気の毒そうな顔をするに決まっている。
「いいとこのお嬢さんらしくてさ、断ったんだけど、礼をするって言って聞かないんだ。本気だとしたら、宿にくるかも」
「そうか、きたら紹介しろよ」
「そんなんじゃ、ねえって!」
ティルドはまた叫ぶ。兄はまた笑った。
リエスという名の少女が、言った通りにやってきたのは、その翌日だった。
「ハイ、ティルド」
「ほんとに、きたのかよ」
「きたわよ。悪い?」
「悪かねえけどさ、別に」
少年はもごもごと言った。
「探しちゃった。どこが黄色い壁よ? こういうのは、白茶色って言うの」
「知るか」
ティルドは投げやりに答えた。
「ね、どっか行かない?」
「どっかって、どこ」
「こんなとこじゃなくて、もうちょっときれいなとこ。二街区くらい行ったとこに、いい軽食処があるの。そこでもいいわ」
ティルドは宿と兼営している食事処を見回した。彼にとっては充分きれいだと思うのだが、女の子にとっては違うらしい。
「まあ、いいよ、俺はどこでも」
そう返事をしてから、彼は首を傾げる。
「何か話でもあんのか?」
「何よ、文句あるの。お礼を渡すんなら渡してさっさと消えろって?」
「んなこと、言ってねえだろっ」
彼はむっとして言った。
「それに、礼なんか要らないって言ってるじゃないか」
「やーだ、強がっちゃってさ」
リエスはティルドの服を引っ張った。
「こーんな汚れた服ばっか着て。お金ないんじゃないの? 出どころが何であろうと、あれば助かるはずよ」
「失礼な奴だな! 別に汚れてなんかいないだろ、洗ったばっかだぜ」
「出どころが」云々という台詞は掏摸を働く少女盗賊を思い出させたが、彼はそれを無視してそう言った。
「洗えばいいってもんでもないでしょ、ほらここなんか穴が空いてるじゃないの。みっともない」
「悪かったな、これは動きやすいから気に入ってんだよ」
「動きすぎて穴だらけにしてどうすんのよ。旅してるくせに、繕い物くらいできないの? やってあげようか?」
「要らねえよ、馬鹿」
「馬鹿はないでしょっ」
ぽんぽんとした応酬に、店の人間がにやにやして彼らを見ていることに気づく。ティルドは何となく居心地が悪くなると、行くなら行こうぜ、などと言って店を出た。
「寒いな」
吹いた風にほとんど反射的に呟いて身を縮めると、リエスは笑った。
「今日なんか全然、寒くないじゃない。ティルド、寒がりなんだ」
「北の出身なんだよ。冬なんて無縁だ」
「へえっ、北なの。北の、どこ」
「北方陸線にある、エディスンって街でな」
「知らないけど、それじゃ海があるのね?」
「ああ、そりゃ、ある」
少年がうなずくと、少女はうっとりした顔を見せた。
「海かあ、見てみたいなあ」
「見たこと、ないのか」
ティルドは、先ほどからかぶり続けるアーリとの思い出に気づかないふりをしようとしていたが、今度はうまくいかなかった。
アーリもまた、海を見たいと言っていたらしい。
しかし、内陸で育つ人間、それも夢見がちな少女であれば珍しい望みでもないだろう。彼は胸に走った思いをやはり、無視した。
「ないわ。たぶんね」
「たぶん?」
「あたし、どこで生まれたか判らないの」
少女はそんなことを言った。ティルドは目をしばたたく。
「お前、いい家の娘なんだろ?」
「まあ……お金はあるみたいよ。だからって、氏素性がはっきりしてるとも限らない訳」
「よく判らんぞ」
「いいの、気にしないで」
リエスはひらひらと手を振った。
「正直言って、あたしにもよく判んないことが多くて」
その返答に何となく後ろ暗い雰囲気を感じ取って、ティルドは黙った。




