08 呆れたものです
街は〈風神祭〉を迎えていた。
十年に一度の大祭は、それはそれは賑やかで、街中が風神の印章でいっぱいになる。
何らかの神話や伝承に強引に関係づけた品物が嘘くさい口上で売られ、それがとんでもないいんちきだと判っていても、人々は祭りの記念にと財布の紐を緩くする。
こんなときは、陰気くさい占い師などはお呼びではない。
アドレアがもし占いを続けていたとしても、この時期は全く商売にならなかっただろう。
それでもほかにやることがなく、小屋をかけることはしたかもしれないが、いまこの「魔女」に予見を求めるものなどエディスンにはいないし、何より彼女は、ヴェルニールトの言ったことが気になっていた。
王家の儀式に彼女を列席させるなど考えられないし、不可能なことだ。子供だって判る。
だがヴェルニールトはそうすると言う。子供以下だ。
エディスンを離れるべきだろうかとは思った。王子が何であれ、馬鹿なことをしでかす前に。
「アドレア様でいらっしゃいますね」
かけられた声に彼女は驚いた。
祭りを楽しむのも悪くないだろうと街までやってきていたが、「例の魔女」だと知られないように黒いローブを身に纏い、フードを深くかぶっていたから気づかれることがあろうとは思わなかったし――気づいたところで、彼女を「様」などと呼ぶ人間も、いない。
「やっぱり。みなが楽しげにしているなか、王城の方を見つめてため息をつく女魔術師なんて、そうそういないと思いましたから」
「あなたは?」
彼女は不審に思いながら問うた。そこにいるのは彼女と同じか少し年下ほどの娘で、平服を着ているが平民には見えなかった。いや、身分上はどうあれ、立ち居振る舞い、仕草を美しく、かつ迅速に行うことを日常としている人間。
「私は、どこぞの馬鹿王子殿下の侍女をしております。この忙しいときに私の主が下した命令ときたら『城下に行って俺の女を捕まえてこい』ですから、呆れたものです」
それは何とも「王子殿下の侍女」らしくない物言いであったが、きれいな仕草にきれいな発音は、確かに宮廷に生きる者を思わせた。
「私は、行かない」
驚きながらもアドレアはすぐに答えた。
「彼に伝えて。何を考えているのだとしても、馬鹿な真似はやめて、と」
「それは、私も百回は申し上げました。言っておきますと、今日だけで百回です」
侍女は肩をすくめた。
「でも、彼がどれくらい戯けていらっしゃるかは、あなた様もご存知でしょう。こう言えと言われました。アドレア様が言うことを聞かなければ、この侍女、つまり私を処罰すると」
「まさか。彼はそんなことしないわ」
「どうでしょうね。おそらく、子供じみた発言にすぎないでしょうが、あなた様のご気性をよく理解してもおいでです」
「それはこちらの台詞だと言ってやって。あの人はそんなことはしない。万一にも意地を張ってあなたに何かすれば、呪うと言ってやって」
それはアドレアとヴェルニールトの間では大した冗談であったが、侍女にはいささかきつかったようだ。彼女は半端に手を動かした。魔除けの仕草をしようとして、礼儀に反すると、無理にとめたのだろう。
「ごめんなさい、ただの冗談よ」
それに気づいてアドレアは謝罪した。
「どんなふうに噂されていても、私に誰かを呪う魔力なんてない」
侍女の方もまた、謝罪の仕草をした。
「では、お返事はそれでよろしいですか」
「あなたには迷惑をかけるようだけれど」
アドレアが言うと侍女は笑った。
「ヴェル様のことですから、私を罰すると言ったところでせいぜい何日か謹慎を命じるくらいでしょう。ご心配は不要です」
そう言って侍女が踵を返そうとした、とき。
何かが――アドレアに降りた。
「待って」
彼女は言った。
「やっぱり……あなたが心配よ。それに、彼がそんなに私にきて欲しいというのならば、何か大切なことがあるのでしょう」
「彼にとってだけ、大切なことだと思いますけれどね」
侍女は肩をすくめた。
「お心を変えられたのですか」
「ええ」
アドレアはうなずいた。
「行くわ」
唇の両端を上げられた笑みに、侍女は先ほどよりも強い意志で魔除けの印を切ろうとする手を止めなければならなかった。
それは、呪いの力など持たぬ娘の笑みには見えなかった。
侍女は奇妙なものを見たが、確信は持てなかった。怖ろしくて、再度直視することができなかったのである。
穏やかに見えた茶色い瞳は、赤く光ったように――見えた。




