05 秘密の逢瀬
風の吹く岬は、ひとりで生きるにはちょうどよかった。
時折、街に行って魔術薬を売ったり、協会でちょっとした仕事をしたりすれば、糊口はしのげた。
占いは、やめていた。
だいたい、彼女に大した予見の力などはないのだ。占いで嘘をついたことはなく、感じたことを人々が占い師に望むような曖昧な言葉で飾って生活をしてきたけれど、誰かと面と向かって話すのは億劫になっていた。
アドレアはいまや、岬の小屋にこっそりと生きる孤独な魔女だ。
街へ行けば事情を知る者が指をさし、あれが王子を惑わした魔性だと噂する。そうして、知らなかった者も知っていく。
そうなれば人のなかへ行くのも嫌になっていき、夜を歩く。
そうすればますます、魔女だと――呼ばれる。
エディスンを離れ、新しい生活をすることもできた。だが、彼女はヴェルニールトのいるこの地を離れたくなかった。王子の婚約が正式に発表されても、彼女はまだ彼を愛していた。
風が心地よい。
風神は、淀んだものを吹き飛ばしてくれる。そんな気がした。
そうして瞳を閉じ、風の音と波の音に心をたゆたわせていた娘は、近寄ってくる人影に気づかなかった。
「こんなところにいたのか」
心臓が大きく音を立てた。目を開いた彼女はよろめき、力強い腕にしっかりと支えられる。
「探したぞ、俺の愛しい魔女」
「――ヴェル。どうして」
「どうして、だと? 俺は諦めんと言っただろう」
そう言って王子は鼻を鳴らした。
「いや、お前が言わせなかったのだな。だが俺はそう言うつもりだったし、必ずまた会いに行くと言おうとした。口にしなかったからと言って、誓わなかったことにはならない」
ヴェルニールトは呆然とする娘を抱き締めた。
「俺が会いに行けば、お前の迷惑になるかとも思った。コードは本気で、お前を裁きにかけるかもしれないからな。だが、忘れることなどできなかった」
王子は娘の耳元で囁いた。
「お前は、忘れたか。こうして俺がやってくれば、迷惑か」
「きてほしくは、なかったわ」
アドレアの声は震えた。
「忘れようと――したのに」
「では」
彼は娘を自身の方へ向かせた。
「忘れていなかったと言うことになるな」
久しぶりの口づけは甘く、そして苦かった。
娘の涙の味も、した。
「泣くな、アディ。俺はお前を離さぬ。そして、決して火あぶりになども、させぬ」
「ヴェル。ヴェル、ヴェル、愛しいヴェルニールト」
愛している。こんなにも。
離れればそれだけ、思いは増した。
ふたりの恋は、王子と魔女であったからこそ、熱く燃え上がったのかもしれない。
その炎を風神の力が煽ったかのように。
秘密の逢瀬は続いた。
初めのうちは忍び逢いに苦いものを覚えていたふたりも、日々を送るに連れ、その苦さに慣れていった。
ヴェルニールトの婚約のことは、どちらも口にしなかった。口にしても何にもならないことだと判っていた。
少なくともアドレアは判っていた、というべきだろうか。
と言うのは、次第にヴェルニールトは、彼女を正式に認めさせたいというようなことを口走るようになってきたからだ。
「いい加減にして、ヴェル」
彼らに許された短い時間を言い争いなどで駄目にしたくはなかったが、その話題になるとアドレアは厳しく言った。
「あなたは王子。そして私はただの平民。いいえ、魔女。そのようなことが叶うはずはないわ」
「やってみなくては判らない」
それが王子の答えだったが、アドレアははっきりと首を振った。
「判りすぎているじゃないの。馬鹿な考えは捨てて」
「素直ではないな。前夜は、俺の求婚にうなずいたではないか」
「――何ですって?」
「何だ、忘れたのか」
王子はがっかりしたようだった。
「お前の承諾に、俺は何でもやってやろうという気になったのに、お前にとっては、情熱に溺れた末の気軽な返答でしかなかったのだな」
「何を言っているの」
アドレアは弱々しく笑った。
求婚?
前夜、ヴェルニールトはそのようなことを口にしただろうか?
まさか、そんなことを彼女が忘れるはずもない。彼は口にした美辞麗句を求婚だと思い込んでおり、それが彼女に通じていないとは思っていないだけに違いない。
「誤解だわ、ヴェル。あなたが言った言葉は全て覚えているけれど、私が承諾したというのはあなたの勘違いよ」
「何だと」
王子は片眉を上げた。
「俺が誤解をしたというのだな?『俺のただひとりの妻になってくれ』という誤解しようのない言い方に、お前ははっきりとうなずいたというのに、それを勘違いだと言うのか?」
「何ですって」
アドレアはまた言った。
「それこそ誤解だわ、ヴェル。あなたはそんなことを言わなかった。夢でも見たんじゃないの?」
「非道いことを言う」
王子は芝居がかって嘆いた。
「こんなに酷い女だとは思わなかったぞ、魔女め」
そう言うとヴェルニールトは不意ににやりとし、草の上に座っていたアドレアをそのまま組み敷いた。
「ちょっと、ヴェル!」
アドレアは抗議をしたが、恋人への思いに燃えた王子はそれを受け付けない。彼女を探り慣れた唇と手はその抗議をあっという間に溶かした。
そして彼らは、ひとりは明日を夢見たまま、ひとりは明日に目を閉じて、愛の悦びに浸るのだった。




