13 答えは出ない
タジャスの町は、ウェレスの北端だった。
と言っても境界線のようなものがある訳ではなかったから、ウェレス王に剣を捧げ、その地に納税をしている領主がいる街町のなかでいちばん北にある、という程度の意味にすぎない。
ヴェルフレストがたどり着いたここは小さな町で、他都市の王子のような位の高い賓客をもてなすことは滅多にないらしく、その支度に手間取っているようだった。そうでなくとも、病がちな男爵はしばらく王宮に行くこともままならないと言うから、客人自体が珍しいのかもしれない。
隣町からの護衛隊とともに彼はしばし待たされることになり、その間、彼はカリ=スを伴って――と言うより、何も言わずとも護衛の男はついてきて――この町の雰囲気を味わっていた。
どうと言うことのない、ごく普通の町。
何の変哲もない。
彼は首を振った。
このタジャスは、ラタンが指し示した「次の目的地」であった。
もちろん、最初に示したのはリーンだ。だが、ラタンも積極的に勧めた。
〈風謡いの首飾り〉のことも、砂漠との関わりも、ここの男爵から話を聞けと言うのだ。
ラタンの希望通りであるというのはあまり面白くなかったが、まるで挑戦を叩きつけるかのように町の名を示されたことは少しだけ面白かった。
これまで第三王子にそのような真似をしたものは、ティルド・ムール少年くらいである。
彼はどうしているのだろう、とふとヴェルフレストは思った。
〈風読みの冠〉を追って旅をしている少年兵士。彼の隣にいた少女の死というような出来事までは、王子に伝わってはいない。
ただ姿を消した魔術師ヒサラは一度、ヴェルフレストに炎を向けた魔女がティルドとも関わったというような話をしたことがあった。彼はそのとき、アドレアは関わっているかとヒサラに問い、その気配はないようですと答えられていた。その答えを寄越したとき、魔術師は、くれぐれも魔女に惑わされぬようにと王子に告げた。
彼としては惑わされているつもりなどない。彼がアドレアを気にするのは、何か多くのことを知っていそうだからという建設的な理由であって、魔女に魅了されているというのではないのだ。
美しいと、思っても。
「殿下、こちらにおいででしたか」
タジャスの男爵からつけられた従僕が、彼を認めて慌ててやってきた。
「たいへん、その、お待たせをいたしまして、あの、申し訳ございません」
若い従僕は王子を前にどのような態度を取っていいものか判らないらしく、一生懸命に丁寧にしようとしている様子はなかなか微笑ましかった。
「かまわぬ。町を見ておったところだ」
ヴェルフレストが鷹揚に手を振ると、従僕は深々とお辞儀をして手をさしのべた。
「お支度が整いました、こちらへ」
こうして南から王子の護衛としてやってきた小隊は彼のもとを離れて帰途につき、エディスン第三王子はタジャス男爵ギーセスの客人となった。
ギーセス男爵が病持ちであるというのは中傷でもなければ宮廷へ出ないことへの言い訳でもないようで、ヴェルフレストを迎えようと正門の前に立った主の姿は、四十前ほどであるというのに、ずいぶんと弱々しかった。
「このような何もないところへようこそお越しくださいました、ヴェルフレスト殿下。斯様のごとき地味な土地柄ではありますが、ご故郷への帰途につかれます前の、しばしのお休みがご満足いただけるものになるよう、力及ばずながらつとめさせていただきます」
そのようなささやかな口上を述べるだけでもギーセスの呼吸は乱れ、浮かぶ笑みは弱い。
王子は少し悪いことをしたような気分になり、挨拶もそこそこに男爵を休ませることにした。外では自身が寒いということも多分にあったが。
彼の伴がひとりであることに男爵もやはり奇妙に思ったようだがやはり何も言わないまま、客室まで彼を案内させた。支度を整えられた部屋に足を踏み入れたヴェルフレストは、マントを外すと長椅子に座り込む。
「どうした」
「何がだ」
砂漠の男の言葉に返せば、カリ=スは肩をすくめる。
「『面白い』も『面白くない』も出ないようだからな」
「実際、面白いことも面白くないことも、ない」
それが王子の返答だった。
「何もない」
彼はそう言うと手を振ったが、彼が嘘をついていること――何か隠していることは、砂漠の男には知れているのではないかとも思っていた。
カリ=スは決して詰問などはしない。ただ「自分が知っておくべきことはないか」と尋ねるだけだ。それにヴェルフレストは何もないと答え続けた。
彼の知らない何かがあったことに、護衛は気づいている。
「それで、どうするのだ」
だがやはりカリ=スは具体的には何も問いつめず、そんなことを言う。
「どう、とは?」
ヴェルフレストは同じように返した。
「男爵のあの様子では、遠国の王子殿下と語らうなどは難しそうだろう」
ヴェルフレストは寒空の下、いまにも倒れそうな顔をしていたタジャスの領主を思い出した。
「しかし、行政に携わる程度の体力はあるのだろう。よほどに繊細な神経の持ち主で、王子と直接に言葉を交わすだけでも多大な緊張を強いるなどということがなければ、夕餉の席での語らいくらいできるのではないか」
「ならばよいが」
「何が気になる」
ヴェルフレストは何と言うこともない調子で問うた。
「何故かと思うのだ」
「何がだ」
彼は常にカリ=スに返答をし、決して無視するようなことはなかった。だがそれでも、以前のようには視線が合わないことをカリ=スが気づかぬはずもなかった。
「お前は砂漠の話を気にしていたようなのに、そのことをぴたりと言わなくなった。確かに私は強硬に反対したが、少し、奇妙に思っている」
「それは」
ヴェルフレストは、顎に手を当てた。
「お前が強硬に反対するからだ」
彼はただ、そう答えた。
業火の神官であるラタンがこちらへの道を示したのだなどと言えば、カリ=スはどうするだろうか。ヴェルフレストの心にふとそんな思いがよぎった。
カリ=スは怒るだろうか。馬鹿な真似をした、しているとヴェルフレストを責めるだろうか。
それとも呆れるだろうか。彼よりも業火の神官などを信じるなら、ヴェルフレストの隣にいる必要はないと考えるだろうか。
どちらにしても、カリ=スは離れて行くように思った。
カトライへの恩のために彼の護衛は続けるかもしれないが、「カトライではなくヴェルフレストを守る」と言った男はいなくなるような気がした。
それは決して、嬉しいことではなかった。
カリ=スよりもラタンを信頼すると言うことだけは有り得ない。
ラタンは敵だ。いくらヴェルフレストに都合のいい情報を与えるようでも、それは彼の主も首飾りを欲しがるからに相違ない。ヴェルフレストはそこを見誤ってはいない。ラタンは敵である。
そして、カリ=スは味方である――はずで、ある。
それだ、と王子は思った。
味方のはず。カリ=スに裏があるとは思えない。
この砂漠の男が大嘘つきで、実はカトライに恩どころか恨みでも抱いているとしたら、ヴェルフレストはその演技の見事さへの報酬に、裏切られてやってもいいくらいだ。
カリ=ス自身に裏はない。
少なくともヴェルフレストはそう考えている。
ヴェルフレストが気になるのは、魔女アドレアの影だ。
王子を誘惑することはないと告げたかの魔女は、代わりにカリ=スを惑わしてはいないだろうか。
アドレアとカリ=スには共通する属性があるのだ。ヴェルフレストを守ろう、という。
魔女の言葉はどこまで本気であるかは判らないが、もしヴェルフレストを守るためだと聞けば、カリ=スは魔女の言葉だって聞くかもしれない。
いや、そもそもアドレアが魔術を使っていれば? 彼自身、何の含みも持たないままで、魔女の手駒となっている可能性は?
砂漠の男が白髪の魔女と繋がっているかもしれないという思いは、どうにもヴェルフレストの視線をカリ=スから逸らさせていた。
これは、ラタンのもたらした毒。
それとも、アドレアの。
或いは、彼自身の内から湧いたもの?
砂漠の男は魔力に耐性があるとヒサラが言っていたが、それが必ずしも魔法に惑わされないということにならないのは、メギルに強い術をかけられていたことで判っている。そしてメギルよりもアドレアの魔力の方が強いというようなことを魔女たちは言っていなかったか。
ならば――。
ヴェルフレストの思考はそこでとまる。
たとえばアドレアに、カリ=スを惑わしたかと問えば、そのようなことはせぬと返ってくるように思った。それが真実かどうかは彼に判ることではなかったが、決してアドレアはそれを認めぬだろうと思った。
答えは出ないのだ。
カリ=スが、ラタンが、アドレアが何をどう言おうと。
信じるものを選ぶのはヴェルフレストである。
そこに「正解」というものがあろうと、なかろうと。




