09 金さえもらえりゃ
「グラカ。お前がティルドの情報を売った相手について知りたい」
「おっと」
〈黒鳩〉は玻璃の杯を指で弾いた。
「そいつは禁じ手だよ、ハレサ」
「情報屋は信用第一、か?」
「判ってるじゃないか」
「その信用は」
ハレサはもてあそんでいた杯を卓においてグラカに向き直った。
「レギスの得意客のために取っておいた方がいいんじゃないか」
「おっと」
グラカはまた言った。
「知ってるんなら、訊かなくてもいいだろう?」
「それ以上のことが知りたい」
ティルドは身を乗り出した。
「あんたが誰に情報を売ったか、じゃない。売った相手がどんな相手なのか、どこからきたのか、どこへ行くのか、金ならいくらでも出す」
「いくらでも、なんて言うもんじゃない、ティルド」
ハレサは笑ってたしなめた。
「こいつは気軽に、値を釣り上げるぞ」
「この街の夜を牛耳る組合の組頭の前で、不当な値はつけられんよ」
組頭、とティルドは声に出さずに繰り返した。成程、確かに「偉い」盗賊である。
「仕方ない。あんたに睨まれりゃ、レギスの夜に生きるのは厄介だからな。それであの美女の何を知りたい」
「美女とはね。お目にかかりたいもんだ」
グラカとハレサの発した一語にティルドは首を振った。
「どうしてどいつもこいつも。あの魔女が美人に見えるなんて目が腐ってるんだ」
「魔女か。そりゃいい。確かに男を惑わしそうな女だったな。ま、お子様にはまだ大人の女の魅力が判らないってこったろう」
どうにもからかう口調でグラカが言えば、ティルドも簡単にむっとする。
「俺が言うのはそんなんじゃ」
「それで」
ハレサはティルドを制するように声を出した。ティルドは渋々と押し黙る。ここで「あれはたとえでも何でもなく魔女で、ポージル家を焼き、アーレイドの街でも食事処を焼き、アーリを殺した悪魔だ」などと言ってみたところで何にもならないどころか、グラカに飯の種を与えるだけである。
「何を知っているか言ってもらう。質問ならティルドがしただろう、どこからきたか、どこへ行くか、ほかにお前が気づいたことがあれば何でも言え」
そう言うと盗賊組合の組頭は、何枚かのラル銀貨を無造作に卓に置いた。鳩の目が輝く。
「いいだろう、旦那に坊ず。あの女は少し前から、もしティルドがこの街に戻ってきたら報せるよう、俺に依頼をしていた」
「少し前、だの曖昧な言い方をするな」
「正確には覚えてないな、半月くらい前だったか」
グラカは肩をすくめた。
「俺はティルドが戻ってくるかどうかなんて知らん。奇妙な依頼だが、前払いで金をもらったからな、当然、引き受けた。それは責めんよな?」
情報屋はティルドをのぞき込むようにして言い、少年は仕方なくうなずいた。
「だから、お前さんがよく似た兄貴とここへ帰ってくるのを見つけて、すぐさま報告に行ったんだ」
「ついでに兄貴に情報も売りつけた訳だ」
「判ったよ、しつこいな。ケチなことして悪かったよ、少しおまけしてやる」
「情報」など値段は情報屋が決めるものだ。どのようにまけられたかなど判るものではなかったが、ティルドはそこを突っ込むことはせず、唇を歪めるにとどめた。
「女はまた金をはずんでくれてな。俺ぁ大感激よ。世間にゃ有用な情報を手にしておきながら金を出し渋るのが多いってのに、ひと組の兄弟を見かけただけで銀貨をたんまりもらえるなんてそうそうある話じゃない」
「怪しいとは思わなかったのかよ」
「怪しかったら何だってんだ、坊ず?」
グラカはにやりとした。裏の世界に生きる人間に馬鹿なことを言った、とティルドは嘆息する。
「あの姐さんが本当に魔女だって、金さえもらえりゃ俺ゃかまわんよ。もちろん、魔女の情報を洩らすことだって、金次第」
「だろうな」
ハレサはまた、銀貨を数枚、置いた。
「続きは」
「そうさね」
グラカは舌なめずりをした。
「どっからきたと自己紹介はしてくれなかったがね、コルストへ行くというようなことは言っていた」
「コルストだって?」
「中心部の東の方にある町さ。東南ってのかな。詳しくは知らんよ」
「コルストだな。よし」
そう言ってティルドがぱっと立ち上がろうとすると、ハレサがその腕を掴んで引き戻した。均衡を崩した少年は、みっともなく椅子と卓に手をつくことになる。
「何すんだよ!」
「こっちの台詞だ、判りやすいガキめ」
「誰がガキだっ」
「物事ひとつ見ただけで答えが判ったといきなり全力で駆け出すのはガキさ。大人になりたかったらもう少し話を聞けよ」
ほかにどんな情報が要るんだ、とティルドがハレサを睨むようにすると、ハレサは片目をつむってグラカに向き直った。
「それで、ティルドを探す理由については何か言ってたか」
「何かって」
ティルドが目をしばたたいた。そんなことは判っている。魔女が欲しがるものをティルドが持っているからだ。だが盗賊は黙ってろというように手を振って、情報屋の答えを待った。
「理由ねえ」
グラカはふたりのやりとりに気づいたようだったが、それには何も言わず、思い出そうとするように視線をうろつかせる。
「そうだ、持っていてもらいたいもんがあるとか言ってたな」
「……持って?」
ティルドは眉をひそめた。メギルと彼の間で関わりがあるものと言えば唯一、翡翠製の〈風食みの腕輪〉である。だが魔女がそれをティルドに持っていてもらいたがるとは思えなかった。
「どういうことだよ。何を持ってろってんだ」
「そこまでは知らんよ。渡すもんがあるなら預かろうかと言ったら、笑ってかわされた」
ハレサは情報屋の情報を計るようにじっと見て、それから口を開いた。
「それじゃ最後だ、グラカ」
言いながら盗賊は、また銀貨を増やす。
「魔女とどう連絡を取った?」
「何だって?」
質問の意味が判らない、とグラカは顔をしかめた。
「最初は向こうが寄ってきた。それでもいい。そのあとだ。ティルドを見つけて、お前は魔女に報告に行ったと言ったが、どこに行った。どうやって会った」
「どこって、そりゃ」
何故そんなことを訊かれるのかと情報屋は一瞬戸惑うようにし、それから「ははあ」と笑った
「姐さんに接触しようってのか。それなら答えは、とある教会だ」
「教会」
繰り返したティルドの目が剣呑になった。かの魔女の主が何とか言う獄界神の司祭だとかいう話はアロダから聞いている。
「それはその、やばい、教会か」
「おいおい少年、何だそりゃ。教会ってもんは古今東西、神聖にして冒すべからざるものだろ」
「お前の口から出たんじゃ『神聖』も腐れるな」
ハレサは混ぜっ返すようにした。
「で、どこの教会だ」
「そこまでは無理だ」
グラカは首を振った。
「言えねえさ、ハレサ。レギスの得意客を大事にしろ、とあんたは言ったろ。敵に回せない相手は、あんた以外にもいるんだ」
そう言った〈黒鳩〉の顔からはにやにや笑いがすっかり消えていた。それに気づいたティルドは、ハレサが手を変え品を買えて質問を続けるのを聞きながら、どことなく薄ら寒いものを覚えていた。




